6 報道 新聞の先は

神戸新聞社『神戸新聞の100日』

発行継続した信念 協力した京都の男気

 ( 角川文庫、初刊は1995年11月)

 阪神大震災が起きた年に出版された地元紙のドキュメント。あれから10年になるのを前に、通勤の地下鉄の中で少しずつ読んだ。新聞業界ものとしては『渡邉恒雄 メディアと権力』に次ぐ本になる。

 神戸新聞社は早朝のあの揺れで本社建物が崩壊し、コンピューターシステムもダウンしてしまい、新聞を出し続けるのは難しかった。そこで新聞発行継続にむけて全力で支援する京都新聞の男気が泣かせる。

 神戸新聞側が書いているのでかなり美化されてはいるだろう。それでも、同じような立場に中日が追い込まれたとき、あのように助けてくれる”仲間”がいるだろうか。

 神戸と京都。ともに商都・大阪の求心力と張り合う文化都市の名前を冠する地方紙である。大阪が基盤の全国紙の攻勢にさらされているのも事情は同じ。そんな共通項が強い結びつきを生んでいるのだろう。

 新聞を出し続けること―。この明確な決断が震災直後の大混乱の中で、社員の行動に軸と芯を与えた。そうした記述はその通りだったろうし、新聞人であれば当然だろうと思う。

 しかしその一方で、社員や家族の生命とか、第三者の人命救助との比較になったとき「新聞継続を第一に」と言い切れるか、ぼくには自信はない。

 あのとき神戸で陣頭指揮をとった編集局長の山根さんには、震災から2週間後に仮社屋内でお会いしている。中日の現地取材班は仮社屋に部屋を借りて居候しており、ぼくはデスクの交代要員として神戸に赴きごあいさつした。山根さんはいまは社長、あす17日はあの震災から10年である。

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