5 映画 銀幕に酔う

邦画『スパイの妻』

深い闇 多彩な論点 そして夫婦愛

(黒沢清監督、2020年10月公開、11月14日にミッドランドで)

 (注) いま劇場公開中のため表現には気を配っていますが、一部にネタバレに近い箇所があります。気になる方は、先に映画をご覧ください。

 この映画の筋立てとテーマについて、監督の真意は何だったのかと考え続けている。内容は深くて重い上に、いろんな見方ができるからだ。様々な論点が生じることを前提に、観客に考えさせ議論させることも狙っているのなら、その面でも大成功といえるだろう。

(▲シネコン内の案内パネル)

 最初の論点は、高橋一生が演じる貿易商と甥が満州で見た「日本軍の秘密」は、映画の中で、貿易商が妻(蒼井優)に説明しているように「偶然に見てしまった」のだろうか、である。

 ぼくの解釈では、はじめからそれを見つけるため満州に行ったと考える方が自然だし、題名や後の展開も説明しやすい。貿易商が妻に「偶然に」と説明するときの画面の光と影のコントラストは、貿易商の葛藤を映し出す演出ととるのが自然だろう。でも、そう言い切れる自信はない。

■戦略的な仕掛けか 妻想いのゆえか

 二つ目は、貿易商が最後に、妻を裏切ったと見える行為の真意だ。映画内で彼がいう「国際社会に告発する」という正義を実現するための戦略的な仕掛け、確信的な裏切りだったのだろうか。それよりも、危険な亡命渡航は妻にはさせず、妻に惚れている憲兵長に処分をゆだねて日本にとどまらせた方が、妻にはベターと考えたのだろうか―。

 一緒に観た妻とぼくの見方は違った。いろいろ議論していくうちにぼくはいま、監督の意図は両方だったのではないかと解釈している。最後のテロップは、そう考えた方が腹に落ちやすい。でもこちらも、監督の真意がそうだっただろうと言い切れる自信はない。

 三つめは、いまこの時代にこの設定を選んだ監督や脚本の人たちの狙いは何かだ。日本軍の秘密を知った甥は人格が変わり、妻役の蒼井優に「あなたは何も見ていない」と叫ぶ印象的なシーンがある。妻の目線をいまの国民でありぼくだとしたら、1940年の満州軍や憲兵隊長と同じような状況が日本にいつまた現れれるかわからない、との警告とメッセージだろうか―。

 それとも、スパイという立ち位置を真ん中にすえることで、嘘と事実がわかりにくく、境界がはっきりしない現代社会の様相をあぶりだそうとしているのだろうかー。

 四つ目は夫婦愛だ。どんな筋立てであれ、この夫婦の愛の形が、戦争へとつき進む当時の社会情勢と並んで大きなテーマになっているだろう。妻が最後に叫ぶ「お見事!」は、夫のあまりに見事な手並みへの賛美なのか。それとも、深い愛を感じた喜びの叫びでもあったのかー。ぼくは、監督はどちらの意味も「お見事」にこめている、と受け取った。

■「行かずに死ねるか」と貿易商

 この映画の前半で描かれている夫婦の暮らしを、ぼくは肯定的に観ていた。1940年といえば真珠湾攻撃の1年前だが、舞台の神戸は貿易によって海外に開かれてきた街だ。心情的には西欧指向で、軍隊や全体主義が圧力を増していくのを毛嫌いしていた富裕層はかなりいたと思われる。

 そのひとりの貿易商が映画内で妻に、米国行きの計画を語りつつ、地球儀上のニューヨークを右手で指しながら「行かずに死ねるか」と高揚する場面があって、ぼくはあっと思った。このサイトのコンセプトのひとつ「観ずに逝けるか」と同じじゃないか。なんとも不思議な気分になった。

 この監督の作品は『トウキョウソナタ』しか観たことがなかった。ホラー映画でも著名ということは、この『スパイの妻』がベネチア映画祭の監督賞を受賞したというニュースの後に知った。

 新聞の映画評を読んで、ひと筋縄では読み解けない作品だろうと覚悟はしていたけれど、その想像をはるかに上回る「深い闇」と「多彩な論点」を残してくれた。 

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