1 ゴルフ 白球と戯れる

マスターズ松山優勝テレビ観戦記

トップ2が池ポチャ リカバリーで明暗

 (オーガスタ・ナショナル・ゴルフクラブ、2021/4/8~11、TBSテレビ)

 4夜にわたりメモ帳片手にテレビ中継に見入り、日本人初優勝のドラマを堪能した。最終日の15番でまず首位の松山英樹(29)が、次の16番で2位のシャウフェレ(27)がやってしまった池ポチャの連鎖と、その後のリカバリーの明暗がいちばん印象に残った。あれがゴルフの怖さであり醍醐味だろう。「ミスはみな怖い。しかしリカバリーできる技術と精神を身に着けて挑戦せよ」。オーガスタの神はそうつぶやいている気がする。

<▲松山優勝を大きく伝える運動面=4月13日付け中日新聞朝刊から>

■何が起きるかわからない

 松山は最終日のスタート時点で、同じ組で2位のシャウフェレと4打差あった。しかも前半を終えたとき差は7打に広がった。松山の勝利はほぼ確実で、相手は2組前の若手ザラトリス(24、米国)かなとぼくは思った。解説のプロふたりはさすがに慎重だったけれど、早起きした日本のファンの大半はぼくと同じ気持ちだったろう。

 ところがシャウフェレが12番から3連続でバーディーを奪って盛り返し、14番を終わった時点で差はまた4打になった。何が起こるかわからないサンデー・バックナインである。「もし2打差になったら危険、勝負はわからない」とぼくは思った。松山やシャウフェレも同じ感覚でいたはずだ。

■15番の松山 決めに出て飛びすぎ?

 そして問題の15番PAR5がきた。松山のティーショットはフェアウェイのほぼ真ん中。第2打は2オンを狙って4番アイアンをしっかり振った。ボールは軽くドローしながらグリーンへ向かっていく―。いいところに乗るかと思われたが、奥の下り斜面に落下して跳ね、さらに奥へと転がり池に落ちた。

美しい池に残酷な波紋が広がった。この日初めてのミスらしいミスだった。解説者はカットに入れるつもりだったが、逆光なのでしっかり当たりすぎたという。4打差あったから刻む手もあったのに、ここで試合を決めてまおうとして力みが出たのではないかとぼくは思った。

 松山のミスを見てからシャウフェレはフェアウェイ左から第2打を放ったが、ドローがかからず右のバンカーに入った。ピンまで距離があり、バーディーを取るのは容易ではない。しかし世界ランク5位の彼なら不可能ではない、松山がアプローチをミスると1打差になるかもしれないと、一気に悲観的になった。

■沈着リカバリー「2打差」でもきりり

 松山が池の前まで行き、落下地点のわきに第4打のための新ボールをドロップした。グリーンまで30ヤードはあるように見えた。このホール、奥にこぼすとアプローチは極めて難しそうだった。初日には非情で残酷なシーンを見ていた。別の選手が奥5mほどから、しっかりスピンをかけたボールをエッジぎりぎりに落としたのに、ボールは加速しながら斜面を滑るように転がり、そのまま反対側の水面に吸い込まれていったのだ。 

 松山もその怖さは百も承知だったのだろう。4打目はグリーンから1.5mほどのところに止まるように抑えて打った。画面で見ていると簡単そうに見えるが、あの場面であそこで止めるなんて神業に見えた。ぼくなら(実際に打てる機会はゼロだけれど)少しでもピンに近づけようと、グリーンに届くボールを打って再び池に入れていたか、力んでざっくりかトップしていただろう。

 これを見てシャウフェレがバンカーから放った第3打は、あわやチップインイーグルかと思われるタッチでピンに向かっていった。ぼくが「入ってしまう!」と叫ぶと同時に、ボールはピンのすぐ左わきを通り過ぎ、30cm先で止まった。それでもバーディーは確実になった。

<15番をボギーでとどめた松山。目には新たな光=TBSテレビ画面から>

 このスーパーショットを見せつけられた上で松山の5打目となった。ワンパット圏に寄せないと1打差になる。松山はパターを選択。ボールは絶妙のタッチでグリーンエッジを横切り、ころころとピン上の40cmについた。松山はこれを流し入れてなんとかボギーでしのいだ。このしぶとさ、冷静さにはしびれた。

 バーディーvsボギー。差は一気に「危険な2打差」に縮まってしまった。しかし松山は、このリカバリーに手ごたえを感じていたのだろう。次のホールへ向かう顔は、きりりと引き締まり、目には新たな光が宿っているように見えた。

■今度はシャウフェレ 「4連続」が裏目?

 新たな試練は次の16番で、今度はシャウフェレに起きた。「世界でもっとも美しく、もっとも難しい」と呼ばれるPAR3だ。オナーの彼は少し迷った末に、テレビによれば8番アイアンを選んだ。ナイスショットに見えたけれど、ボールはほんの1mほどグリーンには届かず、斜面で左へキックして池に落ちた。

 解説者の読みは風の読み違いだった。原因は本人にしかわからないだろう。4連続バーディーできていたから、勢いに乗ってここで一気に追いつきたいという心理からピンをまっすぐに攻めた、とぼくには見えた。

<16番で池に入れ顔をしかめるシャウフェレ=TBSテレビ画面から>

 シャウフェレは自分のボールが池に落ちたのを見届けると、ティーグランド後方に下がり、目を宙に泳がせ、顔をしかめた。いままで見せなかった表情だ。悔しさと情けなさ―。わかりすぎるほどわかる。その様子もテレビ画面はとらえた。

 松山は7番アイアンで池より遠い右上サイドに落とした。安全策だ。ここでも落ち着いたショットが印象的だった。

 第3打を打つためドロップ地点へ歩いていくシャウフェレを観ながらぼくは、ワンパット圏に寄せてボギーでしのぐしかないと考えているだろうと想像していた。15番と立場がまったく逆になった。

 ここからさらに信じられないことが起きた。シャウフェレのリカバリのための第3打はなんと、強く入りすぎたのか奥のギャラリー席まで飛び込んでしまった。前のミスショットの反動か、力みなのかー。さらに第4打の寄せも上2.5mにしか寄らなかった。松山は3パットのボギーだったのに、シャウフェレは5打目のパットも決められなかった。

 「自滅と痛恨のトリプルボギー」。手あかのついた表現のこの屈辱を、ぼくは何度も何度も体験してきた。プロでも、緊張する大事な場面になればなるほど起きていると聞くのだけど、これほど鮮明な場面を生で見た記憶がぼくにはなかった。松山を応援していたけれど、ゴルファーのはしくれとして、その後のシャウフェレ見ているのが辛かった。でも、これがゴルフなのだ。

■技術の蓄積 松山はアプローチに冴え

 一般紙の12日夕刊と13日朝刊は、松山の優勝の意義に大きく焦点を当てていた。アジア人で初めての優勝と、東日本大震災直後に迷った末に初めて出てベストアマになってから10年という「節目」や「物語」はもちろん大きな意味がある。ただ、ひとりのシニアのアマプレーヤーからすると、15番と16番の記述が少ないのが残念だった。

 ミスをした後のリカバリーがこの試合を決したとぼくは思う。松山は大会を通じて、ラフやバンカーからのアプローチに冴えを見せ続けた。最後のパットもよかったから余計にそう見える。15番の池ポチャの後も、無理をせずに落ち着いて寄せて傷を最小限におさえた。シャウフェレは16番の池ポチャの後、無理しすぎてミスを重ね「トリプル」にしてしまった。

 貯金がある選手の余裕と、追うものの焦りとまとめるのはやさしい。ぼくの練習とプレーは、彼らと比べようもない低いレベルにすぎないけれど、技術の蓄積と自信があったかどうかも決め手だったと思いたい。だからこそプロやトップアマはひたすら練習に明け暮れ、技術を体に覚えさせるのだろう。

■スピーチに物足りなさ

 もうひとつテレビ観戦で思ったことがある。優勝者の振る舞いと言葉である。マスターズは1934年に伝説のアマ、ボビージョーンズが創設した格式と歴史のある大会だ。グリーンジャケットとか歴代優勝者らの招待ディナーホストなどほかにはない儀式もあり、4大メジャーでも全英に並んで別格の位置づけにある。

 表彰式のスピーチで松山は短い言葉で勝利の喜びを表した。ただ言語は日本語だった。主催者や関係者への感謝や、この大会の伝統へのリスペクトの言葉もほとんどなかった。ぼくはこの大会を少しでも楽しもうと、直前に映画『ボビー・ジョーンズ 球聖とよばれた男』を観て、オーガスタ伝説のキャディーを描いた本『最高の人生の見つけ方』を読んでいたこともあるからだろうか、ちょっとさみしかった。

 この点は朝日新聞の畑中謙一郎記者が13日朝刊運動面で言及していた。「次回の優勝スピーチではもっと、自身の想いや考え、開催コースの関係者への感謝を肉声として聞いてみたい。王者の温かい言葉として」。

 前例はある。2019年の全英オープンでいきなり優勝した渋野日向子(当時20歳)が表彰式のスピーチで、メモを見ながら、たどたどしい発音ながらも英語で懸命に関係者への謝意を述べた。最後にメモから目を離し、ひと呼吸おいて「サンキュー・ベリー・マッチ」と叫んだ。代名詞となったあの笑顔とともに―。大喝采だった。テレビ桟敷のぼくも思わず拍手していた。

■だから勝てたのかもしれない

 松山は4打差で最終日を迎えていたので優勝の可能性は高かった。スタッフが前日にスピーチの用意をする時間はあった気がする。彼がもし英語が不得手であったとしても、米国でのツアー経験は長いので、英語メモを読む選択肢はあっただろう。

 もしかすると松山はもともと、そうした形式的な儀礼とか言葉だけの表現には関心がない気質なのかもしれない。あるいは、優勝の後のことなんて考えたら負ける、試合だけに集中しようと決めていたかもしれない。いまはプロの現役選手なので、そんなことに気を配る時間があるのなら練習にあてたいとふだんから考えているのかもしれない。彼は試合がある日も、だれよりも長く会場に残って練習を続けていると解説者が話していた。

 そうだとすると逆にこう言えるかもしれない。スピーチや言葉や儀礼には関心が向かない(関心を向けない)、武骨で練習好きの武者だったからこそ、マスターズに勝つことができたー。プロスポーツの世界とはそういうであり、それでいいではないかー。表彰式を見ながらそんなことも考えていた。

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