4 評論 時代を考える

斬首作戦に失敗 ロシアに「高慢と偏見」…小泉悠『ウクライナ戦争』

プーチンの「民族再統一」 元スパイの「大博打」

(ちくま新書、2022月12月10日発行)

 筆者はロシア軍事の専門家で、その戦局分析は精緻でスリリングだ。開戦直後の首都キーウ侵攻を、空港占拠→議会占拠→大統領追い出し→傀儡政権樹立という「斬首作戦」だったと名づけ、誤算続きで大失敗に終わったと断言する。主因は隣国ウクライナを見下す「高慢と偏見」との指摘が怖い。プーチンの真の狙いは民族再統一とみるしかなく、「一世一代の大博打」の戦略は少年時代の夢の延長上にあるとの見立ては、プーチンと同い年であるぼくの琴線にも触れてきた。

■政権崩壊への短期作戦 3つの誤算

 専門用語に満ちている。素人にはわかりにくい箇所も多い。でもぼくがいちばん知りたかった、開戦直後の首都キエフ(キーウ)攻撃の顛末はシンプルだ。

誤算1 空港の拠点化に失敗

 ロシアは首都から30キロのアントノウ空港にヘリ空挺部隊を降ろし、そこを占拠するのは成功した。シナリオでは、次に軍用輸送機を到着させて戦車を降ろし、重装備部隊が議会と官庁を占拠してゼレンスキーを排除し傀儡政権を樹立する、という目論見だった。

 しかしウクライナ軍は激しく応戦し、一度は空港を取り戻し、滑走路を自ら破壊してロシアの後続輸送部隊が着陸できないようにした。ロシアは重装備部隊を呼べなくなり、「斬首作戦」はこの時点で終わったと筆者は断定している。

誤算2 内通者たち役立たず

 ロシアは侵攻前から、ウクライナの政権や情報機関、警備部門などに協力者を潜り込ませ、秘密のネットワークを築いていた。いざ開戦となったら、ロシア軍を手引きしたり、ウクライナ軍を弱体化させる工作を施す役目だったらしい。

 ところが実際にロシアが侵攻すると、任務を放棄して逃亡する者が多く、計画倒れに終わった、という。ロシアはそれなりの報酬を与えていたとみられるが、有事にはきちんと協力する覚悟を持つ者がロシア側の期待ほどいなかったらしい。

誤算3 ゼレンスキー逃げずに徹底抗戦

 「最後の誤算」は、ゼレンスキーという政治家の力量を見誤ったことにあるとする。コメディアンからいきなり大統領になったから政治的な経験はない。就任後も交渉での主導権はプーチンが握ったままだったから甘くみていたようだ。

 ところが開戦の直後、ゼレンスキーは米国の亡命勧告を「必要なのは弾薬だ」と断った。翌日にはスマホで自撮りした映像をインターネットで公開した。軍服のような草色のシャツ、夜の官庁街…。首都に踏みとどまっていることを臨場感ある映像で示し、徹底抗戦を国民に呼びかけた。筆者はこう断言している。

  これはプーチンのプランA——短期間でゼレンスキー政権を崩壊させて傀儡政権を樹立するという目標が失敗に終わったことを意味していた。

■「高慢と偏見」が戦意を見くびらせた

 ここから先の推論も軍事研究者ならではだ。ウクライナの首都に近い空港を、軽装備のヘリ空挺部隊だけでずっと占拠できるとロシア軍は本当に思っていたのだろうかと首をかしげて、こう書く。

 「ウクライナ側の防衛部隊は戦意が低いだろう」「抵抗は微弱だろう」といった希望的観測をロシア軍が抱いていた、とでも考えるほかない。(中略) そこには「ウクライナ人は弱い」という民族的優越感のようなものも混じっていなかったか。(中略)ロシアの「高慢と偏見」がもたらしたのは、手痛い軍事的失敗であった。

 希望的観測、優越感、高慢と偏見—この構図にぼくは、日本が戦前、韓国や中国に手を伸ばした時に、軍部だけでなく国民も共有したとされる心理と共通の匂いをかいでしまう。

■なぜ侵攻か 民族的野望説とその限界

 もうひとつのぼくの関心事はやはり、プーチンはなぜ、無謀とも思える軍事侵攻に踏み切ったかだ。すでに1年がたつのにいまだ、明確になっていない。

 著者は、侵攻半年前の2021年7月にプーチンが発表した長大な論文「ロシア人とウクライナ人の歴史的一体性について」を詳細に検証する。さらに侵攻開始時に説明した「大義」をひとつひとつ吟味して、論理的な矛盾を指摘したうえで第5章でこう記す。

 平たく言えば、「自分の代でルーシ民族の再統一を成し遂げるのだ」といった民族的野望のようなものを想定しないと(中略)、プーチンの振る舞いにはうまく説明がつかないように思われるのである。
 この場合、NATO不拡大などの西側に対する要求は外交的ブラフに過ぎず、プーチンのウクライナに対する執着により強くドライブされていたということになる。

 ここは昨年8月に読んだ佐藤優『プーチンの野望』とも呼応する。佐藤氏は「プーチンは自分しか愛さないが、ここには独自の思想的回路がある。プーチンにとって自分=ロシア国家だ。ロシア国家と国民に対する愛が異常に深い」と書いた。

 しかし小泉氏は民族的野望説について「これは筆者の想像に過ぎない」と断わっている。「この戦争がなぜ2022年2月24日に始められなければならなかったかを説明できない」とし、将来の研究者の”発掘”に期待を寄せている。 

■元スパイ 正面決戦より搦め手 

 斬首作戦について筆者はさらに、戦争の形態や性質についての理論を吟味したうえで、プーチンが範としたのは、それまで旧ソ連やロシアが行ってきた周辺諸国への介入作戦ではなかったかという見方も書き、次のような先例をあげている。

プーチンが範にした?  過去の介入
  • 例1 1968 「プラハの春」の弾圧
    改革運動リーダーをモスクワに呼び中止を約束させ、軍投入で全土占領
  • 例2 1979 アフガニスタン侵攻
    まず特赦部隊が政治リーダーを急襲して殺し、主力部隊が大挙侵攻
  • 例3 1999 第2次チェチェン戦争の発動
    首相時代のプーチンは全面侵攻でなく、まず軍事的封鎖をと主張
  • 例4 2014 クリミア半島の強制併合
    まず特殊部隊が行政・立法府を占拠し、後続の主力が電撃的に占拠
少年プーチンの夢「たった一人で」

 よく知られているように、プーチンはかつてKGB(ソ連国家保安委員会)のスパイだった。少年時代、スパイが主役の映画や小説に憧れたのがきっかけ。その魅力をプーチンは2000年大統領就任前インタビューで「全軍をもってしても不可能なことが、たった一人の人間の活躍によって成し遂げられる」と述べた。これを踏まえ筆者は書く。

 現時点ではまったくの推論にすぎないが、スパイ映画に胸を躍らせる少年だったプーチンが、ウクライナ侵攻という一世一代の大博打を打つにあたって思い描いていたのは(中略)、少数精鋭の工作員や彼らが張り巡らせた内通者ネットワークによって敵国を内部から骨抜きにし、軍隊は戦わずして電撃的な占領劇を演じる—というようなシナリオである。
 正面切った大決戦よりも搦め手を好む傾向がプーチンにはあるように見える。

 筆者はさらに、プーチンが軍の作戦の細かいところまで口を出している可能性も指摘する。これは「マイクロ・マネージメント」と呼ばれ、多くの戦争を失敗に導いてきたという。

■筆者 少年時代は「軍事オタク」

 ウクライナ戦争論に「プーチン少年の夢」を持ち出すところに、戦争の話とは思えない人間味と親近感を覚える。2022年6月19日の朝日新聞によれば、少年時代の筆者は「軍事オタク」だった。挫折を繰り返しながらロシア軍事の研究者になった。


 プーチンは1952年生まれ。たまたまぼくと同い年だ。ぼくは少年時にNHKドラマ『事件記者』を見て新聞記者に憧れた。志を建築家に変えて大学に入ったが、結局、記者を選んだ。

 少年時代に興味があったこと、やりたかったことは、年を重ねても褪せることなく大きな力をもたらす-。70歳の古稀になったいま身に染みて感じる。かつての「軍事オタク」が、世界を揺るがす大事件について「プーチン少年の夢」「一か八かの大博打」と表現できることに驚き、心のどこかで、そうだったのかとうなずく自分がいる。

 このあたりの大づかみな表現力も、筆者が2019年の著作『「帝国」ロシアの地政学』でサントリー学芸賞を受賞し、選考委員から「単なるオタクではない書き手」とうならせた理由ではないだろうか。

■「一義的責任はロシアに」

(▲店頭の関連本=丸善で)

 筆者はこの本の原稿を昨年9月に書き終えている。ロシアが劣勢を挽回するため「30万人の部分動員」に踏み切ったところで終わる。ここから先の見通しは慎重な表現にとどめている。本発行まで2か月かかることを考えると当然だろう。

 ただ、もっとも気になる核戦略については、米国だけでなく、ロシア側にも一定の抑止力が働いているとの見方が印象に残った。ロシア国内での理論や議論を分析した上なので説得力を感じた。

 そのうえで筆者は、ロシアの責任について、あとがきで明確にこう書いている。

 この戦争は「どっちもどっち」と片づけられるものではない。
 第一義的な責任はロシアにある。
 (侵攻にどんな理由があろうと)一方的な暴力の行使に及んだ側であることには変わりはない。開戦後に引き起こされた多くの虐殺、拷問、性的暴行などについては述べるまでもないだろう。

 筆者はロシアの言葉や習慣を学び、蓄積した軍事知識を生業としている。妻はロシアの女性だ。しかし今回の戦争について心情的にロシアに肩入れしていると感じる記述は、ぼくが読んだ限り、なかった。

■「侵略成功の事例残すな」

 我が国がとるべき姿勢については、多くの日本人が「これ以上の犠牲者を出さないため、日本は率先して停戦の仲介と外交努力を」と考えているだろう。ぼくもそんな心情は強い。しかしこの点については、筆者は強く釘をさす。

 この点(ロシアの一義的責任)を明確に踏まえることなしに、ただ戦闘が停止されればそれで「解決」になるという態度は否定されねばならない。
 日本としてはこの戦争を我が事として捉え、大国の侵略が成功したという事例を残さないようにすべきではないか。軍事援助は難しいとしても、難民への生活支援、都市の再建、地雷撤去など、できることは少なくないはずだ。

 2023年に入るとNATOがドイツ製の高性能戦車の提供を決めた。2月に入ると、侵攻から1年を節目として、ロシアが大規模な反転攻勢に出るとの観測がNATO側から出ている。小泉悠氏の出番はまだまだ続くことになりそうだ。

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