2 小説 物語に浸る

「侍」の矜持と覚悟 WBCの”球児”にも…浅田次郎『流人道中記』

幕末武士の生きづらさ 現代サムライの躍動

(中公文庫、単行本は2020年3月刊)

 この小説の舞台は江戸末期で、蝦夷送りになった流人の旗本と、護送役の見習与力が奥州街道を旅していく。旅が進むにつれて「侍」を取り巻くしきたりのばかばかしさと、流人が奥底に秘める侍の心意気と胆力が浮かび上がってくる。この本を読み進めていたときには野球のWBCが開かれていて、現代の「侍」たちの躍動にも心が震えた。「侍」がもつべき美徳は、幕末も現代も、矜持と覚悟なのだ。

■ふたり旅 流人の知恵と胆力

 小説が描くのは江戸時代の万延元年(1860年)、幕末である。30歳代の旗本、青山玄蕃(げんば)は姦通罪に問われ切腹を命じられたが「痛(いて)えからいやだと」と拒否。お家とり潰しのうえ蝦夷へ流罪、となる。

 護送役を命じられたのは19歳の見習い与力、石川乙次郎という若者だ。流人の身分や罪をほとんど知らされないまま護送につき、ふたりで奥州街道を北上していくロードノベル。物語は一貫して若者の目線で描かれていく。

 旅先では、さまざまなやっかいごとに遭遇する。そのたびに旗本は流人なのにしゃしゃり出て、見事に解決していく。その知恵と胆力に若者はあきれ、驚く。旗本の出自や罪のいきさつを知るにつれて、幕末の武士をがんじがらめにしている因習への懐疑が若者の心中で膨らんでいくのを抑えられない。

■小説とWBC ヤマ場が重なった

 この小説を読み始める少し前から、WBCが始まっていた。「侍ジャパン」の試合は1次リーグから生で全試合をテレビ観戦した。

 一方の小説も読み進めていた。旗本が犯したとされる罪の詳細や、切腹を拒絶した本当の理由が明らかになりそうなヤマ場にさしかかりかけたところで、WBCの舞台がマイアミに移り、あの準決勝と決勝を迎えた。

 ぼくは米国-キューバ戦はスマホのamzon-primeで観た。その後の日本の試合は一球一打のすべてを生でテレビ観戦した。侍ジャパンが優勝を果たすのを観たすぐ後に、小説も読み終えたのだった。

一流の「矜持」 負傷も「覚悟」 

<▲侍ジャパン優勝…中日新聞3月22日夕刊>


 現代の侍たちは、WBCの舞台で最高のプレーを見せてくれた。大谷翔平の天真爛漫さと気迫、ダルビッシュ有のリーダーシップと投球術、村上宗徳の若さゆえの力みと吹っ切る力、吉田正尚の落ち着きと決定力…。書き出すとキリがない。

 野球人として成功したプロの超一流選手が、まるで甲子園に初めてやってきた18歳の高校球児のような顔つきになった。この舞台でやらねばいつやる、というアスリートとしての矜持だ。

 まだ春先に全力でプレーすることになるから、負傷する恐れも多分にある。そうなると億単位のとんでもない年俸を失う懸念もある。そんなこと覚悟の上で「日の丸をつけた侍」として戦いたい-。

 小説のほうの最後はネタバレになるので詳しくは書けない。「侍」として、「武士」として、あるいは「人」としての矜持と覚悟。流人の旗本が旅の最後、若き見習い与力に伝えようとしたのも、江戸の末期には武士から消えかけていた心持ちだったと思う。

■すでに30冊超 手の込んだ物語

<▲ぼくの本棚の浅田次郎コーナー>
▲カバーの略歴

 浅田次郎は、大好きな作家だ。本棚には30冊以上が並んでいる。このサイト『晴球雨読』に収録している感想文も13本ある。この新作も2020年春に単行本が出た時から気になっていて、文庫本になったのを機に買った。

 読み進めるとすぐに、ああ浅田次郎だ、こうこなくっちゃ、とうれしくなってきた。サイドストーリーも巧み。宿場町で遭遇する「やっかいごと」はみな手が込んでいて、どれひとつとっても短編になるだけの質量がある。

  • 仇討ちの命を帯びさすらう武士と相手…
  • 人相書きが出回る強盗と賞金稼ぎ浪人…
  • 押し込み強盗に誘いこまれ死罪の少年…
  • 最後に里の風景を見たい病人の村送り…

 構成もうまい。主人公の若き与力は、会話では「それがし」と呼んでいるが、独白部分になると「僕」になる。彼が旅先から幼い妻に出す手紙の文章は、平易な現代文だ。

■ひとつだけ年上 がんばれ、次郎さん


 さらに読み進めると次の2作を浮かべた。『一路』はロードノベルとしても傑作だ。『壬生義士伝』の主人公の故郷は岩手。新作でも岩手の言葉「おもさげなかんす」が何度も出てくる。このHPの印象記につけたぼくの見出しはこんな風だ。

小説『一路』
 ひたむきで「一所懸命」 若侍がまぶしい

映画『壬生義士伝』
 きらめく剣 匂いたつ男たち 岩手の美しさ

 浅田次郎、1951年生まれ。ぼくよりひとつだけ年上で、写真を観るたびに同じように年を重ねているなあとしみじみ思う。でも新作を読むたびに、衰えの気配さえ感じさせない筆づかいに、ほとほと感心してしまう。もっともっと、読みたい。がんばってください、次郎さん。

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