9 名古屋 地元を旅する

井澤知旦『名古屋都市・空間論-消毒された都市から物語が生まれる都市へ』

失った路地を求めて 「二都」で紡ぐ物語

 (風媒社、2023年3月31日発行)

 名古屋の街の変遷を江戸初期の清州越えから直近の久屋大通整備まで俯瞰したうえで、都心にあった路地を戦災復興で失ったことを「消毒」と表現する視点にしびれた。戦後70余年をかけて厚みを増してきた商店街(大須と円頓寺)、大通(久屋と若宮)、ミチ(文化、ものづくり)の界隈を「3組の二都物語」として紡ぐ筆致も白眉だ。筆者は大阪で生まれ名古屋にきて都市計画を学びコンサルタントや大学教員をされてきた。ぼくは同い年の関西出身者として随所でうなずき、丹念な図表に感嘆し、わが街の路地をもっと訪ねたくなった。

■陰翳生む界隈 復興が「消毒

 この本を最初に手にした時、サブタイトルの「消毒された都市」にまず驚いた。たしかに名古屋は「白い街」と呼ばれてきたけれど、どんな毒を消されたというのだろうか…。第4章「都市魅力と”消毒”都市」は次の一文で始まる。

 「神は細部に宿る」とは建築家ミース・ファンデル・ローエの言葉である。細部にこそ建築家の魂が込められるとするなら、都市の魅力は界隈に宿ると言えるのではないだろうか。 (p140)

 名古屋の都心は戦争末期に米軍空襲により焼け野原になった。戦後の復興事業では、道路を拡幅し、もともとの碁盤街区をつなげて100m道路も2本つくった。この復興は都心の近代化と防災には貢献した。しかし「独自の居心地のよさ」を醸しだす「文化創出装置」の路地や界隈まで消してしまった、としてこうまとめている。

 同時に時間的経済的衛生的に不合理な寺院墓地を郊外の平和公園へ移転集約していった。通路を広げ、路地を解消し、隅々まで光を入れることで、まさに”都市の消毒”が行われたのである。 (p186)


「清潔化」「衛生向上」ではなく

 この「消毒」という語のもとは、米国の1950~60年代の都心再開発を批判する時に使われた「Sanitized」だという。この再開発は「不良貧困地区(スラム街)除去」を軸としたが、貧困層は代替住宅を提供されなかったため暮らしは一層劣悪になり、強い反対運動もおきた。だから訳語は「清潔化」や「衛生向上」ではなく、もっと強い「消毒」になったと推量する。

 一方、名古屋での戦災復興の対象は焦土であり、スラム街はなかった。墓地には移転先も確保されていた。防災や都市基盤づくりへの貢献も広く認知されている。それでも筆者があえて、ネガティブで刺激的な「消毒」という表現を選んだ背景をぼくはこう推量する。

 —-行政機構や都市計画や区画整理は体質として、防災や経済効率、管理しやすさを優先する志向を含んでいる。その志向は路地や界隈を「負の遺産」とみなしがちで、路地から生まれる庶民文化や陰翳や匂いを「毒」ととらえる結果につながりやすい。豊かな街にするには、都市計画の「負の側面」も自覚しなくてはという肌感覚が、戦災復興を「消毒」と位置付けさせたのではないだろうか。

■路地の形成と消滅 図表も豊富に

 ぼくも2015年、同じ文脈で「『昭和の名古屋』から戦災復興を考える」という文章を書き、愛知建築士会の機関誌に寄稿した。その中では「(100m道路の)あの大空間の地上部はその後、なくした街区を上回る価値を都心にもたらしているだろうか」「18万もの墓碑が平和公園へ移転したことで、先祖との地縁も都心から離れてしまった。『白い街』と称され、それを市民もなんとなく納得した一因に思えてならない」と書いた。

 でもこの本を読み進めていくと、ぼくの文章は皮相的な印象論にすぎないと痛感することになる。4章は冒頭のミースの言葉のあと、50ページ強にわたって、名古屋の栄や大須を中心に、基盤街区の中にどうやって路地ができていったかが詳細にまとめられていた。

 路地が消滅していく経過も、細やかな史料や実情調査とともにまとめられている。添付された図や表のなんと雄弁なことか。大阪や江戸にあった裏長屋の詳細な配置図も、大好きな時代小説を思い出しながらうっとりと眺めた。

 ここでも、神は細部に宿る、なのだった。栄や大須の路地について、戦前の生成過程を調べ、復興でなくなってしまった過程を惜しみ、戦後の復活への道のりを各種のデータで掘り起こしていく姿勢に、筆者の強い思いがにじみ出ている。

 ぼくは建築学科の院生だった半世紀前、地道な現地調査をもとに論文を書く先生や友人を見ながら、自分にはできないと何度も感じた。すぐ感覚的な結論にいきたがり、それを言葉にするともう満足してしまう…。研究者には向いていないと悟った遠い日々を再び思い出すことになった。

■名古屋の2都 対比つむぐ3組

 もうひとつ、ぼくにとっての白眉は第6章「名古屋の二都物語」だった。英国のデッケンズが1859年に物語を書いた「二都」の舞台はロンドンとパリだった。筆者は名古屋の街の歴史と現在を見渡し、次のような組み合わせの「ロン・パリ」を3組、提示してくれる。

ふたつの商店街 ごった煮にぎわいの「大須」
        名駅奥座敷の「円頓寺」

ふたつの大通  名古屋のシンボル「久屋」
        生活ギャラリー「若宮」

ふたつのミチ   変貌とげる「文化のみち」
        源流たどる「ものづくり文化の道」

 どの組み合わせも、それぞれの成り立ちの大きな構図は似ている。しかし、これまでの変遷の積み重ねは大きく異なる。だから醸し出す魅力もそれぞれの個性が際立ってきている。

 相似と相違を具体的に抽出し、やわらかく比較し、やさしく対比しながら「物語」にしてくれる。その筆致はある時は学者、ある時はコンサル、ある時は街歩きコンシェルジュのようだ。

 この3組の物語を読みながら、戦後の名古屋を語るのに欠かせないと思われる都市特性への言及がとぼしいことにも気づいた。「発達した人工空間(地下街と駐車場)」と「駅まわりの大規模再開発(名古屋駅と金山駅)」にはあまり触れていない。これらには路地や界隈性はないか、あってもとぼしい。サブタイトルの「消毒」と「物語」に込めた思い、都心に路地を求める熱い眼差しをここでも感じた。

■丹念な図表 細部に宿る街の匂い

 ぼくが惹きつけられた図や表は、4章以外にもたくさんあった。付箋をほどこしたところを順に拾い上げていくと—

雑誌「東洋経済」の名古屋特集タイトル (p34)
全国誌にみる5都市の記事の年代別変遷 (p36)
名古屋のご当地ソング7曲 (p39の本文内)
豊田家にかかわる戦前の歴史年表 (p65)
森村グループの戦前の歴史年表 (p67)
栄地区における路地空間の生成と特性 (p180)
大須地区における路地空間の生成と特性 (p183)
大須の老舗19店舗の一覧 (p231)
若宮大通沿線の自動車ショールーム (p255)
若宮大通の公園と沿線の利用 (p257)
白壁地区周辺の転用事例(非住宅、p265)

 魅力はここでも「細部」にある。人名や曲名、記事の見出し、路地の名前と番地、地図上の地名…。固有名詞がまとうイメージの連なりが読み手の記憶を引きずり出してくれる。そこからまた本文に戻ると、書き手の意図がより立体的に伝わってくるのだった。

■同い年で関西出身 建築学生として来名

 巻末の「おわりに」や筆者略歴によると、井澤氏は1952年に大阪市で生まれた。1972年に大学入学のため名古屋にきて、建築系の都市計画を学んだ。1978年に修士課程を終え、コンサルタントの仕事を経て2012年から大学で教えてこられた。

 ぼくも1952年に京都府舞鶴市で生まれ、1971年に大学入学のため名古屋にきて、建築を学んだ。1978年に修士課程を終えたあと、地元新聞社の記者になった。2010年に不動産部署に異動になり、2020年の退職まで中日ビル建て替えの計画案づくりを担った。

 生まれた年も、出身が関西であることも、大学に入るために名古屋に来てそのまま居ついた「外様」であることも、さらには建築学科で学んだことまで共通している。違うのは卒業後の進路だったけれど、設計士やゼネコン、公務員ではなく、文章や言葉を多く扱う仕事についたのは共通していたと思う。

都心ビジョン2030で知己

 井澤氏に初めてお会いしたのは、ぼくが不動産部署に異動した直後の2010年だった。名古屋市の外郭団体、名古屋都市センターが「都心ビジョン2030」をまとめるための研究会に外部メンバーとして加わった。井澤氏も参加されていて、幅広い知識にジョークを交え、やわらかな関西弁で名古屋論を展開されていた。

(▲栄バスタ将来像 右上に「3ビュー」)

 ビジョン2030をまとめる過程でぼくは、中日ビル前の栄バスターミナルの将来利用案として「中日ビルと三越の外壁も利用したパブリックビューイング」を提案し、新聞社の写真部や息子の協力も得てイメージ写真(右)も作成した。すると井澤氏からも提案があった。「大画面が3つなら『トリ(3)ビューイング』でどう?」。軽い笑みを浮かべながら、さらりと、さりげなく—。

 その後、ぼくが2020年に退職してフェイスブックを始めてからは「お友達として再会」し、ふたたび軽妙な文章に触れることができるようになった。そして今回の著作で「消毒都市」や「二都物語」に出会い、13年前に感じた言語センスのすばらしさを思い出したのだった。

「2都」の街歩き 古稀の愉しみに

 読み終わった日、妻と夕食をとりながら、次の街歩きはどこにいく?という話になった。ぼくは得意げに、名古屋の都心に点在する現役の路地とか、大須でいまも営業する老舗のこと、白壁町で市民開放されている屋敷跡などを「二都物語」風にしゃべっていた。

 みんな、この著作からの受け売りである。古稀の愉しみがまた増えた。この街を、もっともっと、好きになれそうな気がする。

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