1 ゴルフ 白球と戯れる

「尾根と谷」が隠し味 熟成の春日井CC …「井上誠一」巡礼4

430万㎥を造成 60年「らしさ」増幅

 名古屋近郊の春日井カントリークラブを5月1日に久しぶりに訪れ、名匠・井上誠一の設計コースを味わった。「平坦で広々」という印象を抱いていたが、造成前後の模型を初めて見てびっくり。もとは尾根と谷が連なる険しい丘陵で平地は乏しく、430万㎥もの土を切り盛りしてできていた。開場は東京五輪があった1964年だから高度成長の勢いもあったのだろう。60年の年月をへていま、尾根筋の樹木や谷筋の池は周囲に溶け込み、曲線や借景に宿る「らしさ」は熟度を増していた。

驚きのビフォーアフター 常識の3倍

 驚きの模型はクラブハウス2階の談話室に展示してあった。「造成前の山容」(写真①)では、険しい尾根が何本も走り、その間に深い渓谷が影をつくっている。


 縮尺は平面が1/3000、高低は1/600。高低差が5倍に誇張されているのを差し引いても、ゴルフ場にするには厳しい地形だったろう。過去3度きたことがあり「平坦で広々していてOBも少ない」という印象だったから、造成前の地形を知り驚いた。


 造成後の地形は「現在の模型」(写真②)。深い谷をはさんで、西と東に18ホールずつ造成されている。中央の一番高いところにクラブハウスがあり、連なる尾根を何本も削り、そこから出た土を谷に埋めてコースができていた。説明文(拡大写真③)にこうある。

 土量四三〇万立方米を動かしました。(名鉄百貨店の建物が一〇万立方米です)。従来は一八ホールズコース土量ハ、七十万立方米が常識 <原文まま>

 つまり、当時のゴルフ場造成で必要とみなされていた量の3倍もの土を切り盛りすることによって、一見すると緩やかな丘陵に造ったかのようなゴルフコースを作り上げたのだった。

高度成長期 東京五輪と同時に開場

<写真③説明文>

 このコースの開場は1964年10月23日だった。あの東京五輪(10月10日~24日)の開催中。設計と工事が進んだ時期は高度成長の真っただ中にあり、東海道新幹線や名神高速道路などの超大型プロジェクトも進んでいた。

 くわえて第1次ゴルフブームも起きていて、ゴルフ人口も爆発的に増えていた。通常の3倍の規模という超大型造成は、そうした時代の流れにも後押しされたように思える。

 1970年代に入ると、オイルショックによる不況がきて、公害への反省や自然環境重視の考えも社会に拡がった。

 春日井CCも、計画と工事があと10年遅ければ、これだけの規模の造成は難しく、コース設計もかなり異なっていただろう。

意識しない「尾根と谷」 徐々に「らしさ」

 ふたつの模型を頭の中で思い浮かべながら、西コースのアウトからスタートした。一緒にプレーしてくれたのは、3年前までの勤務先の同僚で、ひとりがここのメンバーだった(写真⑭)。

 ホールを重ねるごとに、少しずつだが、かつてここは尾根や谷だったという意識が消えていった。そのかわりに、私が探している「井上誠一らしさ」が視界にあらわれるようになってきた。

林間の響きあい バンカーのリズム

 3番パー4のフェアウェーからは、隣の1番、そのまた隣の9番を樹々のすき間から見通すことができた(写真4)。茨城県の大利根CCが浮かぶ。春日井の4年前に開場した林間コースだ。共通するのは、歓声やキンコーンが聞こえてくる「響きあう間合い」である。


 次の4番パー4のティーからは左側に12番のフェアウェーが並行して走っていた(写真⑤)。造成前には深い谷が横切っていたとみられる位置だが、目の前にそんな痕跡はない。斜面も樹木ももとの自然のままに見える。点在する白いバンカーが独特のリズムを生み、後ろの緑深い山波と緊張感を醸しだしている。

“峡谷”に 打ち下ろし 水面ゆらぐ池

 14番のパー3にきて、池越えホールと初めて対面した(写真⑥)。打ち下ろしだったので、もとが高低差ある丘陵だったのだと感じる。池の淵はゆるく不規則に湾曲していた。中央で噴水が動いているので、澄んだ水面に波紋が広がり、映りこんだ樹林も揺れている。


 バンカーの白やグリーンの薄緑、奥の樹々の深緑…。この曲線と色のグラデーションは、ゴルフ場にしかない人工美だろう。造成前模型をみると、もとは大きな尾根の西側斜面だったらしい。尾根を削った土で谷を埋めている過程で、池を造りこむ造成現場を思い浮かべた。

優美な曲線 借景に山並み

 17番のパー3は、「尾根と谷」と「井上らしさ」の共演だった(写真⑦)。尾根の頂点から打ちおろすホール。斜面途中に造られたグリーン面、その奥のマウンドやバンカーのせり上がりが作る曲線が、すぐ後ろの樹林、さらには遠くにみえる山並みの稜線とほぼ並行して波打っている。これは笠間東洋の5番パー3を想起させた。


 西インの最終18番も、細長い池の淵の曲線が、後ろの樹林や山並みと見事な調和を見せていた(写真8)。


 ベテランのキャディーさんにホールアウト後、「どのホールの景色が一番好き?」と尋ねたら即答で「東の18番です」。東18番グリーンはハウス前にある。ティーインググランドまで歩いていき振り返ってハウスを見たら、納得できた(写真⑨)。ホームページのトップ画面に使われていたのが、ここからの景色だった。

 模型で確かめると、尾根と尾根を斜めにつなぐような位置にフェアウェーが造られ、ハウス方向へと上っている。手前の池は谷を利用して造られ、美しい橋をはさんで3つのホールが関わりあっている。これは愛知カントリーの五合上池に似ていると感じた。

写真集『大地の意匠』のカバーに

 ぼくが井上誠一に魅せられたきっかけは、山田兼道氏が撮影した『大地の意匠-新版・井上誠一ゴルフコース写真集』だった。2004年に伊勢CCでプレーした時に売店で見つけて買った。日本女子オープンが井上コースの烏山城で開かれたときは、写真集を開きながらテレビ中継を見たりもした。


 山田氏はこの写真集のカバーに、38もの井上コースから、春日井の西2番を選んでいる(写真⑩)。グリーンとラフとバンカーが織りなす曲線が艶めかしい。この写真集は2003年に発行されており、撮影されたのは20年以上前かと思われる。


 ぼくもこの日、ほぼ同じ角度からスマホで撮影した(写真⑪)。2枚の写真を比べると、ふたつのグリーンの間のバンカーが今はない。右手前のラフの窪みも浅くされ、艶めかしさは少しとぼしくなったように映る。メンバーの話を思い出した。

 「ここは名物ホールのひとつなのですが、グリーンの間にあったバンカーはなくしたと聞きました。第1打をあのバンカーに入れる人が多く、ここで何組も待たされることが常態化し、メンバーの不満がたまったからだそうです」


 わかるなあ。ここは2番ホールだから、スタートしてすぐ”渋滞”に巻き込まれた際のイライラは想像できる。設計者と、ここを表紙に選んだカメラマンはどう思っているだろうか。プレーヤーが気持ちよく回れるのがいちばんと理解しているだろうか。それとも…。

谷底のアクセス坂道 スコアカードに

 自宅に帰り、いつものようにゴルフダイジェスト社のサイトにアクセスし、マイページに自分のスコアを記入していて、思わず声を上げた。スコアカードの表紙の写真が、あの東コース18番やクラブハウスではなく、アクセス道路だったからだ(写真⑫)。満開の桜のトンネルになっている。左右の壁は年輪を重ねた石積みだ。

 造成前後の模型を見直してみると(写真⑬)、この坂道はゴルフ場のほぼ中央、もとからある深い谷の底を南北に通っていて、クラブハウスにつながっている。この道をはさんで、東に18ホール、西に18ホールがつくられていた。


 ぼくはこの日の早朝、久しぶりに井上コースでプレーできる喜びと、ビッグスコアへの夢に満たされながら、この谷底の坂道を車で通ってクラブハウスに着いた。西コース1番ティーに立つと、尾根も谷も感じない、平坦な別天地が待っていたのだった(写真⑭)。



 このコースで白球と戯れたプレーヤーたちは夕方、ふたたびこの坂道を、今度は下りながら岐路に着く。胸に去来するのは、その日のプレーへの悔恨か、地形と石積み壁が思い出させる60年の歴史か—。この日のぼくは、その両方だった。

 この坂道の風情も、スコアカードへのこの写真の採用も、丘陵を利用した井上コースらしくて、しぶいなあ。もういちどこの坂道を上る機会があったなら、今度は、東コースを味わってみよう。

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