5 映画 銀幕に酔う

「阪神」から30年 「東北」も「コロナ」も…ドラマ『地震のあとで』

続く天災  巧みに取り込み映像化

 (原作・村上春樹、放映はNHKで2025年4月)

   <▲NHKの番組公式ホームページから>

 なんという巧みな設定変更だろう。原作の村上春樹作品『神の子どもはみな踊る』は1995年の阪神淡路大震災のすぐ後、ひとの内面に生じた衝撃を描く連作短編だった。映像化された『地震のあとで』(全4話)は、その後の30年間に起きた「東北」や「コロナ」も取り込んで進み「2025年の東京」で終わる。ぼくの日常生活の直下や隣に新たな天変地異が待っている―。この怖さを「健全なる魂」で見つめている。

■繊細さ保ち 主題は鮮明に

<▲原作カバーには副題『after the quake』>

 短編集『神の子どもはみな踊る』は、1999年の文芸誌初出時は「連作『地震のあとで』」と題されていた。文庫本のカバー表紙にも「after the quake」の副題がつき、1995年の震災で間接的に影響を受けた人たちの内面の変化を繊細なタッチで描いていた。ぼくは5月連休中に先に読み印象記も書いた。見出しは「大震災 魂のしこり 底で共振」とした。

 NHKドラマは、原作の副題『地震のあとで』をメーンタイトルにすえ、4月の土曜日夜、4夜にわたって放映された。ぼくは録画しておいて、連休後半に観た。あの繊細さをどう映像化したのだろうかと目をこらしつつ。

<▲第1話の1場面=公式HPから>

 第1話の『釧路にUFOが降りてくる』は、設定も進行も台詞もほぼ原作に沿っていた。岡田将生が、妻に去られた優男の戸惑いを忠実に好演していた。やはり村上春樹作品が原作の映画『ドライブ・マイ・カー』の印象に近い。

 なぜ妻は去ったのか―。釧路を訪ねた夫は、現地に住んでいた夫婦の妻がUFOを遭遇したあと、夫と子供を残して去っていったエピソードを聞く。超日常の体験が内面にしまっていた鬱屈を引き出してしまうことがある―。ぼくはそんな世界観を感じ取った。ドラマは原作の繊細さを失わずに、主題をより鮮明にしてくれたと感じた。

■神戸から30年 「宗教2世」も?

<▲第2話の一場面=公式HPから>

 ところが第2話の『アイロンのある風景』になると、時代設定が大きく変更された。原作は震災直後の1995年2月だったが、ドラマでは「2011年」に変更されていた。3月11日に東北大震災が起きた、あの年だ。

 ドラマでは3.11の未明、鹿島灘の浜辺で焚き火をしながら、絵描きの男(堤真一)とコンビニ店員(鳴海唯)が深い会話を交わす。交わす言葉は原作とほぼ同じだが、ぼくは「あの日」の午後、浜の沖合で阪神淡路より巨大な地震が起きたことを知っている。その会話は、原作より重く、切実に感じた。

<▲第3話の一場面=NHK公式HPから>

 さらに第3話の『神の子どもはみな踊る』になると、神戸の震災から25年後、2020年3月に設定されていた。新興宗教の活動と奉仕に熱心な母が、教団を離れて10年近くになる息子(渡辺大知)にかけてきた電話で「何かが起きる…」と予言するところから始まる。そう、あのコロナ禍の始まりだった。

 もうひとつ、教団や母親との確執に悩む息子の姿は、2022年7月8日に安倍元首相を銃撃した山上徹也容疑者とかぶって見えた。村上春樹氏がこの原作を書いたのは1999年だが、2009年の『1Q84』では宗教団体やコミューンを登場させている。今回の映像化で制作側は「宗教2世」のことも十分に意識していた、とぼくはみた

■「生き抜いて」 のんの声に救い

<▲第4話の一場面=NHK公式HPから>

 そして第4話の『続・かえるくん、東京を救う』の舞台は2025年に変更され、物語も続編の形になっていた。元信金課長補佐の男(佐藤浩市)は退職し、ネットカフェに住み駐車場の管理人をしている。「かえるくん」(声・のん)が再び現れ、地下でのたうつ「みみずくん」と再び闘う。

 「かえるくん」と地下に潜った元信金課長補佐に、バブル期の融資と債権取り立てをめぐる怨嗟の声が襲いかかる。それらを飲み込んだ「みみずくん」は爆発寸前だった…。つらく、しんどい場面だった。ラスト近くの「かえるくん」の声が救いだった。

 —「どうか生き抜いてください。何が起きても…」

■怖さと昏さ 底に「健全な魂」

<▲村上春樹のエッセイ>

 文字だけの原作短編よりも、映像と音声の融合が情感により強く訴えてくる―。今回もそれを感じた。巨大地震が人の内面にもたらす衝撃の大きさや、こころの奥底まで深く突き刺さっていく感じが、俳優の表情や効果音を通じてリアルに伝わってくる。ただそれは、原作がしっかりしているとの、ぼくがそれを先に読んでいたからでもあっただろう。

 2話から3話、そして4話へと進むごとにぼくは、なんともいえない怖さと昏さに圧倒されていった。その反面でぼくは、村上春樹のエッセイ『走ることについて語るときに僕の語ること』の一節を浮かべていた。

・体内の毒素に対抗できる自前の免疫システムを作り上げねばならない。
・真に不健康なものを扱うには人はできるだけ健康でなくてはならない。
・不健康な魂もまた健全な肉体を人用としている。
 (第四章『僕は小説を書く方法の多くを、道路を毎朝走ることから学んできた』から)

<▲映画『ドライブ・マイ・カー』ポスター>

 村上作品に登場する人物はみな、生きていくうえで困難や深い悩みを抱えている。今回の映像化でも描かれるのは、つらい場面ばかりだ。それでも4話を観終わって、そうした困難や辛さを真正面から書いたり、映像で描くことで、共感から癒しへとつながればと願う「健全な魂」もぼくは感じた。

 この映像化を制作統括した山本晃久氏は、映画『ドライブ・マイ・カー』のプロデューサーだった。この作品もほかの短編を巧みに取り込んでアカデミー賞作品に仕立て上げていた。今回の映像化でも、村上ワールドの底の底に流れる「健全な魂」をリスペクトし、引き出せていたと感じる。