2 小説 物語に浸る

生まれ育った舞鶴へ 郷愁の読書旅 … 宮本輝の最新小説『湾』

主人公は同世代 70余年を再体験

 宮本輝の最新小説『湾』は舞鶴が舞台だ。ぼくが生まれ高校まで暮らした街である。しかも主人公は昭和22年生まれの設定で、ぼくより5歳上の同世代。舞鶴湾の静謐を讃える描写にうなずき、戦前の軍港から敗戦後の引き揚げ港をへて、姿を変えていく街の様子をともにたどった。魅力的な姉・皐月と異父弟・光太の絆をうらやましく思い、なじみの食べ物や出来事も再体験できた。わが故郷の舞鶴は、墓じまいもすませてすっかり遠くなってしまったけれど、思わぬ新作小説の力で、郷愁の読書旅に浸ることができた。
 (新潮社、2026年5月刊)

書籍広告に「舞鶴湾だ!」

<▲5月30日中日新聞朝刊の広告>

 おもわず息を呑んだ。5月30日の早朝、中日新聞朝刊の1面をざっと読み、ページをめくったときだった。2面の下側に5段の書籍広告があり、こんなコピーが目に入った。

昭和34年京都・舞鶴で少年が観た、
一生思い出し続ける程に
幸福な風景と美しい出来事。

 昭和34年なら、ぼくも京都・舞鶴で「7歳の少年」だった。本の題名は『湾』の一字だけど、表紙には、ぼくの目に焼きついている眺望が描かれている。「これは、舞鶴湾だ ! 」。

主人公も筆者も22年生まれ

 読み始めるとすぐ、ぼくが故郷で暮らした時代と並行する物語とわかった。

 いまが令和5年、2023年の春ですから、わたしは74歳になりました。皐月ちゃんはもうじき77歳。いまでも夏はあの別荘で夕ご飯のおかずを釣り上げることを楽しみに家の前で釣竿を振っています。(p4)

 小説の「わたし(石丸光太)」は昭和22年生まれ。著者の宮本輝氏も22年生まれだから、光太は分身に近いだろう。しかも「74歳」は、この小説を読んでいるぼくのいまの年齢である。「舞鶴生まれの同世代読者」として没入していった。

姉弟の絆 家族の人生航路

 「皐月ちゃん」は光太の姉だが、父親が違う。皐月の父親は京都市内の老舗扇子屋の次男で、皐月が生まれてすぐ交通事故で死んでしまった。この物語は、皐月と光太という「きょうだい(姉弟)」の愛と絆を中核に進んでいく。

 「皐月ちゃんは背が高すぎるねん。ちょっと踵の高い靴を履いたら180センチくらいになるやろ?  日本の男は皐月ちゃんと並んで歩いたら劣等感に襲われると思うなあ」
 そう言いながら、わたしは、いや身長だけではないのだと思っていました。石丸皐月という21歳の女性の「ゆったり感」は喋り方や身のこなしだけではなく、漂わせる雰囲気の奥のどこかに冥伏(みょうぶく)する人間性全体から出てきて、ああ、この人には勝てないなあと思わせるのです。細い棒みたいなのに綿菓子のようでもあり、どこにも威圧感はなく、頼りなさげなのに、抱擁されているような気持になる…。わたしにとっては、姉の皐月はやはり妖術使いなのです。(p224)

 ぼくは4人兄弟の末っ子で、姉はいない。だからこのくだりはうらやましい。こんな姉弟の人生に、一緒に暮らす家族や親せきの人生航路が重なっていく。

 なかでも母方の祖父「タワシ爺ちゃん」と、彼の従兄の「マジナイ爺ちゃん」のふたりが強い磁力を放ち、物語を引っ張っていく。彼らが戦時中になにかとんでもないことを成し遂げ、戦後も秘密にしてきたことが徐々にわかっていく。その無謀さと奇跡に、ぼくは虚をつかれた。老人たちの冒険譚が、この舞鶴物語を骨太にしている。

静謐な舞鶴湾 「人」の字

 もうひとつの読みどころはやはり、地名とその景色だった。あああそこだ、とうなずきながら読む描写はいろんな記憶を引っ張り出してくれた。ときに甘く、ときに苦く…。もちろん主役は、小説の題名にとられている舞鶴湾だ。

<別格の品格 舞鶴湾>

<▲若狭湾と舞鶴市・舞鶴湾 (赤い点線の枠内) =グーグルマップから>

 この若狭湾のお陰で、その湾内に静謐でなにものにも侵されることのない美しい数個の湾が庇護されていて、そのなかでも舞鶴湾の美しさは、別格の品格と郷愁と目には見えない生命の部品の一部分としての光輝をわたしに感じさせつづけてきました。
 若狭湾が膨らみの豊かなてのひらだとすれば、その南の隅のほうにある舞鶴湾は、ハートマークをさかさまにしたように見えます。ですが、カメばあちゃんは高名な書家が書いた「人」という字だと言い張りました。ゼンエイ的な「人」だと。(p7)

<▲舞鶴湾と、五老ケ岳にあるスカイタワー(中央)=グーグルマップから>

 なるほどと感心した。ぼくはこれまで、あの舞鶴湾を「ハートマーク」や「前衛的な書」になぞらえた見方を聞いたことがなかった。

<五老ケ岳からの眺望>

 <▲五老スカイタワーから見る舞鶴湾=舞鶴観光ネットから>

 西側の半島は盛り上がるような厚みで湾にせり出し、右側のもっとも大きな半島は湾の真ん中を狭めて湾全体を人の字型にさせていますが、その狭め方が、見ようによっては眼下の湾にギリシャ彫刻の陰影に似た影をもたらしているのです。けれども、その陰翳は柔らかくて、尖った凹凸の厳しさは感じさせません。どこまでも優しくて静かな湾でありつづけています。角張ったものは風景のなかにひとつもないのです。(p75-76)

<▲本のカバーを広げると。舞鶴湾のイラストが美しい>

 ぼくも五老ヶ岳には何度も車で山頂まで行き、舞鶴湾を眺めた。「角張ったものがない景色」にうっとりしてきた。でもこの小説で「ギリシャ彫刻の陰影に似た影をもたらしている」という表現には驚き、写真やカバーイラストを何度も見入った。わかるような、わからないような…。

一生忘れない幸せな記憶

 主人公の光太が、姉・皐月や家族と舞鶴で暮らした日々は、いろんな色彩を伴っている。なかでも次の2場面は舞鶴湾と重なり、とくに甘美だ。

 (中略)単なる目の錯覚なのか、いまでもわからないままです。
 ですが、わたしは見たのです。船着き場の先端に座って足を投げ出している皐月ちゃんにまとわりつくように、それらの濃い群青色の濡れた俊敏な生き物たちは、月明かりによってゼリーのような粘りを光らせながら、皐月ちゃんを取り囲んでいたのです。
 「あれはサヨリや。あれはマダイや。あっちに鰺。あっちにはサワラ」
 わたしがそう言った瞬間、湾から来たものたちはふっと消えてしまいました。(p51)

 

 それほどに、あの夕日の湾の西側の小道を歩いて帰る道筋での3人のおしゃべりが、わたしは楽しかったのです。一生忘れられないほどの楽しさ、というものを人はいったいどれほど持てるのでしようか。
 そのような思い出を三つも四つも話して聞かせることができる人は意外なほどに少ないものです。(p185)

 
 こんな思い出のわきにはいつも舞鶴湾があり、かわらぬ安らぎを彼らに与えているのだった。

 こんな感じの情緒の描き方は、宮本輝が1978年に発表し芥川賞を受賞した『螢川』をほうふつとさせる。この小説の舞台は富山で、なんと、ぼくの初任地だった。その年の1月に赴任していたから、受賞後すぐに読んだのを覚えている。

<▲(左)『螢川』 (右)『湾』カバーの筆者略歴>

引き揚げの街 「都」との距離

 小説では舞鶴の社会的側面もたくさん出てくる。ぼくがいちばん大事に感じたのは、舞鶴の港と街の歴史的な役割とその変化だった。

<戦前・軍港 →戦後・帰還者>

 

 この若狭湾のなかにある小さな湾のひとつである舞鶴湾は、戦前戦中は軍港として使われて、戦後は主にソ連からの引揚兵たちが帰ってくるための港として使われました。
 たしか昭和33年ごろに引き揚げ事業そのものが終了して、(中略)「岸壁の母」「岸壁の妻」はほとんどいなくなりました。
 それと同時に舞鶴の住人たちの生業となっていた帰還者を迎えに来た家族たちのための木賃宿、いまなら民宿とでも呼ぶような宿屋も食堂も店を閉めざるを得なくなって、大漁が見込める大きな漁場のない漁師たちは、新しい稼ぎ方を模索するしかなくなったのです。(8p)

 ぼくの父は戦後、市役所の職員になり、ソ連からの引き揚げ者の受付業務もした。ぼくが小学生になると同時に引き揚げ事業は終わったけれど、引き揚げ記念館も含めて、引き揚げの街の光と影はいまも残っている。

<ともに京都府だけど>

 この物語の舞台には、京都市内の街ももくさん出てくる。皐月の父は京都の老舗扇子屋の次男だったが早死し、長男夫婦に子はなかった。皐月は扇子店の跡継ぎ含みで高校から京都市内で住み始める。光太も京都の大学で薬学の勉強をするため、京都市内で暮らし始めるからだ。そのうえでこんな言及も。

  皐月ちゃんは舞鶴で生まれました。舞鶴も京都府なのですが、京都のど真ん中に住むいわゆる「洛中」の京都人から見れば、舞鶴などは日本開のどこかの「どいなか」で、
 「ええ? あそこは福井県とちゃいますのんか」
 とからかいの笑みとともに訊かれる僻地なのです。(p13)

 この距離感は、当時の舞鶴の人たちの間では共通の認識だった気がする。高校生が大学進学するとき、ぼくのころは7割は京都の大学を選んでいた。ぼくには3人の兄がいて、長兄と3兄も京都の大学へ行った。小説の姉と弟のように、京都駅で国鉄山陰線に乗り、舞鶴へ帰省していた。

 2番目の兄とぼくは名古屋にある大学を選んだ。でもぼくは名古屋でも「出身は京都の舞鶴です」と言ったとき、相手の方が口には出さずとも「えっ、舞鶴って京都だったっけ? 」という疑問を頭に浮かべたと感じることは、いまでもある。

「舞鶴」舞台は3作目

 故郷の舞鶴を舞台にした映画や小説のうち、ぼくがこれまでに観たり読んだりしたのは次の2作品だけだった。

映画『飢餓海峡』

<▲「日本映画名作全史」から>

 原作は水上勉が書いた1963年の同名小説。水上は舞鶴と山ひとつはさんだ福井県の村の出身だった。終戦直後に津軽海峡で起きた洞爺丸事件を追った作品で、映画は1965年に公開された。
 犯人は引き揚げ者であふれていた舞鶴に潜伏し、東舞鶴署の刑事を高倉健が演じた。ぼくは2007年にDVDで観て、印象記をこのHPで公開している。

三島由紀夫の小説『金閣寺』

<▲新潮文庫>

 1950年の焼失事件を題材にした1956年の小説。火をつけた林承賢が舞鶴市の北東部にある村のお寺の生まれで、東舞鶴中学校(現在の東舞鶴高校=ぼくの母校)に通ったことから、小説の前半に舞鶴が出てくる。このことは高3のとき、三島が自決事件を起こした時に知った。読んだのは大学生になってから。手元の文庫本の奥付には「昭和47年 30刷」とある。

 ほかにも、大好きな作家、高村薫の『神の火』(1991年)も舞鶴を舞台にし、架空の原子力発電所をめぐる物語を書いているけれど、読めないまま今日にいたっている。そういえば高村薫はぼくと同学年で、大阪の生まれ。宮本輝は5つ上で神戸の生まれだ。関西出身の作家にとって舞鶴は創作意欲にかられる土地なのだろうか。