
「不殺」の波紋 乱世の「救い」
おびただしい人が殺し殺される戦国乱世、信長に謀反した荒木村重(本木雅弘)が籠城する有岡城が舞台だ。4月に読んだ原作は4つの怪事件と謎が含みある言葉とからみあっていて、言語脳がフル回転した。黒沢清監督はそれらを真正面から映像化し、目と耳も思索の海に放り込んでくれた。なかでも地下牢で村重が黒田官兵衛(菅田将暉)と繰り広げる心理戦にぞくぞくした。ふたりの演技と映像の力だろう。
(監督・脚本=黒沢清、6月20日、TOHOシネマズ赤池)
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<注> 本文にはネタバレにつながる表現も含まれています。気になる方は、先に原作を読むか、映画をご覧ください。
村重の「不殺」 官兵衛の痛み
映画は籠城中の有岡城を官兵衛が訪ねる場面から始まる。信長の命を受け、村重を翻意させようとやってきた。しかし村重は説得に応じず、官兵衛の「それなら殺して、この首を信長に送れ」という求めも無視し、地下牢に閉じ込めてしまう。
村重のこの「殺さず」という姿勢が、その後の展開で大きな意味を持っていく。信長は必要と思えば女こどもの皆殺しも躊躇しない。そんな信長への反発が謀反の原点にある。官兵衛もそう指摘し、揺さぶりをかけるのだ。

さらにこの「殺さず」は、官兵衛にも苦痛をもたらす。官兵衛は寝返ったのだと信長に判断され、息子・松寿丸は殺されたと官兵衛は思い込む。その恨みもこめて繰り出す言葉と知略が最後の提案につながっていく。
この「殺さず」が乱世で何をもたらしたか―。この観点を映画はより明確に打ち出しているように感じた。帰宅後に公式サイトで相関図(写真)を見て確信した。主要人物には立ち位置を示す2文字がつけられ、真ん中の荒木村重は「不殺」だった。
暗い牢 ひりひり交情
「殺さず」の村重と、生きたまま地下牢に入れられた官兵衛。ふたりの武将のひりひりしたやり取り、あるいは不思議な間合いをどう映像化するかは、この映画の生命線だった。
村重と官兵衛は旧知の間柄で、村重が戦(いくさ)上手であること、官兵衛が明晰な頭脳を持つことを互いに認めていた。地下牢で対決したり、怪事件のなぞ解きを繰り返すうちに、距離がつまっていくように見えた。

映画では、最後のほうの牢内面談は、旧友の酒盛りのようになっていく。ふたりの交情の変化と、どろどろしたものが底に流れている様は、口ぶりや表情からしっかりと伝わってきた。この描き方は、映画の方に訴求力を感じた。映像の力は大きい。
「端正」本木 「黒光り」菅田
村重を演じた本木雅弘は、これまでにぼくが観た映画でもさまざまな役を演じてきた。
・『スパイ・ゾルゲ』(2003年)の尾崎秀実
・『おくりびと』(2008年)で納棺師
・『海の沈黙』(2024年)で孤高の画家


<▲ (左)『スパイ・ゾルゲ』 (右)『海の沈没』>
どの役も「モッくん」ならではの世界観をまとっていた。今作品でも、持ち前の端正な口調やふるまいが「殺さずの村重」と溶けあっていた。
菅田将暉の演技を映画で観たのは初めてだった。放映中のNHK大河ドラマ『豊臣兄弟!』では、官兵衛とともに秀吉に仕える竹中半兵衛を好演し、6月14日(日)の放映回で病死していた。この映画の公開日(19日)にあわせるように。
歴史では竹中半兵衛も軍師として有名なだけでなく、官兵衛が有岡城に幽閉された後、官兵衛の息子の松寿丸を信長の手から匿ったまま死去したことでも知られる。小説『黒牢城』と、21日放映『豊臣兄弟!』は官兵衛父子の再会で終わったが、映画『黒牢城』に半兵衛は出てこない。
菅田将暉はつんとすました感じの表情の裏に愛嬌と知性を同居させていて、目力が多彩で、口調は明晰で通りやすい。この映画では、冒頭を除けばいつも地下牢にいて、両手両足は錠でつながれたまま。そんな極限状態でも明晰な頭脳で村重と対峙し、なぞを解き、籠城戦の出口案を授ける軍師を演じきっていた。
小説の印象記でぼくは、こう書いた。「地下牢の黒田官兵衛が発する凄みが物語を『黒光り』させている」。映画での菅田の印象も変わらなかった。
なぞは解けた でも残るなぞ
城で起きる怪事件のなぞ解きをどう映像化するかも、もうひとつの見どころだった。事件が起きるたび、村重は調書を懐に地下牢まで降りていき、官兵衛に読ませてなぞ解きをさせ、それをもとに村重が現場に戻り確認していく。

原作は2021年の直木賞とミステリー4冠に輝いた。映画もここがしっかりしていないと話にならない。ぼくは映画がどこでどう伏線を張り、どう映像化するかに目を凝らし、映画人たちの技を楽しんだ。
官兵衛の幽閉から10か月、4つの事件が重なっていく。トリックが明らかになっても、だれがなぜそれを仕組んだかまではわからない。不穏な空気が城内で深まっていく様は、慎重にスクリーンに刻まれていった。
ここに説得力があるから、城内の士気の低下や乱れを気にする村重の心理や、最後に判明する仕掛け人の動機は伝わってきた。
退けば地獄 千代保の「救い」
原作が直木賞とミステリー4冠に輝いた理由のひとつは、映画の相関図で村重の側室・千代和(ちよほ)につけられた「救い」の描き方にあるだろう。
戦国時代の戦(いくさ)では、おびただしい数の人が命を落としていった。武士だけでなく、域内の農民や女こどもも。そんな乱世に生きる民は救いをどこに求めたのか。それもこの物語の主題になっている。
進めば極楽、退(ひ)かば地獄―。小説はこの言葉で始まる。信長に反旗を掲げた一向一揆の掛け声だ。映画では最後に、千代保が長島一揆の地獄絵体験を述懐するなかで出てくる。乱世の民は、この言葉では救われない、と。来世には「御仏(みほとけ)の救い」「御仏のご加護」が待っていると信じられなければ救われない、と。
ぼくは正直に言うと、映画を観終わった後も、千代保の切なる願い、この物語の芯にある主題まで理解できたという自信はない。あの時代の死生観や宗教観について知識がほとんどないからだろう。映画ではここをもっと深掘りし、映像化してほしかった。
村重の決断 いろんな解釈ありか
物語の最後に村重が下す決断も、ぼくには、家臣思いの男がなぜという疑問が映画を観てもなお残った。小説も読んでいるから理屈は想像できる。千代保の最後の言葉と、官兵衛が最後に授けた策が重なって、村重に響いたのだろうと。
つまり、千代保は、来世には「御仏のご加護」があると信じることが救いになると語った―。官兵衛の策は、自分の名声を貶める「毒」とわかりながらも、求める価値がある「救い」に思え、武士として賭けてみたいと思った―。
荒木村重はもともと謎の多い武将とされている。最後の行動は史実だとしても、その理由や背景については、いろんな解釈が成り立つのだろう。原作小説も映画もそれを前提にしているのだろう。

黒沢清監督は、いろんな解釈ができることを是として脚本を書き、監督したかもしれない、という気もする。
黒沢監督がやはり脚本も手がけた『スパイの妻』(2020年)も、観客がいろんな見立てができることを前提にしているように思え、印象記にはこんな見出しをつけた。「深い闇 多彩な論点 そして夫婦愛」。この見出し、映画『黒牢城』にも通用しそうだ。
