5 映画 銀幕に酔う

「孤高の画家」モッくん熱演 荒々しい油絵も主役…邦画『海の沈黙』

贋作騒動に浮かぶ「美の本質」

 倉本聰(89)が脚本をてがけた映画『海の沈黙』を28日に観た。「本物と贋作」という画布に「美の本質は何か」という難題をぶつけている。本木雅弘(58)が演じる孤高の天才画家が、鬼気迫る様で絵筆をふるう場面が圧巻で、画面に出てくる絵も強烈な存在感を発していた。帰宅後のネット検索で、これらの絵は、岩手県二戸市の農業兼洋画家の高田啓介(72)が提供し、演技指導もしたと知って驚いた。隠れた主役だと思う。

 (倉本聰原作・脚本、若松節朗監督、11月22日公開、伏見ミリオン座)

 <(左)アトリエ場面=公式HP(右)パンフ表紙>

■本木雅弘『おくりびと』彷彿

 なんといっても本木雅弘の演技がすごい。立ち居振る舞い、目の力…。鋼鉄と熱情が、心と身体の心棒に同居している。15年前に観た『おくりびと』の印象記で、ぼくはこう書いた。

 ーー本木雅弘の本来の生真面目さと正統さが生きている。15年前のインド旅行で見つめた『生と死』の問題をここに結実させた。人間としての力か。

 この印象はそのまま、今回の『海の沈黙』にあてはまる。中日新聞の記事によれば、倉本聰は「本木をイメージして脚本を書いた」という。モッくんは、揺るぎない信念を持つ人物を演じたとき、心の底にある信念も焦燥も寡黙にかもし出せる。

■登場絵画に迸る躍動感

 テーマの「本物と贋作」「美の本質は何か」は、映画に出てくる絵画と、劇中で描かれる絵画にも説得力がなければ話にならない。この映画は画家も贋作事件もフィクションだから、有名な絵は使えなかっただろう。

 ということは、観客のほとんどが初めて見る絵画を使うしかない—。実際に出てきた絵画はどれも、ぼくはこれまでにどこかで観たという記憶がなかった。

 <制作中の画家(本木雅弘)=公式HPから>

 しかしどの絵画も力がみなぎっていた。海の荒々しさがほとばしるタッチには驚いた。冒頭の展覧会場面に出てくる『落日』から、天才画家が余命をかけて描きあげる作品まで、どれも野生的な躍動感に満ちていた。しかも本木の熱演にも負けない強烈なオーラ、生命力を放っていた。

■岩手二戸市の画家が提供

 エンドロールに「絵画協力:高田啓介」とあった。パンフにもその記載がある。自宅に帰ってネット検索すると、こんな記事や情報が見つかった。

<▲記事①の写真=朝日デジタルHPから>
<▲記事③個展パンフ=FBから>

 映画のスタッフは、いつどういう経過で高田氏に注目し、高田氏はどういう心境で協力したのだろうか。映画公式HPは触れてはいないけれど、いろいろと推測している。

 これも「アフターシネマの愉しみ」のひとつだろう。

■中井貴一のまっとうさ

 主演の本木雅弘を取り囲む俳優も、実力派そろいだ。かつての恋人を小泉今日子、「番頭」を自認する男に中井貴一、芸大時代の同級生を石坂浩二と中村トオルが演じている。

 ぼくは中井貴一(63)に注目した。浅田次郎原作のテレビドラマ『母の待つ里』を観たばかり。倉本聰脚本のドラマでは『風のガーデン』の主演がすばらしかった。

 中井貴一が演じる番頭は、孤高の画家の天賦を認め、生き様を支えてきた。「美」についての倉本聰の考えを、きちんとした言葉で代弁する役も担っている。ただぼくにはすこし違和感も残った。

 主役の天才画家は、絵を描くことに身を燃やし続けたい性(さが)のもと、破滅的に見える生き方をしてきた。本木雅弘がかもしだす「規格外の個」と、中井貴一の生来の「まっとうさ」がハレーションを起こしていないか—。本木雅弘と中井貴一。ふたりのファンであるゆえの贅沢な感想なのかもしれない。

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