硬質な文体が 読み手の推理を誘う

 この作家は近年のミステリー年間ランキングで4度も「3冠」に輝いており『可燃物』は2024年の3冠だ。舞台は群馬県で、主人公は県警の葛(かつら)警部。4月に読んだ22年3冠の『黒牢城』は戦国時代の摂津・有岡城が舞台で、荒木村重が主役だった。時代も設定も異なるのに、事件が起きるとどちらも証言や物証をかき集め、ばらばらにみえる証拠群から一気に真相に迫る。クールで硬質な筆致が逆に読み手を捜査に誘いこみ、「材料みな出たよ、さあ推理を」と刺激してきた。
 (文春文庫、単行本は2023年7月刊)

証拠を対等に並べ「?」へ

<▲帯を外すと>

 このミステリーは5つの中編から成っている。どの編でも群馬内で事件が起き、葛警部の班が捜査に入ってから犯人逮捕までを描いていく。最初の事件『崖の下』の末尾にこうある。

<▲筆者略歴>

 ――県警捜査第一課葛班の刑事たちは、夜のうちに、自分たちの頭越しに上司が事件を解決したことを知った。彼らは葛をよい上司とは思っていないが、葛の捜査能力を疑う者は、一人もいない。(p53)


 葛の班の捜査方法はシンプルで徹底している。
 ・葛が全指示を出し結果はすぐ報告させる
 ・どんな証拠もないがしろにはしない
 ・どんな証言もかならず裏をとる
 ・大事と思う捜査には葛が出張る
 ・証拠は対等に並べ理詰めで「?」を追う

『黒牢城』の荒木村重と同じ

 読み始めてすぐ、この葛警部って『黒牢城』の荒木村重と似ているなあ、と思った。村重も、城のなかで不思議な事件が起きると、現場で的確に証言や証拠集めを配下に命じ、大事な検証はみずからが差配した。それでも真相がわからないと、地下牢にとじこめている官兵衛に集めた材料をすべて話し、官兵衛の推理を求めていった―。

イチ推しは『ねむけ』

 5つの中編のなかで、ぼくのイチ推しは2番目の『ねむけ』だった。一線の刑事たちは葛警部の指示に従い、そこまでやるのかと思うような防犯カメラ映像探しや、証言集めに走りまわる。警部に集まってくる証言や資料はばらばらで、つながりがあるとは思えない。この編が終わりに近づいても、糸口らしきものさえ浮かばなかった。

 それが残り4ページで急展開する。見事な切れ味だった。真相にたどりついたとき、そうか、ヒントはあそこだったのかとページをもとへ戻った。そこには、捜査を始めてから3日間で4時間しか眠ていない葛警部の様子が、こう書いている。

  暴力的なねむけが葛を襲う。眉根を強く揉んで、辛うじてそれを追い払った時、葛は自分が問いへの答えを知っていることに気がついた。(p111)

 この事件では、コンビニやオンラインゲームといった現代的な風景も描かれていく。作者はそこに、人類普遍の「眠気」という生理現象をからませた。こんな組み合わせからミステリーをつむぎ出せるなんて…。

「動機」に付箋 プロ解説と一致

 作者は、葛警部の捜査の進め方について、随所で、抽象的な文言の”解説”を織り込んでいく。そのなかでも「これは至言」と感じた表現があり、そのページに折り目をつけた。それは表題作『突起物』の終盤に出てきた。

  ふだん捜査に際して、葛は動機を重視しない。動機とは、ひっくるめて言ってしまえば「欲望」に尽きる。ふつう人間の欲望はありきたりで、そのほとんどが金銭欲と性欲と憂さ晴らしに集約される。だが、その三つでは説明のつかない欲望というのも確かに存在していて、それらは人智を尽くしても予測することができない。予測できないものを頼りに捜査をすれば迷路に迷い込む。だから葛はふだん、動機を重んじない。(p230)

 本文を読み終えたあと、余韻に浸りながら「解説」に目を通していたら、なんと、この「動機を重視せず」の部分が取り上げられていて、驚いた。著名なミステリー作家、有栖川有栖氏がこう書いているのだ。

  難航する捜査の中で「ふだん捜査に際して、葛は動機を重視しない」というくだりがある。そんな彼でも今回は動機を探らずにはいられない、という場面なのだが、動機を後回しにする姿勢はまさに本格ミステリのものであり、傍線を引きたいほど共感を覚えた。動機から真相にたどり着けるなら、推理は要らないのである。(p313)

 

 <▲宣伝帯には「スペシャル解説 有栖川有栖」とある>

 プロの書き手に近い目線だったことが、ちょっぴり誇らしかった。「傍線を引きたいほど共感を覚えた」。この部分を何度も読み返したのだった。

「3冠」8作品 愉快な横展開

 ミステリーの年間ランキングに関しては、2026年の最初に読んだ本に『失われた貌』を選んだ理由に言及しなくてはならない。2025年の「ミステリー3冠」だったから、である。印象記の最後にこう書いた。

<▲この帯にも「3冠」>


ミステリー小説の世界では、年末になると、専門誌や週刊誌が発表するランキングが話題になってきた。2025年は次の3誌が『失われた貌』を国内部門のベストに選んだ。
 △『ミステリが読みたい! 2026版』(ハヤカワミステリマガジン2026年1月号)
 △『週刊文春ミステリーベスト10 2025』(週刊文春2025年12月11日号)
 △『このミステリーがすごい! 2026年版』(宝島社)

 ネット上で見つけたサイト「不思議の国の図書室」によると、運営する「べにまる」さんは、原書房の『本格ミステリ・ベスト10』を入れて「4大ミステリランキング」と呼び、これまでに3冠以上を達成した小説は、次の5氏の計8作品だと紹介している。
 △東野圭吾『容疑者Xの献身』
 △米澤穂信『満願』『王とサーカス』『黒牢城』『可燃物』
 △今村昌弘『屁人荘の殺人』
 △辻真先『たかが殺人じゃないか 昭和24年の推理小説』
 △青崎有吾『地雷グリコ』
 このうち東野圭吾と辻真先の2冊はぼくも読み、印象記をこのサイトに公開している。米澤穂信はまだ読んだことがない。4度も3冠になっていたとは。これでまた、読みたい本が増えてしまった。こんな横展開も、愉しい。

 そう、「こんな横展開」の結果、『失われた貌』のあとに『黒牢城』と『可燃物』を読み、いろんな「3冠」を味わったのだった。