発売日いっき読み 溶ける現実 時空を自在に浮遊…村上春樹『夏帆』

77歳 ハルキワールド健在
発売日の3日、朝いちばんに書店で購入し、5時間かけて一気読みした。26歳の女性絵本作家、夏帆(かほ)の身辺でおきる不思議な出来事を追ううちに、ブラジルからトンネルを抜けてきたという「ありくい」が生き生きと語り出し、現実と非現実の境目が溶けていった。日常から幻想へ、小説から絵本へ。時空を自在に浮遊するハルキワールドは77歳になっても健在だった。
(新潮社、2026年7月3日発刊)
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開店即入店 景品ステッカー


3日早朝に自宅で朝刊を開くと、予想通り、2面下に大きな書籍広告があり「最新長編、本日発売!」の文字が躍っていた(写真①)。見慣れない動物の木彫りが横を向き、口の先に「あなたは武蔵境に越さなくてはなりません。それも今すぐに」。たくさんの余白にはすでに非現実感が漂っている。
近くの書店に午前10時ちょうどに着き、開店と同時に入店すると『夏帆』は最前列に平積みしてあった(写真②)。スマホで写真をとっていると、ほかの客2人が1冊ずつさっと手に取り、ページを開くこともなくレジへ向かっていった。ぼくと同年代の男性と女性だった。

ぼくも1冊を手にレジへ行き清算すると、はがき大のステッカーシートを景品として1枚くれた(写真③)。ありくい(ANTEATER)とジャガー(JAGUAR)の木彫りの写真がはがせるようになっている。好きなものに貼って小説の余韻を愉しんで、という主旨らしい。
すぐに帰宅し、ステッカーシートをわきに置いて読み始めた。しばらくして「ありくい」がでてきた。佳境に入るとジャガーも出てきた。かれらが登場するたびに、その姿をステッカーで確認しながら読み進めた。昼食やコーヒータイムをはさんで延べ5時間、347ページを一気に読み終えた。
26歳 母と確執 初の女性主人公

主人公の『夏帆』は26歳で、東京都足立区「花畑」のアパートに住んでいる。美大を出て4年の絵本作家。単発のイラスト依頼もこなすことでなんとかひとり暮らしを続けている。ありくいの”助言”で武蔵野市「武蔵境」に引っ越し、一軒家に住み始めてから物語は佳境に入っていく。
夏帆の実家は埼玉の浦和にある。父は小児科の開業医、母は専業主婦。ひとりっ子だ。ひさしぶりに実家に戻った夏帆が、母の異変に気づくところから現実と非現実の境が溶けだし、時空がいったりきたりする。ぼくは読みながら「きたきた!」とうれしくなっていった。
読み進めるうちに、夏帆の母に対する確執や、こころの奥に抱える葛藤が、物語の核心部にあるとわかってきた。本の帯によると、この作品は「3年ぶり16作目の長編」「女性を主人公にした初の長編」。3日朝刊のインタビュー記事で著者はこう語っている。
「もちろん僕は、女の人がどういうふうに世界を見ているか、想像でしかわからない」「小説家というのは何でもなれるんです」「父と息子ではなく、母と娘だから書きやすかったこともあるかもしれない」(朝日新聞)
「僕はいま77歳だけれど、できれば自分とは全然違うものの目で世界を見たいという気持ちがあります」(中日新聞)
実際の「26歳の娘」と「50歳の母」に近い女性読者たちがどう読むだろうか。ハルキワールドをぼくのように楽しめるだろうか。その女性の生い立ちや親子関係によってまったく違うのではないだろうか。
作中作 絵本も並行 物語に深み
この作品のもうひとつの特色は、夏帆が絵本作家として構想する新作の物語が、小説の進行と並行する形で織り込まれていくことだろう。小説では「作中作」、映画や舞台なら「劇中劇」とよばれる手法だ。

絵本は幼児や子どもが読者だ。親が子に読み聞かせする場面も想定している。小説の中で夏帆が新作絵本の展開を考えているとき、死や殺人を織り込まざるををえない場面が浮かぶと、夏帆は「こんな場面は子供が怖がるし、親の読み聞かせにもふさわしくない」「編集者がダメ出しするだろう」と独白するところが出てくる。
作中作についてのそんな揺れる思いは、小説本体の本筋とも重なっていく。この二重構造も、現実と非現実の行きつ戻りつと呼応し合って、小説に深みをもたらしている。見事だ。
直視と幻想 行きつ戻りつ
現実と非現実、リアルと非リアル、直視と幻想、日常と夢想…。この作家の最大の持ち味は、この小説でも何度も現れては、消えていった。
これまでの小説では、それらの境目は「穴」や「壁」だった。この作品では、さびれつつある駅前商店街の一角にある刃物研磨店「とぎや」なのだろう。

しかし行きつ戻りつの境目は、今作品では多くが、夏帆の脳のなかにある。読者のぼくを行きつ戻りつへと誘っていく筆者の筆は、今回もあくまで自然だ。強引に腕力で引っ張っていかれる感じはまったくなかった。
小説に登場する人物で、名前が記されるのは主人公の「夏帆」と、編集者の「町田」、モーターサイクル男の「佐原」くらい。真帆の両親は「父」や「母」とあるだけで、名字も下の名前も出てこない。
筆者は漢字の名前が持つ固有のイメージが物語に雑味をもたらすのを嫌っているのかもしれない。そんなところにも、読者も境目を自然にまたげるように、という狙いを感じる。
巧妙スパイス 随所に
この作家を読む愉しみは、サイドメニューにもあると思ってきた。巧みなたとえ、深みある真理、パスタ料理、上質な音楽の4つだ。この作品では、残念ながらパスタは出てこなかった。でもほかの3つは、絶妙なスパイスとして物語に奥行きを与えていた。いくつか引用してみよう。
<巧みなたとえ>
文と文の間に、さりげなく、さらっとでてくる。でしゃばらず、的確。過去作品と同じ比喩を使うことはない。一語一会なのだ。
ファン・ゴッホなら、父親をモデルにして素敵な肖像画を描いてくれるかもしれない。「浦和のある小児科医の肖像」とか。(P11)
鋭い矢先が天井の照明を受けて眩しく光った。昇ったばかりの朝日を受けた真新しいつらのように。(p265)
<深みある真理>
人生や人間心理に潜む真理ついての哲学的な言い回しが、ふさわしい場面で、こちらもさらっと出てくる。
真実はひとつとは限らない。真実は時としていくつかの側面を持つ。見る角度によって真実は様相を変える。(p198)
我々が人生において体験する深刻な混乱の大半は、原因と起因の間に等価性が見いだせないことによって生じるということだ。(p261)
<上品な音楽>
筆者は音楽好きでも知られる。作家デビュー前はジャズ喫茶のマスターをしていたし、クラシックレコードの本も書いている。小説でもさりげなく、さらっと楽曲がはさみこまれる。
夏帆はコレクションの中からパブロ・カザルスの指揮したバッハの『ブランデンブルグ協奏曲』の、ボックス入りアルバムを選び、1枚をレコードプレイヤーに載せ、針を落とした。(中略)「この演奏はずいぶん力強いけれど、同じくらいずいぶん優しいよね。柔らかな栗色の毛並みの、たくましい熊さんみたいに」。(p301)
幸福な人だと夏帆は思った。何はともあれ感心しないわけにはいかない。古いLPレコードで聴くブラームスの『クラリネット五重奏曲』がよく似合っている。(p348)
77歳 どこまで走る?
村上春樹という作家が熱心なランナーであることも、ぼくがファンになった要素だった。ぼくも30~40代はランニングに熱中していたから。随筆『走ることについて語るときに僕が語こと』(2007年)では、走ることは作家であることに不可欠だと書いている。
これまでに読んだ著作は20冊を超える(写真⑤)。このサイトに収録している印象記は、「村上春樹」のタグをつけた14本になった。

筆者は3日朝刊インタビューで、この本の第1章を書いた後の2024年に体を壊して入院し、体重が17キロも減ったと明かしている。その後回復して小説を書く意欲がでてきたとも述べた上で、こう語っている。
「少しずつ走り始めています。前ほどは走らないけれど。(中略) ただ、僕は40年間、毎年フルマラソンを走っていたんですけど、入院でとうとうその記録が途切れました」(7月3日付け中日新聞朝刊)
1949年1月生まれの77歳。ぼくより3つだけ年上だ。これからも現役ランナーとして走り続け、ノーベル文学賞候補者としてもっと書き続けてほしい。
