「生身の人間」に想像力を
(文藝春秋、2025年5月発刊)
バブル期の歌姫を芸能界から追い出した「捏造」記者と、お笑い芸人をSNSで誹謗中傷し自死に追い込んだ「匿名」投稿者たち―。かれらの実名や住所を暴露する告発ブログから物語は始まる。その復讐劇だけでも衝撃なのに、読みどころはむしろ後半の人生模様にある。「炎上」有名人もブログで復讐した男もみな、つまずき悩んできた生身の人間だ。それを想像できたら、表面的な醜聞をネタに匿名で誹謗中傷や嘲笑できるだろうか、と問いかけている。

■告発ブログの毒気 中傷投稿の逆張り
序章の「宣戦布告」からすさまじい。80年代の歌姫、奥田美月についてでっち上げ記事を掲載した写真週刊誌関係者と、現代のお笑い芸人、天童ショージを誹謗中傷し自殺に追い込んだ匿名投稿者へ向けた告発ブログだ。
ブログのタイトルは『踊りつかれて』。書き手の名前は「枯葉」で、もちろん匿名だ。16ページにわたる長文には、強い怒りと毒気と臭気が漂っている。
ひょっとして、自分のこと正しいと思ってる? YouTubeと箇条書きニュースで博覧強記になったとでも? 分かりやすさこそ神? 大ばか者め。昭和の体罰教師直伝のうさぎ跳びで峠を攻めろ。
よく聞け、匿名性で武装した卑怯者ども。 (p6)
誰かが死ななきゃ分かんないの? で、一週間もすれば、その”反省”の掘っ立て小屋は更地になるんだろ? (p10)
ただ感想言って何が悪いって開き直るのか? 感想なんて言葉でごまかすんじゃねぇ。陰湿な悪口だ。それが証拠に匿名じゃないと都合が悪いだろ? 調べもしねぇ、興味もねぇ、つまり批評でもねぇ。 (P16)
おっしゃる通り、表現の自由の行使だよ。でもな、自由には必ず責任が伴うんだよ。たとえそれが愚にもつかない陰口でも、情報を公開した時点で責を負うんだよ。(p18)
ぼくは読みながら気持ち悪くなった。立ちあがってくる腐臭に反吐を吐きたくなった。悪意に満ち、相手を見下し、蔑視している。

でも、わかってもいた。著者は意図的にこの文体を、ネットで飛び交う「匿名の誹謗中傷」に似せている。それだけでなく、嫌なところは誇張し、毒気を強めてある。目には目を、復讐の刃の切れ味を鋭くするために、だろう。
著者はかつて神戸新聞の記者だった。ひとむかし前の写真週刊誌や、近年のネット上の炎上や集中的バッシングの文章に嫌悪感と危機感を抱いてきたのだろう。それを告発するブログを同じネットで公開するなら、文体をなぞる方が効果があり、文章のプロにとっては難しいものでもなかったろう。
ブログ公開は岸田首相襲撃の直前
匿名性に胡坐をかいてる奴らの顔が、こっちからはよく見えてるぜ。おまえらの匿名という既得権益を奪ってやる。(p18)
いい加減な記事で美月をたたいた週刊誌関係者、天童を叩き落としていい気持ちになった第五権力者のおまえたち。
これから重罪認定した83人の氏名、年齢、住所、会社、学校、判明した個人情報のすべてを公開していく。(p19)
小説では、この復讐ブログがネットにアップされたのが2023年4月15日の午前6時。岸田首相が衆院選補欠選挙の応援演説中にパイプ爆弾を投げられる5時間半前のことだった、という設定で物語が動き出す。
■暴露された側の狼狽と絶望
読み進めると、もっと衝撃が待っていた。次の第1章「加/被害者たち」である。かつて匿名で中傷投稿をした男や女がある朝、自分の個人情報と、過去の醜悪な匿名投稿がネット上さらされていると知った時の場面だ。
そのひとり、30代の女性歯科医、牧村志保はその朝、勤務先のクリニック院長から電話でブログ『踊りつかれて』を知らされた。すぐアクセスし、ブログの中の「犯罪者たち」をタップしたら、自分の個人情報と過去の投稿がそこにずらり―
改めて突きつけられると、自らが書いたことが信じられないほど醜悪なつぶやきだった。だが、蘇る記憶が残酷な事実を裏付けていく。(P34)
スマホを持つ手が震え、それを見て余計に心理的圧迫が増した。ベッドに丸まって掛け布団で全身を覆った。「どうしよ…どうしよ…」(P35)
この怖さ、彼女の絶望感が、ものすごい圧で伝わってくる。ぼくの驚きは、エリート歯科医がなぜこんな投稿を繰り返したのか、という心理描写にもあった。
最初は言葉を選びながら投稿していたが、この三大会見 (注:2014年の作曲家のゴーストライター問題、STAP細胞騒動、兵庫県議による政務活動費不正支出) で起きた荒波の中で、志保はいつしか人を小バカにする快感を覚えた。
いくら「手に職」があろうが、組織に属する以上人間関係に疲れるのは世の常だ。建前をすっ飛ばして思いの丈を叫ぶことができ、また同じような感覚を持つ人たちとつながれるtwitterは、やがて志保の生活になくてはならないものになっていった。(p37)
天童の全てのレギュラーが消滅した日、得も言われぬ達成感を味わい、志保は部屋で1人、ワインで祝杯を挙げた。それは自分の正しさの証明でもあった。(P38)
告発ブログ『踊りつかれて』が公開された朝を境に、立場が完全に逆転し、ネット上では自分が匿名の中傷記事で批判される側になっている。自宅は記者や野次馬に囲まれ、職場には抗議の電話とメールが殺到していた―。
■実名主義のぼくも戦慄
ぼくも2020年11月にHP『晴球雨読』を開設し、ブログをたくさん書いて公開してきた。新しいブログをアップするたびにFaseBookにも書き、HPへのリンクを張ってきた。

ただ、それらはどれも「実名」だ。匿名にする選択肢もあったけれど、いい加減なことを無責任に書いてしまう危険性が怖かった。現役記者のころ署名記事を書き慣れていたことも理由だったろう。
それでも、この小説の展開は怖かった。ネットもスマホもいつも、すぐそばにある。もしかしたらぼくもいつか、生の気持ちを短文にして、SNSに匿名で書きこみたくなるかもしれない—。
この小説を手にした人も、ほとんどがネットに関心があり、SNS投稿の経験もあるだろう。読み出すと、いつ自分が「加/被害者」になってもおかしくないと怖くなるはずだ。それくらい、展開と記述にはリアリティがある。
■弁護士たどる 美月と天童の半生
この小説は単行本で471ページもある長編だ。1章まででもこれだけ濃密なのに、分量では15%も進んでいない。あと85%は何がどう展開するのかと思って読み進めたら、その先が真骨頂だった。

冒頭の告発ブログ『踊りつかれて』を書いたのは元音楽プロデューサーの瀬尾政夫だとすぐわかり、名誉棄損で逮捕される。「加/被害者」のひとり、藤島一幸が告訴したのだ。瀬尾から名指しで弁護を頼まれたのが女性弁護士、久代奏(かなで)だった。奏は中学のときショージ、藤島と同級生だった。
瀬尾は奏との面会でも、自分のことはほとんど語りたがらない。しかし奏は、瀬尾がほかに書いたブログも読み、知性やたたずまいに惹かれていく。歌姫の奥田美月、お笑い芸人の天童ショージとどんなつながりがあったのか、関係者を訪ねて回る。
そこから先は、美月や天童、瀬尾が歩んできた人生の起伏や思わぬ出会いが少しずつ明らかになっていく。なかでも美月が別府で過ごした幼少時の体験は、壮絶を極めている。ここで出てくるモンスター女の描写には、凄みがありすぎる。
■芸能好き 司法ファンにも読みどころ
美月が歌手になってから、瀬尾は彼女のプロデューサーになって寄り添う。当時を知る関係者は、80年代の芸能界で生き残ることの大変さや、歌がヒットするかしないかの境目、美月の凄さなどを克明に証言し、瀬尾の果たした役割の大きさが浮き上がっていく。
告発ブログの題名『踊りつかれて』や、書き手名『枯葉』の出どころとか、美月が歌う歌のあれこれも、芸能好きにはたまらない部分だろう。
天童が芸人として売れっ子になり、自殺するまでの様子も、関係者の証言は、現代のお笑い芸人論に及び、芸事の深部に踏み込んでいく。
さらには奏の弁護士としての悩みもたくさん語られる。弁護の進め方や、法廷での瀬尾の証言、奏の最終弁論は、いわゆる司法もののファンをも納得させるだろう。
■命かけ守るもの 匿名の中傷で奪うのか
最後まで読み進めていくと、関係者のだれもが生身の人間だという基本摂理が伝わってくる。みんながなにかに悩み、どこかでつまずき、なにかに傷つけられても生きてきた。なんとしても守り育てていきたいものがだれにもある―。
美月にとっては歌うこと、天童にとってはお笑い芸が、生きていく拠りどころだった。瀬尾にとっては、二人に寄り添い、才能を伸ばしてやることだった―。
そんな拠りどころを、匿名の誹謗中傷の記事や投稿が奪ってしまった。ただ相手が有名人というだけでー。ほんとかどうかもわからないスキャンダルだけをフックにー。下品な言葉で嘲笑してー。自分の名は隠したままで―。
筆者はこの長い物語で、SNSの投稿者にむけて「ネットの向こうにいるのも生身の人間。もっと想像力を持とうよ」と呼びかけている気がする。