武士と町人のあいだ 鮮やか着地

 江戸・浅草寺の一角にある寺子屋の師匠、大滝慎吾が主人公である。自分の出自が「武士と町人のあいだ」にあり、生きていく道をどこに見出せばいいのか迷いながらも、大事な教え子たちの困りごとには真正面から向き合い、解決しようと奔走する姿に胸が熱くなる。最終章の着地が鮮やかだ。アジア大会の期間中に、ボランティアに通いながら往復の車中で読んだ。
 (ハルキ文庫、初刊は2024年9月)

■「父と子」 賭場の情景

<▲カバーの筆者略歴>

 この小説は六話で構成されている。いちばん気に入ったのは「第三話 父と子」だった。

 教え子のひとり、太一郎は浪人・重太郎のひとり息子だ。このところ元気がないので理由を聞くと、父が夜に外出し朝帰りするようになって、何をしているか心配なのだという。ほかの教え子の父親から、重太郎が賭場で用心棒稼業を始めたと知り、信吾が様子を見ようと賭場に足を踏み入れると―。

 賽(さい)が振られると、一瞬、すべての音が消えたような心地に見舞われる。じぶんが息を止めていたと気づいたときには、あたりを揺さぶるごとき喚声(かんせい)が起こり、踊りあがる男がいるかと思えば、頭をかかえて蹲(うずくま)る男もいた。それぞれの目に賭けていたものたちなのだろう。(中略)
 いま味わった感覚は、高揚(こうよう)と呼ぶべきものかもしれぬ。賭場に足を踏み入れるのは生まれてはじめてだが、まるで舌触りのよい酒でも吞んだような心地よささえ覚えていた。
 —なるほど、深入りするものが後を絶たぬわけだ。
 (p90-91)

 このあたりの筆づかい、さすがだ。賭場の異様な圧や魔力…。映画では何度も観てきた場面が、とても端正な文章でつづられ、ほれぼれする。息づかいも心地いい。そのうえ物語はこのあと、想像を超える形で転がっていくのだった。

■出自からくる揺らぎ

<▲帯カバーをつけると>

 この物語の芯のひとつが信吾の出自にあることは、第二話で明かされる。実父の大滝左衛門尉(さえもんのじょう)は、将軍の食べ物をあずかる御膳奉行の要職にあり、母は妾の芸者だった。生後も母のもとで育てられたが、10歳から大滝の屋敷に迎えられた。父は昨年死に、母違いの兄が後を継いでいる。

 武士と町人のあいだ…。みずからの人生の軸をどちらに置けばいいのか定められない居心地の悪さ…。信吾はモヤモヤを抱えながら生きている。大滝の屋敷を二十歳すぎに出て、浅草寺の一角で寺子屋を始めたのも、そんな心持ちを反映していた。

 そんな信吾だが、教え子の悩みや親たちのもめ事を知ると、ほっておけない。生まれつきの義侠心と男気がうずき、首をつっこんでいくのだ。

 やがて、ひとりの男と対峙するようになる。江戸の闇社会を支配している元締め、狸穴(まみあな)の閑右衛門(かんえもん)である。昭和の時代なら、ヤクザの大親分といったところだろう。信吾に向ける目線がしだいに熱を帯び、言葉遣いも微妙に変容させつつ、最終六話につながっていく展開も、この小説の醍醐味だった。

■ボランティアへの車中で8冊目

 この本を読んだのは、9月から10月にかけて開かれた愛知・名古屋アジア大会のボランティアに通う車中だった。担当になったカヌースラローム会場までは片道2時間もかかった。電車とバスのなかで朝夕、少しずつ読み継ぎ、期間中に読み終えた。こんな読書、2020年6月に退職してから初めて。現役のときの”地下鉄読書”を思い出し、懐かしかった。

 カヌー会場まで2時間とわかったとき、通いの車中では本を読もう―。そう決めたものの、何を読むか迷った。ボランティアは人生で初めての体験になる。ならば本は、読み慣れた砂原浩太朗の未読ものとし、持ち運びが楽な文庫でと決め、この本を選んだ。

<▲砂原浩太朗はこれで8冊になった>

 これまでに読んできた砂原浩太朗は7冊で、どれも印象記をこのHPに収録している。架空の神山藩を舞台にしたシリーズが4冊と、市井の男女モノ、藩邸の”総務部長”もの、小石川養生所の与力ものが1冊ずつだ。本作の寺子屋は新たな舞台だったけれど、純度の高い文章と巧みな展開は、期待通りで、ボランティア初体験に別の彩りをもたせてくれた。