一期一会の「祭典」お手伝い 地元アジア大会でボランティアを初体験

テニスとカヌー会場で11日

きのう4日に閉幕した愛知・名古屋アジア大会でボランティア活動を初体験した。テニスとカヌースラロームの会場にあわせて11日通い、そろいの制服を着て「アジア最大のスポーツの祭典」のお手伝いをした。さまざまな経歴の男女が一期一会のチームを組み、呼吸をあわせて役割をこなすのは想像以上に楽しかった。間近で観たトップ選手の躍動、国際試合ならではのひりひり感も忘れられない。
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こんどのアジア大会「Aichi-Nagoya2026」は、1958年の東京、1994年の広島に続いて32年ぶり3度目の日本開催となった。45もの国・地域から1万5千人を越える選手・役員がやってきた。あわせて43の競技が、名古屋市を中心とする53の会場で繰り広げられた。
取材ばかりの「祭典」に恩返し

ぼくは新聞社の記者だったとき「スポーツの祭典」は何度か取材側としてかかわった。1998年アジア大会は現地バンコクの特派員として走り回った。
2008年北京五輪では取材団長として1か月滞在し、開会式の日の朝刊に書いた論評「五輪の底力信じて」の中で、あちこちで見かけ、お世話にもなったボランティアにも言及した。
ーー もちろん成功を願う思いは伝わってくる。50万人ものボランティアが随所に立ち、トイレ担当の学生まで「你好(ニーハオ)」と笑いかけてくれる。そのけなげさは切ないほどだ。
(2008年8月8日の中日新聞朝刊から)
あの北京五輪から18年、新聞社を退職してからも6年がたち、いまは74歳の年金生活者だ。時間はたっぷりある。しかも今回の大会は自分が暮らす街で開かれる。お世話になってきた「祭典」に地元ボランティアの形で恩返ししたい、と応募した。
無償奉仕に2万8000人

公式HPによると、ボランティアの登録者は2万8千人。活動はもちろん報酬なしの「無償奉仕」だけれど、組織委員会から次の4つが与えられる、とあった。
■ユニフォーム(写真②)
上着とズボン(2セット)、帽子、靴、肩掛けカバン
■アクレディテーションカード(写真③)
会場出入りに必要な写真つき身分証
■弁当 (写真④)
1日に1食、お昼か夕食に
■交通費
1日あたり千円、大会後にまとめて支給


お手伝いする会場は、競技経験もあるゴルフか陸上、観るのが大好きなサッカーを願ったが、かなわなかった。オンラインでの提案と返答のやり取りをへて、最終的には、メーンの役割がテニス競技の「プレス担当」、サブの役割がカヌースラローム競技の「会場運営」が割り当てられた。

そろいのユニフォームを着て会場で活動したのは、上の表のように、あわせて11日間だった。研修が2日、本番が9日だった。
テニス会場は徒歩10分 全面改装
テニス競技の東山公園テニスセンターは幸運にも、自宅から歩いて10分だった。しかも今回、全面改装され、国際基準を満たすセンターコートが新たに建てられ、すり鉢状の観客席も備えていた(写真⑤⑥)


役割の「プレス担当」は、組織委の担当スタッフを次のような形で裏方として手助けすることだった。
- 対象は新聞や雑誌、通信社の記者とカメラマン
- 取材場所、ミックスゾーン(選手が試合直後、記者の質問に答える通路)、記者会見場への選手と記者の誘導
- 観客が紛れ込まないよう動線を分ける(写真⑦⑧)


記者だったとき、記者席やミックスゾーンも利用した経験があった。英語能力の欄には見栄をはって「ビジネスクラス」にチェックを入れたことも、この役割が回ってきた理由だったのだろう。英語はすっかり錆ついていたけれど、なんとかなった。
カヌー会場は電車バスで2時間

もうひとつのカヌースラローム会場は、テニスとは真逆だった。場所は矢作川の上流にあり、自宅から地下鉄とシャトルバスを乗り継いで片道2時間かかった(地図⑨)。しかも競技用コースは川の流れを二分する形で新設され、競技の運営を支える施設群はどれも架設テントだった(写真⑩)。手作り感が満載だった。



「会場運営」の役割では、こんな活動をした。
<競技開始日の前>
・国別選手控室の机と椅子の配置
・団観客休憩用の架設テントの設営
・ぬかるんだ地面の水とりとならし(写真⑪)

<競技日>
・出入り口ゲートに立ち観客に道案内(写真⑫)
・手洗い場を適時チェックし水タンクを補給
<全競技が終わった後>
・観客用仮設テントの解体(写真⑬)
・立ち入り禁止用コーンとバーの撤収
どの活動も、その日に集まったボランティアの皆さんと一緒だったり、手分けしてこなした。大会スタッフが作ったシフト表にそって、休憩や食事をはさみながら動き続けた日もあった。
最大の役割は「笑顔」
活動の具体的なリストをみると、どの日も忙しく動いてように思えるかもしれない。実際は、違った。カヌースラローム会場の設営や撤収作業のほかは、立っているだけの時間がいちばん長かった。ほかのボランティアの多くも同様だったと思う。

正直にいうと、最初は、何もせず立っているだけでいいのかなあ、と不安になった。でも、行き交う観客や報道の方々に声をかけたり、かけられたり、手や目で誘導したりするうちに、こう思うようになった。
―― そろいのユニフォーム姿であちこちに立ち、笑顔を見せ、手を振って選手や観客を迎えることが最大の役割なのではないか
―― おなじグループになったボランティア仲間や、巡回してくる運営スタッフの方たちとも、いろんな話を楽しんでみよう
いろんな経歴と動機
どちらの会場でも、ボランティアのみなさんとはいろんな話をした。役割をこなしながら、あるいは休憩室でお弁当を食べながら(写真⑮)。おなじユニフォームを着ているので壁が低く、気楽だった。いま思い浮かぶ”仲間”を箇条書きに並べてみると-。(年代は推定)


- TOKYO2020がコロナ禍でボランティア活動をできなかったので、横浜から名古屋までやってきた(40代の女性)
- 愛知県のメーカーで技術者、地元のためにと会社の制度を利用して(50代の男性)
- 父母が中国出身で、日本で生まれ育った好奇心いっぱいの学生さん(20代の女性)
- 会場近くで料理屋を営んでいる母と娘、人と話すのが好きだからと(70代と40代の女性)
- 愛知で不動産業を営んでいて、前からボランティアに興味があり、地元なのでぜひと(50代の男性)
突っ込んだ質問はたがいに避けながらの問わず語り、といった感じが多かった。それでもいろんな経歴や動機の人がみずから手を挙げて無報酬ボランティアとして集まってきているとわかり、その時間も楽しみになった。最後の集合写真はみな笑顔になった(写真⑯)。
専任スタッフもいろいろ
ボランティアを取りまとめる専任スタッフにも、いろんな人がいた。ボランティア役割の説明のときや、ともに競技を見つめながらいろんな話ができた。一部に想像も交えて横顔を紹介すると―
- 米国の大学を出て、国際的なイベントのスタッフとしてあちこちで働いている。各地で知り合った男女とネットワークができ、情報を交換しあっている(30代の日本人男性)
- TOKO2020でテニス競技の運営スタッフとして働き、今回もこちらでもテニスを(40代の日本人女性)
- ロンドン生まれで、大好きな日本を旅行しようと知人に相談したら、この大会がスタッフを公募していると聞いて。終わったら日本を旅行してまわりたい(30代の英国人男性)
それぞれの人生の断片に触れている感じが面白かった。これもスポーツの祭典での「一期一会」だった。
これぞ特権 プレーを間近で
今回のボランティアにはもうひとつ、大きな楽しみがあった。トップ選手のプレーをすぐ間近から”無料”で観られることだ。ボランティアの特権でもある。会場や役割によっては、競技を観る機会がなかったボランティアの方もたくさんいただろうから、ぼくはここでも恵まれていた。

テニスは高校や大学時代に何回か球を打ったことがある程度。その後も全英や全仏のテレビ中継を見るだけだった。でも今回、日本生まれのソフトテニスと硬式テニスを2日間ずつ、コートわきに立って観て、素人目線で、気づいたことがあった。
- 選手たちはみな引き締まった体をしていて、なにより太ももの筋肉が発達している
- ラケットの芯で球をはじくときの音が心地よい。うまい選手ほど濁りがなく、響きが長く続くように思える
- ソフトテニスでカットして撃ち返した時の球の歪みとスピンが半端なく、応援も硬式より賑やか
- ジュースが続いてもつれる最終局面がいちばんの醍醐味で、心技体がそろっていないと勝ち切れない



カヌースラロームは観戦したこともなかった。豊田市出身の羽根田卓也選手が2016リオ五輪で銅メダルをとったときの映像を何度か見たことがあるだけだった。それでも今回、レースを観て気づいたことがあった。
- 選手たちはやはり引き締まった体をしていて、なにより上半身の筋肉が発達している
- パドルと艇の操作には、素人目にみても、選手によってうまい下手に大きな差がある
- 急流の途中にぶら下げられた2本のポールの間を通るとき、下流側からくぐる「UP」が断然難しく見どころ
閉会式に抽選で「招待」
きのう4日の閉会式は、なんと、組織委員会から「招待」されて瑞穂スタジアムへ出かけた。会期途中の9月26日、ボランティア運営事務局からメールで案内があり、ぼくも応募したら、幸運にも抽選で当選したのだった。

事務局からの案内メールには「感謝の気持ちを込め、皆さま同士の交流を目的として、閉会式にご招待することになりました」と書いてあった。きょう5日の中日新聞朝刊は社会面でこう踏み込んでいる。
ーー開会式で撮影カメラの設備などで視界が遮られるため販売していなかった席には、抽選で招待されたボランティア4千人が陣取り、空席は幾分和らいで見えた。
(5日の中日新聞朝刊から)

会場のパロマ瑞穂スタジアムは、アジア大会にあわせて建て替えられた。ぼくはことし4月、柿(こけら)落しのグランパスvsアビスパ戦を観に行き、超満員の客席の熱気と、グランパスがPK戦で勝利したときの歓喜のどよめきを思い出した。
4日のアジア大会閉会式は、さすがにグランパス戦ほどの熱気はなかったが、愛知県豊橋市出身の松平健さんが歌う「マツケンサンバⅡ」の軽やかなリズムと、輪になった踊りでにぎやかに幕を閉じた。このスタジアムでお気に入りの3階コンコースから、「オーレ!」が響きわたる光景を眺めながら、思った。

―― こんどは災害ボランティアに参加してみよう。おなじボランティアでも活動環境は過酷だろうし、特権はない。でもまったく異なる景色が見えるに違いない。
