憲法学が紡いだ物語 天皇に力およばず…國分功一郎『天皇への敗北』
意味深タイトルに また惹かれ

天皇への敗北? どんな争いでだれが負けたの? なんとも意味深なタイトルに惹かれて読んだ。戦後の憲法学は憲法の理念を国民に浸透させようと物語を紡いできたが、安倍政権が強引に進めた平和安全法制や集団的自衛権容認を止められず、護憲の姿勢を鮮明にしてきた天皇に力が及ばなかった―。2年前に読んだ『暇と退屈の倫理学』と同じように、予想もしない視点からの論考がたくさん待っていた。
(新潮新書、2026年4月発刊)
<本文の目次> クリックすると そこへ飛びます
『暇と退屈…』で既視感
そもそも「天皇」は勝ち負けの世界とは縁がない存在ではないのか。題名を初めて目にしたときの素朴な印象だった。筆者もそんな反応を予期しているのだろう、冒頭の「はじめに」をこう書き出している。
タイトルを見て、いったい何についての本なのだろうと思われた方もいるかもしれません。(p3)

既視感があった。『暇と退屈の倫理学』のタイトルを2024年5月に見たときがそうだった。ぼくは印象記の書き出しに「とぼけた主題だなあ、ぼくのような遊休老人への指南書かもしれない」と書きとどめている。ところがどっこい、読んでみると「暇と退屈」は人類が1万年も前からかかえる大問題だという。しかも、古今の哲学者たちの難解な論考が次々と出てくるではないか。
この『天皇への敗北』も同じだった。ただし、出てくるのは哲学ではなく、憲法学と文学だった。筆者は哲学の研究者だが、言論界に関わり「戦後」について考える中で憲法学と文学について論じることを強いられた、という。
憲法学と文学…「価値」の物語
読み進むと、日本国憲法の理念とそれを論じる憲法学や文学が、たくさんの学者や作家の著作を引用しながら多彩に論じられていく。もっとも新鮮で重要に感じたのが「憲法物語」という初見の用語だった。こう説明している。
戦後日本の憲法学に、近代の国民文学のような役割を果たしてきたという側面と、実際に文学のように語りかけてきたという二つの側面があったということです。(中略) 憲法学自体がまるで文学のごとく”物語”を示すということです。戦後の憲法学は、憲法に謳われている価値を国民に伝えるために、ある種の物語を必要としていたと思われます。
その価値として代表的なものが、平和主義と個人主義でしよう。(p51)
憲法と物語―。すぐには相容れそうもない語句をあえてつなげることで、自分の視点を魅力あるキャッチーな言葉で示している。思考の切れ味を感じさせ、読み手を誘う手法ともいえるだろう。本のタイトル『天皇への敗北』もその延長にある。
安倍政権と憲法学の無力

筆者が名づけた「憲法物語」はしかし、第2次安倍政権が2012年に誕生すると説得力を発揮できなくなっていった、というのが次の展開だった。「憲法を国民の手に取り戻す」と明言する安部首相は選挙で勝ち続け、在任は8年に及んだ。改憲こそ断念したものの「憲法秩序あるいは立憲主義に対するあからさま挑戦」(p28)を続け「憲法違反の疑いが濃厚な法案や方針」(p29)を次々と実現させていった。
2013年12月「特定機密保護法」成立
2014年04月「武器輸出3原則」緩和
2014年07月「集団的自衛権」憲法解釈変更
2015年09月「平和安全法制」成立
この動きに憲法学者の多くが「憲法違反の疑い」を指摘し、反対の集会やデモも行った。しかし安倍政権は選挙で勝ち続け、そのたびに「選挙で選ばれた自分たちが物事を決めて何が悪いと居直り」(p60)、閣議決定し、採決を強行していった。
実際に憲法秩序が危機を迎えた時、憲法学はもう為す述べはなかった。民主主義的な手段での抵抗はほとんど力をもたなかった。(p67)。
天皇の存在と護憲発言
ここから次への論の展開がこの本の白眉だろう。次の一文で始まる。
そこでにわかに注目を集めた存在があります。当時の天皇、現在の上皇明仁です。それまでの天皇と皇后の態度や発言は、明らかに護憲の立場であり立憲主義的でした。(p63)
筆者は例をふたつあげている。明仁天皇が即位したから2日後の1989年1月9日の「即位後朝見の儀」でこう発言した。
「皆さんとともに日本国憲法を守り、これに従って責務を果たすことを誓い、国連の一層の発展と世界の平和、人類福祉の進展を切に希望してやみません」
もうひとつは、明仁天皇が80歳の誕生日(2013年12月23日)の記者会見での次の発言だ。
「やはり最も印象に残っているのは先の戦争のことです」
「戦後、連合国軍の占領下にあった日本は、平和と民主主義を、守るべき大切なものとして、日本国憲法を作り、様々な改革を行って、今日の日本を築きました」

これらの発言はぼくも新聞で読み、映像でも何度か見た記憶がある。しかし、天皇は憲法第1条に「日本国と日本国民統合の象徴」とある特別な存在なのだから、ごく当然の発言だ、と気にもとめてこなかった。しかし次の3点の指摘には驚き、身が引き締まった。
△憲法を蔑ろにすることは天皇の存在を危うくする。立憲主義を破壊する勢力と天皇は敵対する(P66)
△「保守」を自認する安部政権や支持者たちは、天皇の護憲的発言に明確に批判的な態度を取っていた(P67)
△護憲的立場のリベラル派は天皇の発言や態度に「ありがとう」といわんばかりに手を叩いて喜んだ(P67)
特に2番目、「保守」派が天皇に批判的態度を取っていたという指摘は、今国会で成立した皇室典範改正などの議論を巡っても専門家から出てきて、また驚いた。このことは最後にまた書きたい。
「国民の敗北」でもある
そのうえで筆者は、この本のタイトルに言及する。
戦後70年経っても、日本国民が憲法秩序を守るために成熟した態度を取ることができなかったことは事実として認めなければならない。天皇に頼ってしまったという事実を認めなければならない。
(中略) 憲法学は国民と一緒に憲法をめぐって成熟を目指してきたはずであって、これは「天皇への敗北」であると同時に「国民の敗北」でもあると思います。言うまでもなく、僕自身もこの敗北と無関係ではありません。僕は日本国憲法のもとで生きてきた一人であるわけですから。(p68)
タイトルはそういう意味だったのか。しかも「敗北」は憲法学だけではない。物語を血肉にできず、選挙で安倍政権を支持した「国民」も、護憲や立憲という立場では天皇にはかなわなかった、と。続く筆者の言葉が、熱い。
この敗北を噛みしめるべきではなかろうか。自分たちの無力さに、悔し涙のひとつでも流すべきではないか。(p68)
「天皇」と「戦争放棄」
筆者がこの結論に至る過程での論考にもうひとつ、へえーっと思った指摘があった。憲法の第1条「天皇は日本国と日本国民統合の象徴」と、第9条「国権の発動たる戦争は国際紛争を解決する手段としては永久に放棄する」の関係について、こう書いている。
天皇の護憲的態度は、護憲の立場にあるリベラル勢力には大変喜ばしいことと受け止められた。(中略) 9条を守り抜こうとする護憲派の立場を、1条を根拠として存在している天皇が支持するという構造に他ならない。(p31)
しかもこの構造の起点は、日本敗戦後の新憲法制定過程に遡るという。草案を練ったGHQとマッカーサー司令官の最大の目的は、1条に含まれる「天皇制の維持」にあり、9条の「戦争の放棄」は、天皇制が残ることへに反対する国際世論を納得させるための手段だった、という柄谷行人の論考を紹介している。
これまでに読んできた戦後史の本を9冊、もう一度開いてみると、1条「象徴天皇」と9条「戦争放棄」の関係には4冊が触れていた。諸説あるものの、中村政則『戦後史』(2005年)は「1条と9条は、いわばバーター関係にあった」(p25)とする。

半藤一利『昭和史 戦後編』(2006年)はあまたの証言から”バーター関係”を読み解いたうえで「第9条の源は、いろんな意味を含みながら謎のまま」(p159)としている。GHQが憲法草案を日本に突きつける前にマッカーサーが書いた手紙を読むと、日本占領を円滑に進めるために「シンボルとして天皇制を維持」を最優先していた、とぼくは読んだ。
國分氏の論考に戻れば、新憲法の制定時は「1条のための9条」だったのが、安部政権以降に立憲主義が危うくなり出してからは「9条のための1条」へと逆転している―。わかりやすい言葉に落とし込めるのも、筆者ならではではだろう。
もうひとつの「敗北」
「敗北」にはもうひとつの意味も込めた、との指摘にも注目した。2022年7月に安部元首相が銃撃されて死亡した事件とその後のことだ。銃弾を放ったのが、統一教会で人生を破壊された哀れな男性であり、この事件によって統一教会の反社会性や自民党との癒着が明らかになった。
安部政権の支えであった統一教会というカルト宗教の存在が、絶対にあってはならないテロリズムによってしか浮きらかにされなかった悲惨な事実に他なりません。
立憲主義を脅かす安倍政権の裏にはカルト宗教の影があった。その宗教の危険性や反社会性を訴えてきた弁護士やジャーナリストたちもいた。しかし、この問題を日本の民主主義は自分たちの手で解決することはできなかった。(中略) これもまた一つの敗北に他なりません。(p69)
ぼくは、この事件をテーマにしたフィクション小説『暗殺』を読み、印象記も書いた。でも、ジャーナリズムの一角、新聞人のひとりであったのに、自分ごととは考えなかった。まったくの想定外の視点だった。

「天皇に不満?」の不穏
この『天皇への敗北』を読んだ7月中旬は、名古屋でも40度に迫る日が何日も続いていた。その前まで猪瀬直樹『昭和16年夏の敗戦』を読み、真珠湾攻撃を決める直前の昭和天皇の様子や東條英樹の関係にへえーっと驚いたばかりだった。さらに国会では、皇室典範の改正案が審議されていて皇位継承権も大きな論点になっていた。
そんな酷暑の日、自宅にこもりこの本を読んでいたら、すでに書いた通り「『保守』を自認する安部政権や支持者たちは、天皇の護憲的発言に明確に批判的な態度を取っていた」(p67)とあった。もしかしたら高市政権でも? と思った。

すると読み終えた翌日の24日、こんどは朝日新聞朝刊「考×論」面で「現天皇に不満?」という小見出しを見つけた。長谷部恭男、杉田敦、加藤陽子の3人の学者が、国会での皇室典範改正と国旗損壊罪創設の論議を巡って意見を交わしていて、こう述べている。
加藤 いまの上皇は「平和の存続を切望する国民の意識に支えられて」て「国民統合の象徴」としてあるという、ひとつの天皇像を上皇后とともにつくりあげたわけです(中略)。ところが、高市さんと彼女を支える人たちは、それを快く思っていないのではないか。即位にあたって「国民の幸せと世界の平和を常に祈り」「憲法にのっとり象徴としてのつとめを果たす」と宣言するような天皇とは相いれない、と。
長谷部 戦前の日本は天皇を頂点とするピラミッド型の「企業体国家」でした。(中略) 平成の天皇は国事行為だけでなく公的行為にもいそしみました。被災地を訪問し、第2次大戦の激戦地にも赴き、戦死者を慰霊し、平和を祈る。(中略)企業体国家への回帰を願う人たちは、そうした象徴天皇のあり様が気に食わない。高市さんもたぶんそうだと思います。
杉田 (中略)日本はいつまで敗戦国としてやっていかなきゃならないのか、どこかで一発逆転、戦勝国に連なりたいという願望を持つ人たちが、平和主義の現憲法体制を大事にし、国民的人気を得た上皇夫妻と天皇一家の姿勢を「目ざわり」だと感じても不思議ではない。
(2026年7月24日 朝日新聞朝刊「考×論」面から)
この記事には、異論や反論が朝日新聞と3人にたくさん届いただろう。そうあってほしい。天皇のあるべき姿をタブー視せず、いろんな立場からもっと議論してほしい。それが健全であり、みなが納得できる「象徴天皇」につながると思うから。
怖いのは「保守」を自認する人たちが無視してしまうことだ。「この3氏も、言い分を載せた朝日にしても、根っからの左寄りリベラリストだから、驚きも怒りもない」などと。「象徴天皇」と「戦争放棄」をめぐる議論が、壁が高くてすれ違ったり、かみ合わないままだと、この本が指摘する「敗北」へと、またつながっていく気がしてならない。
