4 評論 時代を考える

白井聡『永続敗戦論』

斬新な論点携え 戦後史に若い論客

 (太田出版、2013年3月)

 1977年生まれの37歳。戦後史や現代政治の分野では、久しぶりの若い論客の登場ではないだろうか。新聞の書籍広告で、ぼくと同世代の内田樹、水野和夫氏が推薦していて読んだ。

 筆者が若いといっても、この内容を読みこなせたといい切る自信はぼくにはない。戦後史の知識がかなりいる。それでも筆者はあとがきで、いともあっさりとこう言い切る。

 「これまで何度も指摘されてきた、対内的にも対外的にも戦争責任をきわめて不十分にしか問うていないという戦後日本の問題を指摘したにすぎない」

 戦争責任を不十分にしか問うていないことが、その後の国家的問題において「だれも責任をとらない」につながっているとの主張はぼくもわかる。そうした事象の集大成が福島原発事故への国や政府の対応であるというのも。

 そのうえで筆者が使う「敗戦の否認」「永続敗戦」という言葉は、ぼくには何それ、という感じでとても新鮮であり衝撃だった。敗戦を終戦と言い換えてきた、といった表面的なことではない。47ページにこうある。

 「今日表面化してきたのは、『敗戦』そのものが決して過ぎ去らないという事態、すなわち『敗戦後』など実際は存在しないという事実にほかならない」

 「敗戦の帰結としての政治・経済・軍事的な意味での直接的な対米帰属構造が永続化される一方で、敗戦そのものを認識において巧みに隠蔽する(=それを否認する)という日本人の大部分の歴史認識・歴史的意識の構造が変化していない、という意味で敗戦は二重化された構造をなしつつ継続している」

 本書の文章はこんな調子だ。ごつごつしている。観念的で説明的。ぼくが富山支局で記者になりたてのころ、取材した裁判で初めて読んだ判決文の難解さを思い出す。でも筆者は具体的なエピソードも織り込んでいる。これがわかりやすい。

 西ベルリンで見つけた「対独戦戦勝記念碑」、新宿のションベン横丁の赤ちょうちんで遭遇した光景、コペンハーゲンのムスリム系タクシー運転手の問い…。

 永続敗戦が現代日本人にもたらしている心象や欺瞞性への筆者の疑問の原点が映像的に伝わってくる。

 この永続敗戦レジームは日本に「平和と繁栄」をもたらしたともいえるが、フクシマは「戦争と衰退」への始まりになったとの指摘は、重たい。

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