健さん死去で再見 『舟歌』は3回も流れてた
(降籏康男監督、1981年11月、テレビ放映)
高倉健が11月10日に死去し、テレビの追悼放映を妻と観た。30年以上も前の作品である。ぼくの中の主な残像は『舟歌』、オホーツク、過激派だったが、付随する細かな記憶がいかにいい加減か、身に染む結果になった。
まず八代亜紀の『舟歌』が居酒屋のテレビから流れるのは、大晦日の紅白歌合戦の1回だけだと思い込んでいた。ところが映画では30日にも流れていたし、お正月の終わりごろにも流れていたではないか。
30日は健さんと倍賞千恵子の出会いの晩。ふたりはカウンターの向かい合わせにいて、まだどちらも硬い。大晦日には心が通じ合っていて、肩寄せあって聴き入る。この歌そのものだ。ところがその後、千恵子の腐れ縁男が指名手配の過激派とわかり、健さんが千恵子の家にいた男を射殺する。
だからお正月明けの『舟歌』では、ふたりは再びカウンター越しに戻り、目を交わすこともない。3回の『舟歌』がこの映画の神髄だろう。倉本聰は『舟歌』をどう再現するかを大事にして脚本を書いた、とどこかで読んだ。この記憶は間違ってはいなかったようだ。
「オホーツクまで聞こえるかと思ったぜ」。ふたりで一夜を過ごした翌朝、千恵子の問いに対する健さんの、あまりらしくないこのセリフも、千恵子から聞こえない廊下付近でつぶやいたと思い込んでいた。ところが映画では、健さんは口には出さず、頭の中の答えを健さんがナレーションでかぶせていた。
過激派の男のことも、覚えていないことが多かった。この男が車内から上司を打った時に健さんは右横顔だけ見て覚えていたとか、警察にタレこんだのは実は千恵子だった(健さんと一緒になろうと思っていた)ことなどである。
■ いしだあゆみの敬礼シーンは鮮明
その一方で、これははっきり覚えていたというシーンがあった。健さんの妻だったいしだあゆみが駅で別れるときに、動き出す列車の中から敬礼する姿だ。健さんの回想シーンとして、4、5回は出てくる。笑っているような泣き顔というか、泣きながらの笑い顔とでもいうのか。胸が締めつけられる。
追悼記事によれば、健さんは生涯に200余本もの映画に出たそうだ。そのうちぼくが観たのは十本前後だろうか。その中では、この『駅』と『幸せの黄色いハンカチ』、そして『居酒屋兆治』がベスト3だ。