2 小説 物語に浸る

山本周五郎『ながい坂』

下級武士から家老に 出世みつめる内省の声

 (新潮文庫、初刊は1966年)

 60歳を過ぎたあたりから時代小説に魅かれ、たくさん読んできた。しかし著者は限られていた。”古典”なら藤沢周平か池波正太郎、現代作家なら佐伯泰英か葉室麟、宮部みゆきといったところである。

 まだ読んでいない名作がたくさんあるはず、別の作家ももっと読んでみたい―。そんなぜいたくな悩みの末に選んだのが、この本だった。

 いままでの小説とまったく違っていた。主人公は剣豪ではない。長屋暮らしもでてこない。下級武士出身の主水正(もんどのしょう)がその知力を生かして城代家老に上りつめるまでの出世物語だった。

 小さな藩の中の話に終始し、事件や暗躍、策略といった展開も少ない。小説の軸は主水正の心の動きに置かれる。出世を内省的に見つめ、重圧や覚悟について綿々と考え悩み、言葉にしていく。読んでいる方が息苦しくなるくらいだ。

 藤沢周平はしっとりとした情緒や情感がすばらしい。池波正太郎は筋と人物の切れ味や粋に魅力がある。山本周五郎の特質は、自己を見つめる内省的視点といえばいいだろうか。

 周辺の人物に魅力を散りばめてあるのはさすがだ。妻のつるは、当初はつんとした気の強い娘だったが、結婚から10年したら成熟した良妻、恋女房に変身する。山守りの太造(狂言回しの役に近い)、大五(江戸家老の二男で武家を離れるが主水正に直言し支える)もリアルである。

 題名の通りに小説の分量も長い。終盤は、あとがきで奥野健男氏が書いているように「あまりに主水正が出来過ぎて、八方美人的なめでたしめでたしの物語になっている」。居眠り磐音シリーズに近い感じだ。

 山本周五郎はこの長編小説を書き終えてから1年後に亡くなっている。肉体的な衰えの結果だったのだろうか。

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