5 映画 銀幕に酔う

邦画『キネマの神様』

寄る辺なきコロナ 男気と意地

(山田洋次監督、2021年8月、プライムツリー赤池)

 このコロナ禍で公開までこぎつけたことに驚く。撮影入り直後の昨年3月に主役の志村けんが感染して急死した。感染はその後も拡大したのに、代役を引き受けて演じきった沢田研二(73)の男気と、制約がきつい中でも撮影を進めた山田洋次監督(89)の意地…。寄る辺なきパンデミックに抗しながら、分厚い人情劇をつくりあげた映画人の気骨に拍手を送りたい。

■志村けんの「不在」

 志村けんが演じる予定だった主役のゴウは「78歳のダメ親父」だ。ギャンブルと酒に浸る日々で、闇金から借金返済も迫られている。しかし若い時は自分が書いた脚本をもとに監督として撮影初日を迎えたこともあった…。

 志村けんではなく沢田研二が演じるゴウを観ながら、特に前半部分では、志村けんならもっと「らしい」味が出せただろうと残念に思うぼくがいた。

 経過を知っているから余計に、志村けんの「不在」を強く感じていた、といってもいいだろう。その「不在」は裏返せば「コロナ禍の存在」でもある。

 映画が公開された8月6日の日本の感染者数は志村けんが死亡した昨年3月末の10倍ほどに増え、ワクチン接種が進んでも収まる気配も見えない。そんな中での一般公開だった。

■歌手ジュリー 芯は骨太

 志村けんは1950年2月生まれで、昨年3月の死亡時は70歳だった。沢田研二は1948年6月生まれで、いま73歳である。1952年生まれのぼくより少し上、団塊の世代だ。沢田研二は志村けんのコント作品に出演するなどずっと「盟友」だったという。

<▲2014年に読んだノンフィクション。後ろ左が沢田研二>

 沢田研二はザ・タイガース時代から55年、甘い声と美形のスーパースターであり続けてきた。本業は「歌手ジュリー」だろう。映画にも何本も出てきたし、志村コントにも参加してきたが、今回の役である「ギャンブル狂いで酒浸りの落ちぶれたジジイ」は遠すぎる。

 その一方でぼくは、沢田研二には昔から骨太な軸が備わっていて、年齢を重ねるにつれて図太くなっている気がしていた。ものごとの筋道や自分の感性を大事にしたいという思いも感じる。

 たとえば還暦を過ぎたころからは「護憲」や「反原発」の姿勢を積極的に発するようになった。アイドルスターや芸能界ではタブーだろう。2018年には自分のコンサートを開演直前に中止して話題になった。客の入りが悪いからという理由がふるっていて、近年のジュリーらしい。

 代役を引き受けたのは、かつて出演した『男はつらいよ』の縁もあったかもしれない。のちに二番目の妻となる田中裕子と出会った作品であり、そのときの監督はもちろん山田洋次だった。

 その山田監督から「志村けんの遺志を引き継ぎ、コロナ禍でも作品を完成させたい」と頼まれたとしたら、沢田研二という男は、仮にこの役の演技に自信がなかったとしても、男気が出演に向かわせたのだとぼくは思う。

■重なり合う友情

 映画の半ばごろから沢田研二の演技がぼくの目にもなじんできた。それにつれてジュリーが培ってきた骨太さが少しずつにじみ出てきて、今は落ちぶれているが若いころは映画監督志望だったゴウの人生とうまくかぶさっていく。

 なかでも映写技師だったテラシン(小林稔侍)との友情は、とてもいい味が出ていた。このふたりが相手を思いやる気持ちは、この映画の大きな柱のひとつになっている。

 ぼくにはゴウとテラシンの関係が、志村けんと沢田研二の友情にタブって見えた。小林稔侍も同じ思いだったのではないだろうか。

■監督の意地と気迫

 山田洋次監督の映画はこれまでにもたくさん観てきた。寅さんシリーズの50作のほかに、ブログに書いた山田作品だけでも7つある。

 この映画は松竹映画100周年記念とあり、山田監督にも松竹にも節目の作品のはずだ。脚本は原田マハの原作をもとに一昨年にはでき上がり、昨年暮れの公開の予定だったという。しかし昨年初めから新型コロナ感染が始まり、主役が交代しただけでなく、ただでさえ密になりやすい撮影現場では感染予防のためきつい制約があったと思われる。

 それでも山田監督は脚本も書き換え、コロナ禍への対応に追われる日常を画面に映し込んだ。映画の中に映る映画館の客席にも「ソーシャルディスタンス」が設けられた。テラシンは経営する名画座で「コロナで客が減りやっていけない」とゴウの妻子に弱音を吐く。妻子がテラシンに「このお金を使って」と差し出す場面は、山田監督や松竹から、コロナ禍で苦しむ映画界への「キネマの神様」からのメッセージだっただろう。

 新聞記事によれば山田監督89歳にして89本目の作品である。人と人のつながりに希望を見出す…。この老監督が一貫して映画に込めてきた思いは、コロナ禍ゆえに強まり、画面に充満している。