2 小説 物語に浸る

佐伯泰英『異変ありや 空也十番勝負(六) 』

父磐音の血脈 剣客のカタルシス

 (文春文庫、2022年1月発刊)

 まだ20歳の剣客、坂崎空也の武者修行を描く新作である。深手を負い意識が戻らない空也の枕元で、師匠の剣術家が2昼夜休みなく真剣を振ると、空也が「武人の感性」と意識を取り戻す場面が好きだ。父・磐音の第1話から読み継いで61冊目。作者は80歳になる5月にも次作を出す。ぼくも負けずにクラブを振り、この修行についていこう。

■武人には武人の感性

 時代は江戸中期、新作の舞台は長崎とオランダ出島だ。空也が薩摩の剣術家との勝負で負った深い傷は、英国人医師の手で癒えたものの、意識が回復しない。そこで登場するのが高麗の剣術家、李遜督。空也とは剣の道を通じて尊敬しあう仲だった。

 李は、空也につきそってきた長崎会所の密偵、麻衣にこう語る。

 「われらふたりだけで二度にわたって暮らし、昼夜の大半を真剣勝負のごとき稽古に没頭してきた。わしがなにをしたところで意識なき者に変化が起きるとは言い切れぬ。だが武人には武人の感性がある。わしと空也のふたりにしか通じぬなにかがな」

 空也が横たわる寝台のわきで、李は剣を抜き、空也にむかってふりかざす―

 「参る。受けてみよ、空也」
 と叫んだ李の剣が、静かに眠る空也の体に打ち込まれた。
 刀が光になって走り、空也の胸を断ち切るように斬った。だが、寸毫の間で止められた剣の刃が空也の体をなぞるように横へと奔った。
 それが始まりだった。

絵空事でもいい 極致を想像できるなら

  李はひたすら剣を振い続ける。そして3日目の未明だった。

 李遜督が動きを止めたのは、坂崎空也の両眼がわずかに開いたのを見たからだ。そして左手をかけた修理亮盛光の柄を右手がそろりと掴んだのを確かめたからだ。
 空也と李の眼差しが合った。
 (師匠)
 と空也の脳裏にこの言葉が浮かんだ。
 (刀を抜け、空也)
 と李が無言の裡に命じていた。
 空也の手が鯉口を切った。

 こんなこと、漫画や宗教世界ならありえても、現実には起こりそうもない。でもここには「剣の道」を究めんとする心境の極致が切り取られているとぼくは感じる。

 絵空事でもかまわない。筋立ての荒っぽさにも目をつむろう。空也に流れる父・磐音の血のうづきと、求道者たちがもとめる理想の武術を想像することで、ぼくはカタルシスを味わい、一時でも邪念を払うことができたから。

恐るべき79歳 第7話も5月に

 空也の父、坂崎磐音が主人公の『居眠り磐音 江戸双紙』をぼくが読み始めたのは2012年11月だった。すぐに夢中になり、磐音もの全51冊、スピンオフ『奈緒と磐音』など2冊、そしてこの『空也10番勝負』6巻8冊の計61冊を10年かけて読み継いできたことになる。このブログにおさめた書評も8本ある。

 新作の広告が新聞に出て、真新しくて色あざやかな書き下ろし文庫が本屋さんの店頭に並ぶと、買わずにいられない。

 筆者は1942年2月生まれの79歳、ぼくより10歳も上である。ほかにも『吉原裏同心』『酔いどれ小籐次』のシリーズも書き続け、NHKでドラマ化された。

 ことし2月には80歳になるのに、なお月に2-3冊を刊行していくと、はさみこみ小冊子『佐伯通信』に書いてある。筆者は、このあいだ腱鞘炎になったが人間ドックは異常なしだったとも明かしている。次巻は5月10日発売、題名は『風に訊け』になるとまで帯で堂々と告知している。磐音や空也のように、退路を断ってしまっている。

 もしかしたらぼくは、磐音と空也の理想的な親子の剣術に接したいだけでなく、10歳も年上の作家の健筆にも触れて安心したいのかもしれない。

■『わげもん』も出島 長瀬廉に空也役を

 この新作をめぐっては、まったく違う次元で、こんなこともあるのかと小さな驚きと愉快があった。NHKテレビで年明けに始まった時代劇『わげもん 長崎通訳異聞』がやはり、長崎の出島を舞台としていた。しかもどちらも「密貿易」が重要な要素だ。

 もうひとつ、『わげもん』の主人公の通訳二世は、昨年のNHKテレビ小説で漁師の息子「りょーちん」を好演した長瀬廉が抜擢されている。もし空也が映像化されるなら、この若者がピッタリだと思いつつ観ている。

 空也の父・磐音のNHKドラマは山本耕史が演じた。磐音も演技もカッコ良かったのが、ぼくが原作を読み始めたきっかけになった。

 おなじ思いで『わげもん』を観ている磐音ファンや映像関係者がたくさんいる気がする。ひょっとすると、ひょっとするかもしれない。

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