4 評論 時代を考える

村上春樹FM特番『戦争をやめさせるための音楽』

侵攻に鋭敏 自宅から10曲 訳詞も朗読

 <▲キー局「TOKYO FM」の番組ロゴ>

  ロシアのウクライナ侵攻に作家の村上春樹氏が鋭敏に反応した。東京FMの自分の番組『村上RADIO』で特別版「戦争をやめさせるための音楽」を3月18日夜にオンエアした。自宅コレクションから選んだ10曲をかけ、訳詞も朗読して戦争の愚かさを訴えた。音楽がらみの小説も多い村上氏の選曲と言葉は、活字にして書き残しておく価値があると思う。

オンエア10曲 知ってたのは3曲

 村上氏が選び、この夜にオンエアされた10曲は、ぼくが知る限り、いずれも米国か英国のアーティストたちの楽曲だ。ベトナム戦争がらみが多い。

 <▲オンエアの10曲=番組サイトから>

 このうちぼくが聴いたことがあった曲は、恥ずかしながら次の3曲だけだった。

  • Blowin’ In The Wind (ボブ・ディラン、日本名『風に吹かれて』) =オンエアはスティービー・ワンダーのカバー版
  • CRUEL WAR (ピーター・ポール&マリー、日本名『悲惨な戦争』)
  • Imagine (ジョン・レノン) =オンエアはジャック・ジョンソンのカバー版

 だけどこの番組で初めて聴いた曲も、村上氏のていねいな訳詞とその朗読、的確な解説によって、こころの芯につき刺さってくるものがあった。なんどか涙が出そうになった。

音楽好き 時代に敏感 言葉に深み

 村上春樹氏はいろんなジャンルの音楽に詳しく、「ドライブ・マイ・カー」や「ノルウェイの森」など楽曲名をタイトルにした作品もたくさんある。それだけに、今回の侵攻のもたらす意味合いや、選んだ曲の解説にも、思わずぼくの耳と頭が一緒くたになってしまうフレーズを連発した。

①「聴く人にやめさせなければと思わせる力はある」

 この作家は番組冒頭ではっきりと言い切った。

  音楽には残念ながら、戦争をやめさせる力はないかもしれません。でも、聴く人に戦争をやめさせなければいけないと思わせる力はあると思います。

 ぼくは東日本大震災があった2011年の年末、紅白歌合戦のテーマ「歌の力」を思い出していた。励まされ、癒され、背中を押されー。世界共通の磁力だろう。

「年寄りが起こした戦争で若者が死ぬ」

 冒頭でもうひとつ、村上氏はこうも指摘した。

  年寄りが起こした戦争で若者たちが死んでいく―。本当に悲しむべきことですが、昔から変わりません。

 この「年寄り」に込めたのは、政治や軍の指導者が前線兵士より年齢が高いことだけではないだろう。前線兵士や一般市民が直面するであろう地獄への想像力を持ち合わせていないことも含めているはずだ。

③「専制主義が闇へと転べば危険」

 番組の終盤で村上氏は、米国の故キング牧師が演説で発したフレーズを紹介する。今度の侵攻の直後に新聞でも引用されていた。

  「ヒットラーがドイツで行った行為はすべて合法的だった。そのことを忘れてはいけない」

 村上氏はこの言葉を受け、手間と時間がかかる民主主義を毛嫌いする風潮を懸念しつつ、こうも語った。

  力を中央に集約する専制主義はたしかに効率的かもしれないけれど、指導者に黙ってついていくと大変なことになります。闇の方向に転べば危険なところにつれていかれますよ。

「人に歴史 レコードに古傷」

 村上春樹氏は作家になる前、ジャズ喫茶を経営していた。その後もレコード集めを趣味としクラシック音楽の著作も発表している。

 今回の特別放送に際しても音源はすべて自宅にあるレコードやCDから選んだという。その中のひとつ、PPMの『CRUEL WAR』を紹介する際にはこう述べた。

  自宅にあったオリジナルレコードをかけますが、これ古いものなので、例によってところどころでプチッという音が入りますが、気にしないでください。人に歴史があるように、レコードにも古傷があります。

 この「歴史」と「古傷」には、しびれた。五木寛之の最新随筆『捨てない生き方』も思い出し、うれしくなった。

ジョン・レノンは「シニカルなドリーマー」

 『imagine』をかける前には、オノ・ヨーコが骨格を先につくっていたとされる有名な歌詞の和訳を読み上げたあと、曲が発表された1971年とジョン・レノンについてこう話した。

  まだ理想が生きていた時代だったのですね。理想を信じたシニカルなドリーマー、ジョンレノン。彼の死によって世界の状況が大きく変わってしまいました。

 「シニカルなドリーマー」。歌のさびに出てくる「dreamer」(夢想家)を引用しながら、さりげなく「シニカル」をつけるところが、にくい。うなってしまった。

ふたつの「同い年」

スティービー・ワンダーと村上春樹

 スティービー・ワンダーが歌う『風に吹かれて』については、スティービーが舞台で歌い出す前の語りをバックで流しながら村上氏はこう話した。

  スティービーは15歳の時にこの歌を聴いてすぐカバーしたそうです。ぼくがこの曲を聞いたのも15歳でした。そう、スティービーはぼくと同い年なのです。

 ネットのwikipediaによると、村上春樹は1949年1月、スティービーは1950年5月の生まれ、ボブディランの『風に吹かれて』のリリースは1963年8月、と出てくる。国の違いを考えれば「ほぼ同い年」だし、楽曲が社会で知られるまでの時間を思えば「ふたりとも15歳で初めて聴いた」でいいだろう。

②プーチンとぼくも同い年

 プーチンは1952年10月の生まれで、いま69歳だ。ぼくは同じ年の6月生まれである。ちなみにトニー・ブレア英国元首相は1953年5月生まれで、ひとつ下だ。

 ぼくは新聞社時代の1998年夏から2001年夏、タイのバンコクに特派員として駐在し、欧米国の動きもフォーローしていた。ブレアは1997年に英国首相になったばかりだった。プーチンは2000年に48歳の若さでシア大統領に就任した。

 つまり同い年がロシア大統領、ひとつ下は英国首相-。そんな大物と比較するのは意味がないし、そもそも政治家なんてなりたくもなかったけれど「同じ40代後半の男として、それにしてもこの差はなんなんだ」と異国の地で嘆息したのは、覚えている。

③プーチンの決断を予想もできず

 ぼくはプーチンという政治家についての言動や風貌を追いながら、冷たさを上回る理性と言葉をもつと感じてきた。柔道家としての礼儀正しさも備えていると信じていた。

 その同い年の政治家が、今回のウクライナ侵攻を決断した。大国のリーダーとしてありえない決断にみえる。何が彼の中で起きているのだろう。

 プーチンは、ウクライナの一般国民が受ける苦難を想像しなかったのだろうか。ロシア兵が前線で感じる苦痛を想像しなかったのだろうか。制裁で経済が打撃を受け、ロシアの芸術家やスポーツ選手が活動の舞台を失うことを想像できなかったのだろうか―。

 そんなことより彼の頭の中では、もともとウクライナはロシアと一体と考える歴史観が巨大になっていたのだろうか。NATO拡大への警戒感が、もともとの民主主義嫌いをさらに強めたのだろうか―。

「年寄り」の自覚もなく?

 いろんな分析記事を読んでも、同い年の男の心の中が腹に落ちてこない。彼は最初の8年の大統領では満足せず、2012年に返り咲いてさらに10年も君臨している。

 ぼくは自分で権力志向がない男と自認している。むしろ権力志向は下品だと思ってきた。そんな性格であったとしても、自分の政治家を見る目のなさが今はただ情けない。

 ことここにいたっては、こう思うことにしている。今回のような蛮行を決断できるような男だったからこそ、18年も大統領にとどまることができているのではないか。村上春樹氏の言葉を借りれば「年寄り」の自覚もないままに…。

「聞き逃しサービス」を車中で視聴

 この番組は新聞でも取り上げられていたので注目していたが、聴けたのは6日もたってからの3月24日、ゴルフ場への行き帰りの車の中だった。

 スマホのネット放送アプリ「radiko」の聞き逃しサービスで番組を選び、カーオーディオとBluetoothでつないだ。時間に縛られず、車中の方が集中して聴けるし音もいいので、ニュース以外のラジオ視聴はこの方式にしている。

 家を出てからすぐ聞き始め、ゴルフ場に着いてもしばらく運転席にとどまって最後まで聴いた。詩を朗読で聞いた後の曲で涙が出てきたり、コメントの奥深さに考え込んでしまい、最後は体をシートに深く沈みこませて目をつむって聞いた。

 自宅への帰り道では、もう一度、最初から再生して聴き直してみた。気になるコメントのところでは、再生をストップして車を道路わきに止めメモをした。そのメモをもとにこのブログ記事を書いている。戦争を止めるためにぼくができることのひとつと信じてー。

映画「ドライブ・マイ・カー」 アカデミー発表は27日

 村上春樹氏といえば、同名の短編を原作とした映画『ドライブ・マイ・カー』が米アカデミー賞作品賞にノミネートされている。ぼくもこの小説と映画の感想記を書いてこのサイトに入れている。

 発表を兼ねた授賞式は米時間の27日で、もし日本作品で初めての作品賞に選ばれれば、きっと大変な騒ぎになり、村上氏は原作者としてまたスポットライトがあたるだろう。

 それにしてもこの村上春樹氏、なんて幅が広く、現代的で、アクティブな作家なんだろう。同じ日本人として、ほぼ同世代として、誇りに思う。

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