7 催事 肌感で楽しむ

名画1000余点 原寸大で陶板複製…大塚国際美術館

最後の審判 ゲルニカ 絵画史たどる旅

 かつて旅先のヴァティカンでながめた『最後の審判』『天地創造』が”謎”をまとったまま目の前にあった。ピカソが怒りをぶつけた『ゲルニカ』は、いまウクライナで起きている悲劇そのものだった。4月5日に訪れた大塚国際美術館。陶板の複製とわかっていても原画と対面している気になれるのは、展示1000余点すべてが原寸大であり、微細な色調まで再現されているからだろう。みずからの絵画体験史もたどることができる異次元、初体験の旅空間だった。(徳島県鳴門市、1998年3月開館)

いきなりの圧巻「システィーナ礼拝堂」

 この美術館は小山に埋まっている。ふもとの正面玄関から入り、長いエスカレーターで上がって地下3階に着くと、いきなり”目玉”のシスティーナ礼拝堂が待っていた。

 間口が20m、奥行きが40m、天井高は16mもある。正面の壁いちめんに『最後の審判』(1536-41)が迫り、見上げる天井からは『天地創造』(1508-12)がのしかかってきた。ご存じ、ミケランジェロ渾身の、超がつく大作だ。

 あふれる物語 豊穣な寓意

 この展示室に入った瞬間、1973(昭和48)年夏にヴァチィカンを訪れた時の衝撃を思い出した。壁画のあっちでもこっちでも半裸の老若男女がいろんな形でもつれあっている。あふれる物語性と豊饒な寓意に満ちている。いったいなんだ、これは…。

 ぼくは当時21歳。大学を休学し欧州を放浪していた。理解できないのはキリスト教を知らないからだと当時思った。しかし今回、49年ぶりに陶板複製を見ても疑問は同じだった。説明を読んでも「豊穣な寓意」は腹に落ちてこなかった。ぼくは進歩していない。

 でも、それでいい。ミケランジェロの凄さは当時よりわかる。この世には知らないことがまだまだたくさんある。そう思うと、天井を見上げながら豊かな気分になれた。

 2018年の紅白歌合戦に初出場した米津玄師が『Lemon』を生中継で歌った場所が、この礼拝堂だったと今回知った。スタジオやホールでなかったことは記憶にあるが、ここだったとは―。彼は徳島県の出身。こんな”故郷ストーリー”にもぐっときた。

『最後の晩餐』 修復の前も展示

 ミケランジェロと並ぶ15世紀ルネッサンスの天才、ダ・ヴィンチの『最後の晩餐』(1495-98)も、もちろん、展示してあった。

 この著名な壁画は傷みが激しく、書き足しも多かったので、1977年から99年にかけて大規模な修復がミラノで行われたという。驚いたことにこの美術館には、「修復前」の原寸大複製も、「修復後」の向かい側に展示してあった。

 真ん中にある丸椅子に座り、頭を回して「前」と「後」を見比べては、説明を読む。遠近法の天地が交わる消失点がキリストの頭にあるのに消えていたとか、食卓は魚料理だったことが修復でわかったとある。これぞ、複製だから可能な展示だ。

 1973年のひとり旅のとき、この壁画があるミラノの修道院も訪ねた気がする。しかしシスティーナと違って『最後の晩餐』は記憶がほとんどない。どうやらぼくの脳の記憶は”修復”できないらしい。

「ゲルニカ」の怒り 重なるウクライナ

 ロシアがウクライナに軍事侵攻したことし2月24日、欧米各国は、ナチスの1939年のポーランド侵攻以来の蛮行だと非難した。そのナチスはポーランド侵攻の2年前の1937年、内線下のスペインで、反政府軍を支援するためとして無差別空爆をした。そのとき爆撃された街がゲルニカだった。

 スペインが祖国のピカソは爆撃のむごさに衝撃を受け『ゲルニカ』(1937)を描いた。人や馬に浮かぶ阿鼻叫喚の表情、手足を極端にデフォルメした構図のダイナミズム…。写真は幾度も目にしてきたけれど、初めて原寸大で観た陶板複製から感じとれる怒りの強度は、写真とは比べ物にならない。

 黒とグレーだけで描かれているのは予想外だった。新聞記事で見る写真はモノクロが多いから、ピカソだから本物は赤や青の原色も使っていると思い込んでいた。

 思っていたより小さくも感じた。縦3.5m、横7.8mとある。主題の深刻さと構図の大胆さから、もうふた回りは大きいサイズを勝手に想像していた。

繰り返す悲劇 人工の風光明媚

 訪れた4月5日にはウクライナ情勢について、ロシア軍は首都キーウ(キエフ)の近郊を撤退したものの、住民の虐殺遺体が数百も放置されていた、と伝えられていた。この絵の前でぼくは、なぜまた、と唇をかまざるをえなかった。

 この陶板は地上階ロビーの壁に1枚展示してある。ウクライナの人たちの阿鼻叫喚を想いながら窓の外を見ると、庭園と大鳴門橋と瀬戸内海が見えた。人類が繰り返す愚かな地獄絵、ここの人工的な風光明媚。鮮やかすぎる対比も「大塚」らしい。

 この作品の原画は1937年パリ万博で展示された後、欧米を行き来した。ぼくが1973年にスペインを旅した時はニューヨーク近代美術館(MOMA)にあった。1992年からはマドリードのソフィア国立美術館に展示されている。

 もういちどマドリードを訪れて、この「20世紀の記念碑的作品」と”再会”できる日が待ち遠しい。そのときウクライナはどうなっているだろうか。

作品わきの説明も面白い

 ぼくは絵画そのものにあわせて、解釈や背景説明も大事にして楽しみたいタイプだ。だから作品の横にある説明文は、このような美術館では作品の一部といっていい。

 ぼくが「へえーっ」とか「さすが」と感じる説明文がついた名画はみな、描かれているのが女性だった。これは偶然だろうか―。

フェルメール『牛乳を注ぐ女』(1660頃)
 「流れ落ちるミルクの描写は奇蹟とさえ呼べよう」

・ゴヤ『裸のマハ』(1796-1800頃)
 「数多ある裸体画の歴史上で、魅惑と同時に醜聞もふりまいてきた名画の一枚である」

ボッティチェッリ『ヴィーナスの誕生』(1485頃) 
 「ヴィーナスの全裸は古代ローマ以後初めて絵画にあらわれたもので、あらゆる意味でこれは古代ヴィーナスの復活であった」

マネ『フォリー・ベルジェールのバー』(1882)
 「芸術とは事実の再現や模倣ではなく、あくまで虚構、虚像であることをあらためて表明しているかのようです」

名画めぐる旅 4時間×5km

 この美術館には1000余点もの作品が時系列やテーマごとに整理されて展示されている。図録や配布ガイドによると、開館時は7人、現在は6人の大学の先生がそれぞれの専門領域から名作を選んできた。もちろん原画の著作権者や所蔵美術館から、複製の制作と展示の許諾を得ている、という。

 複製が認められない例は考えにくいので、複製対象はほぼ自由に選択できたと思われる。少なくてもぼくが知っている名画は「すべて」そろっていた。

 ガイドにはモデルコースと35点の推奨作品が、地図と写真つきで載っていた。ぼくはそれに沿って歩きながら、作品を観て、説明を読んでいった。全館をまわるのにかかった時間はざっと4時間、歩いた距離はスマホ計測で5kmだった。

 なにせ名作ばかりだから「あっこれも知ってる」「これも教科書に載ってた」と見入ってしまうことの連続だ。一緒に行った妻は2回目だったので別ルートをのんびりと観てまわり、結局、ぼくより1時間も長く楽しんでいた。

驚異の精巧さ 写真撮影も自由 

 パンフによると、陶板名画を製作する手順はこんな感じだ。
 著作権者・所有者から許諾 → 原画の撮影 → 色の分解 → 転写紙に印刷 → 陶板に転写 → 1000~1350度で焼成 → 画家の筆づかいを手仕事で再現 → もういちど焼成
 
 2万近い種類の色を開発した特殊技術があってこそ、原画の迫力が再現でき、臨場感をもたらしているらしい。写真撮影も自由で、スマホを10センチ前まで近づけて撮影することもできた。下の2枚はその一部だ。

 入館料はおとなひとり3300円。常設展示だけの美術館としてはかなり高めだろう。でもぼくは高いとは思わなかった。

ボンカレー・オロナミン・ポカリ & 美術館

 この美術館は徳島県の最北部、「うず潮」の鳴門海峡と、それをまたいで架かる大鳴門橋を見下ろす丘陵にある。創設と運営は大塚グループだ。母体である大塚製薬の創立から75周年を記念して創業の地に1998年に開設した。

 大塚グループの事業は多岐にわたる。ぼくも購入したことがある商品でいうと、医薬品ではオロナミンC、オロナイン軟膏にお世話になってきた。飲食品ではボンカレー、カロリーメイトを食し、ポカリスェットもよく飲んでいる。

 そんな会社の記念事業がなぜ「陶板名画の美術館」だったのか―。大塚製薬の元社長・会長だった故大塚正士氏の文章『一握りの砂』によると、1971年ごろ、工場前の「鳴門海峡の白砂」からタイルを作り始めたのが陶板複製の原点だった。

 企業メセナの美術館はたくさんあるが、モノづくりの原点と創業の地がこんなに明快に融合した例をぼくは知らない。事業が国際化して拠点を欧米に広げたことも、名画の対象を「欧米」に絞った理由になったかもしれない。

開館から24年 妻に導かれやっと

<▲館内にはこんな案内も>

 この美術館が「うず潮」のわきに開館してからすでに24年がたっている。開館直後からいろんな形で話題になってきたので存在はよく知っていた。

 ただぼくは「所詮レプリカでは」との気持ちが本音部分で引っかかっていて、訪問には二の足を踏んできた。

 でもまず先に妻が友人と訪れて感激し、その魅力をぼくに話してくれた。それにつられてぼくも今回、2度目の妻とともに訪れ、陶板複製の技術の高さと、展示の本気度、内容の濃さに圧倒された。

 妻が買ってきた図録に書いてあった「世界初そして唯一」は誇張ではなかった。これまで訪ねなかったことが悔やまれる。

 こんな形の社会貢献を実現させ、継続させてきた起業者と会社が日本に存在していることが誇らしい。このような新しい展示法を多くの美術ファンが受け入れ、楽しんでいることも素直にうれしかった。

こんな文章も書いてます