2 小説 物語に浸る

やり残しに自分でケリを  “団塊”へ豪直球…内館牧子『迷惑な終活』

だれがどう決着?  辛口本音また満載

 (講談社、2024年9月刊)

 76歳の女性作家が団塊世代へ投げる豪直球シリーズの第5弾である。はやりの「死後もみすえた終活」に反旗を翻し、人生でやり残したことに自分でケリをつけるのが真の終活、との信念があふれている。登場人物のだれが何にどんなケリをつけるかも読みどころ。いつもの辛口と本音の会話にどぎまぎし、さすがの展開にうなりながら「さて、ぼくのケリは?」と考え始めていた。

■「死を前提」「家族のため」にアンチ

 このシリーズ、書き出しに意表をつかれてきた。つかみが秀逸なのだ。新作も裏切らなかった。1行目からこうくる。

 「終活」は、高齢者の老後の趣味である。

 筆者が「老後の趣味」と切り捨てる「いまはやりの終活」は、週刊誌の見出しでいうと次のような行動だ。

「人生のベストな終わり方」
「死後の手続き、これだけはやっておこう」
「家族に迷惑をかけない終活」
「終活は若いうちから」

 こんな特集ならぼくも最近、ポストや現代の広告で何度も見てきた。小説の主人公である年金暮らしの75歳、原英太は「煽(あおり)り終活だ」「迷惑千万」と猛反発している。

 瑛太の妻で71歳の玲子は逆に熱心だ。エンディングノートだの正式な遺言状だのと、準備を進めている。小説では玲子の準備も詳しく書かれ、読者は「いまはやりの終活」をおさらいできる。こうした教養的な面もこのシリーズの共通点であり、ヒットの遠因だろう。

■母の納骨で「死」に切迫感

 「死後みすえた終活」への反発はプロローグにすぎない。本編は瑛太の一念発起から始まる。母の骨壺を墓のカロート(納骨室)に納めた時に感じた「死ぬとはこういうこと」との切迫感がきっかけだった。

 「気がかりなことや、やり残したことや、カロートまで持っていきたくないことに、ケリをつける。それが本来の終活だ」(p61)

 といっても、瑛太がつけようとする「ケリ」は、60年も前、高校1年生の時の悔恨だ。純愛相手の同級生あかねの着替えをうっかりのぞいてしまい、しかもその様子を校内に広げてしまったことを謝罪することだった。

■人生にケリ…思わぬ横展開

 それが終活かよ?  ぼくは脱力しながら読み進めると、思わぬ物語が待っていた。「人生にケリをつける終活」が、同世代の登場人物たちへ横展開していく。

 だれがどんなケリを? それがこの小説の白眉だ。ネタバレにならない範囲で、登場人物たちがケリをつけようとする体験を抽象的に2文字で挙げると、「純愛」の次が「嫁姑」、次が「不倫」、そして「個住」、とでもいえるだろうか。

 人生で「気がかりなこと」や「やり残したこと」なんて、ほとんどの読者にもあるだろう。登場人物がそれぞれケリをつける場面を読むうちに「私にもこんなことがある、あんなこともある…」と考えるだろう。ぼくもそうだった。そこが筆者の最大の狙いのように思える。

■会話のリアル・本音・辛口

 登場人物たちが交わす会話も、筆者の真骨頂だろう。テレビドラマの脚本家としてヒット作を連発してきた実力と自信がみなぎっている。

 なにより、おしゃべりの口語がリアルだ。若者にはイマドキの言葉をしゃべらせ、年寄りはその年代にそった口調だとわかるように書いてある。

 これも前作で感じたことだが、女性たちが発する言葉によりインパクトがある。あけすけな本音、現実に即した超辛口…。現実の社会ではだれも言わないような否定的形容や罵倒も次々と出てくる。この小説もすぐドラマ化されそうだ。

 瑛太の故郷、新潟のなまりもひんぱんに出てくる。それが物語に奥行きとリアリティを与えている。ずっと新潟に住んでいる75歳の同級生たちなら、いまもこんななまりを残しているのだろう。筆者の故郷だ。こだわりを感じる。

■4冊で累計120万部も

 この高齢者シリーズは過去4作とも発売直後に読み、感想記をこのホームページで公開してきた。タイトル、発売年月、自分でつけた見出しは次の通りだ。

『終わった人』(2015年9月)
 定年後のもがきを活写 いずれぼくにも
『すぐ死ぬんだから』(2018年8月)
 常套句こっぱみじん 脳と良識に刺さる
『今度生まれたら』(2020年12月)
 残り人生のあとさき「切なさ」3部作に
『老害の人』(2022年10月)
 4作目も身につまされ嘆息
 自慢 説教 まき散らす醜さ
 後半はエールに

 こうして並べてみると、著者がその時の自分の年齢に応じたテーマを設定してきたことがわかる。発行部数は累計120万部だと新作の帯にある。

■団塊800万人 20人にひとりが読者?

<▲巻末の筆者略歴>

 筆者が想定する主要読者は「団塊世代」だろう。1947(昭和22)年から1949(昭和24)年に生まれ、いま75歳から77歳。ざっと800万人もの大集団だ。筆者は1978年生まれ。この世代のど真ん中だ。

 シリーズ4冊の累計が120万部だとすると、ぼくのように全部読んだ人だけだったとしても、30万人もの読者がいる勘定だ。1冊でも読んだ人もいれると倍近いかもしれない。

 もし40万人が団塊世代だとしたら、この世代の20人にひとりが一冊以上を読んだことになる。その多くが読後に、ちょっとでも元気になれたり、勇気をもらえた気がしているはずだ。数字にはできないだろうが、たくさんのシニアをつき動かしているに違いない。

「ちょい凪」のもと どんなケリ?

 ぼくは1952年の生まれだから、団塊世代が大集団で起こした大波の後の「ちょい凪」を泳いできた感じがある。6冊目を心待ちにしながら、ちょい凪のもとで、ぼくなりに何にどうケリをつけるか考えていこう。

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