男女の哀歓 花の香 鳥の声
(講談社、2025年1月20日刊)
いまいちばん好きな時代小説作家の最新作だ。架空の神山(かみやま)藩を舞台にした連作の第四弾。六編の物語からなり、登場人物も事件もみな異なるけれど、四季の移ろいや花の香、鳥の声が映しだす原風景は変わらない。なじんできた風情が甘美によみがえり、真摯に暮らす男と女の交錯と哀歓にどっぷりつかった。

■架空の「海坂」と「神山」

神山藩は小説の中だけの架空の小藩だが、筆者は場所を明示していない。この新作で江戸に出てきた藩士が「雪が腰まで積もる」と説明するくだりが出てくる。東北か北信越を想定してぼくは読み進めた。
藤沢周平も「海坂藩」を舞台に多くの作品を書き、場所は明示しなかった。Wikipediaでは、出身地の鶴岡と庄内藩を想定してのでは?と推測されている。
砂原氏は神戸の出身だ。でも「海坂」と「神山」の相似からみても、尊敬する藤沢周平の作法と想定場所を踏襲したと思われる。こんな想像も楽しい。
■小さな藩 多彩なできごと

6つの物語は、軸になる出来事や事件がまったく違っている。主人公もみな違うし、共通の人物も出てこない。
ネタバレにならない範囲で13字まとめをしてみると―
氾濫つづく堤 命かけた工事
領国と江戸 実力家老の対立
お飾り藩主と若者 つなぐ能
流刑の寒村 雪中の斬りあい
色街に住む盗人の恋心と男気
格上の家 婿養子と嫁の葛藤
それなのに全編に神山藩の空気が漂っている。武士と武士の間には上下の礼儀と緊張が介在している。だれもが真摯に暮らしている。
■男と女 からみあう運命

6編のうち4編では、男と女が出合い、交錯する。微妙な情が生まれ、機微がもつれていく。それらが複雑な色調と深みを物語にもたらしている。かれらの心の機微や交感が、抑制された筆致の間からにじみ出てくる。
男と女の組み合わせもさまざまで、対比するとこんな構図になる。
川普請にあたる弟を気遣う姉
川普請を按配している勘定方
国もとから大江戸にきた藩士
江戸藩邸に勤める若武士の妹
色街にまぎれ込んで住む盗人
裏路地で衝突した飲み屋の女
格上の家に婿養子に出た次男
幼いころになついていた義妹
すきのない構成のなかで自然にからみあい、その関係は終盤で一気に加速し、そして変転する。ふー、そうくるか、と何度も舌を巻いた。
■花の香り 鳥のさえずり

筆者は今作でも四季の移ろいを大事にし、こまやかな描写を重ねていく。随所に花や鳥が出てきて、難しい漢字にはルビがふってある。
前作の『霜月記』と同じように、気になる漢字が出てくると、心覚えのため、ページの上端に折り目をいれていった。その一部を書き出すと―
半夏(はんげ)という名の草 p20
梔子(くちなし)が白い花を p26
烏柄杓(からすびしゃく) p27
凌霄花(のうぜんかずら) p91
耳に刺さる鵯(ひよどり)の声 p13
尉鶲(じょうびたき)とおぼしき p110
川べりに鷺(さぎ)が二、三羽 p195
※カバー装画はこここから?
ぼくは折り目をつけながら思う。この花、この時期に咲くのか、この鳥、こんな漢字なのか―。目をそこで止めず先へと読み進めていった花や樹々や鳥は、数えきれない。
■甘めと苦め こだわりの地酒
主人公が酒を呑む場面ではにやりとした。神山藩のふたつの銘柄が繰り返し出てくる。しかも銘柄名をわざわざ山括弧<>に入れて表記している。
<海山(かいざん)>
苦みの効いた味わい p53
<天之河(あまのがわ)>
少し甘めの酒 p154
「苦み」と「甘め」…。こんな違いが、主人公も場面もまったく違う別の物語のなかで、さりげなく書き分けられている。出てくる肴(さかな)もまた美味しそうだ。肴へのこだわりは『霜月記』にもあった。うーん、にくい。
■これで5冊目 「予感」的中
砂原浩太朗氏の著作はこれまでに4冊読んでいた。印象記を書き終えた日と、自分でつけた見出しは以下の通りだ。最初の3作品(下の写真の左3冊)が神山藩を舞台にしている。
<神山藩シリーズは4冊目>

『高瀬庄左衛門御留書』 (2021/11/22)
村回りの絵筆 老武士の実直 美しきオマージュ
『黛家の兄弟』 (2022/06/13)
覚醒する三男坊…
端正な文章 巧みな伏線 前作に磨き
『霜月記』(2023/8/17)
祖父→父→孫 奉行3代の葛藤
花と鳥 旬の肴 移ろいも艶やかに

<初の市井もの>
『夜露がたり』(2024/06/19)
予期せぬ変転 痛々しい哀切 決断の先に光明
江戸庶民の哀歓 共鳴する鳥のさえずり
『高瀬庄左衛門御留書』の印象記の前文で「藤沢周平や葉室麟ら先達への見事なオマージュは後継者誕生を予感させる」と書いた。あれから3年と3か月。その後の作品も、端正で情感あふれる世界観に磨きがかかり、透明度を増している気がする。ぼくの「予感」は正しかった、と確信している。