5 映画 銀幕に酔う

映像でしか描けない深淵そこに 女形の神髄と舞台裏…映画版『国宝』

男優ふたり 迫真の演舞と友情

 (李相日監督、6月14日、TOHOシネマズ赤池)

 小説『国宝』の余韻に1週間浸ってから、こんどは映画を観て、やはり映像でしか描けない深淵もあるとあらためて知った。若き女形を演じる吉沢亮(31)と横浜流星(29)が、京都・南座の舞台できらびやかに演舞する大画面が白眉だ。濃い化粧の奥の心情や目力を超アップで映し出し、裏方や楽屋の日常もリアルに伝える。原作のひと模様は複雑だが、映画はふたりの演舞と友情にピントを合わせていた。

■撮影も豪華な南座 微細な動きも大画面に

 原作で筋を知っているぼくは、映画が始まると、今か今かと待っていた。出自がまったく違う若者が、厳しい稽古を経ながら成長し、ついに京都・南座で『二人道成寺』を演じる場面だ。小説では前半のヤマ場。「スタア誕生」と名づけられたワクワク場面である。

 待ちわびた場面も、南座の本物の舞台で撮影されていた。ふたりは顔に濃い白化粧を塗り、ど派手な分厚い衣装を着て舞台袖に立ち、互いにデコピンのまじないをしたあと、舞台に出ていく。観客席はすでに満員だ。

<▲「二人道成寺」の演技場面=公式サイトの予告編から>

 ふたりの演舞や口上を、カメラはたんねんに追っていく。客席から見る光景はもちろん、客からは見ることがない角度も次々と出てくる。役者の真後ろから客席側を観た角度もあれば、真下から見あげた角度もある。舞台袖からの映像もあれば、楽屋の日常風景も加わっていく。

 いちばん映画的なのは、舞台上の細やかな動きだろう。口元や目線のちょっとしたたゆたい、人差し指と小指の微妙な曲線としぐさ。それらの超アップが映画館の大画面に流れていく。このダイナミズムは映像でしか味わえない。

1週間前に向かいの床で会食
<▲南座を東華菜館から見る=6月7日夕撮影>

 その南座、京都・四条大橋の東たもとにある。ぼくは小説『国宝』を読んだ直後の6月7日に京都を訪ね、桂離宮を観てから昔の記者仲間と会い、橋の反対側にある東華菜館の川床席で夕食を囲んだ。鴨川の向こう側に、格式ある南座が鎮座していた。席から写真も撮ったけれど、ちょうど1週間後に観る映画にも出てくるとは、その時は想像しなかった。こんな偶然もあるんだ。

著名な演目ずらり HPに解説

 映画では、節目の舞台の場面がくると、演目の名前が字幕で紹介されるのも、歌舞伎素人のぼくにはうれしかった。

 公式サイトには『二人道成寺』のほか、『関の扉』『連獅子』『二人藤娘』『曽根崎心中』『鷺娘』も含めた6演目の舞台写真と解説がアップされている。

<舞台演技が観られる6演目=公式サイトから>

■初めての歌舞伎と思えない

 もうひとつの驚きは、歌舞伎役者を演じた俳優たちが、劇中劇となる「舞台での歌舞伎演技」も、代役を立てずに自分でしっかり演じていたことだ。

 とくに吉沢亮と横浜流星は、稽古から本番まで演技を繰り返す。稽古を重ねるにつれて上手になっていく過程も演じ分けねばならない。ともにまだ30歳前後。過去の出演作やコメントを読む限り、歌舞伎を演じるのは初めてだっただろう。

 <▲主役のふたり=公式サイトから>

 脇を締める大物俳優も例外ではない。大阪歌舞伎の名門2代目を演じる渡辺謙も、老いた名女形を演じる田中珉も、歌舞伎役者の舞台演技を本人が演じていた。すごい集中力、なりきり力だ。

 公式サイトによると、4代目中村鴈治郎が指導にあたったとある。とはいえ、みなプロの実力俳優だ。かれらには、歌舞伎であれなんであれ、あれくらいの劇中劇はできて当然、やりきって一人前、という矜持があるのかもしれない。

 ぼくは本物の歌舞伎は2度しか観たことがないから、俳優が演じた歌舞伎もかなりの水準だと思ったが、本物との差はわからない。現役の歌舞伎役者はどう観ただろうか。目が肥えたファンならどう評価しているだろうか。「よくぞ、ここまで」なのか、「ぎょうさん稽古なさったんやろうけど、まだまだでんなあ」なのか。聴きたいような、いや、聴きたくないような…。

■演舞と友情にピント 原作から絞り込み

 上演時間は175分(2時間55分)もある。普通の映画は2時間ほどだから、かなり長い。でも退屈しなかった。ヤマ場になると、舞台での本番場面がたっぷりとはさみこまれ、その映像を十二分に楽しめたからだろう。

<▲先に読んだ原作小説>

 その一方で、映画らしい割り切りも感じた。原作小説では、ふたりの若者のまわりにも魅力的な人物がたくさん出てきた。ふたりの出自の背景とか、女性との出会い、日々の暮らしも多彩だった。でも映画では、登場する人物も場面も、必要最低限にまで絞り込んであった。

 その理由のひとつは、舞台での実演映像の時間をたっぷりと確保するためだったのではないか。李相白監督が2006年に撮った映画『フラガール』にも、そんな感じがあった。ぼくは印象記でダンス場面について、こう書いている。

 体を動かし、心を投入することでしか得られない高揚感―。
 李監督には、若い女性やその卵を引っ張っていける「気」があるのだろう。
 (団野誠ブログ『フラガール』から)

 人物と場面を絞り込んだもうひとつの理由は、物語の展開を、女形を極めようと励む若者ふたりの向上心と競争心、それらを包む友情に焦点をあてたい、という狙いにあったと想像している。いま残像を想い返すと、ピントは演舞と友情にぴったりとあっていた。

■「渋沢」と「蔦重」 ガチンコ競演

 ぼくがテレビで観るドラマは大半がNHKだ。日曜夜の大河ドラマは欠かさず観てきた。吉沢亮は2021年の『青天を衝け』で渋沢栄一を演じた。横浜流星はいま放映中の『べらぼう』で蔦屋重三郎を演じている。

 31歳と29歳、実績も実力も折り紙つきだ。しかも二人とも、とびぬけて整った顔立ちをしている。だから歌舞伎の女形役に抜擢されたともいえるだろう。 

 この映画、近くのシネコンで14日(土)に観た。朝いちばん、午前9時20分の開始だった。お昼前にエンドロールが終わり、明るくなった館内を見まわして、へえーっと思った。朝いちばんなのに席は3分の2ほど埋まっていて、しかも8割を女性が占めていたのだ。30代と40代が中心にみえた。

 そうかこの映画、いま人気のイケメン俳優のガチンコ競演なのだ―。映画館の出口に向かいながら、ついさっきまで大画面で見つめあっていた、ふたりのきれいな化粧顔を思い浮かべていた。