2 小説 物語に浸る

かぶき者の矜持…隆慶一郎『一夢庵風流記』

人馬一体の男気 言葉不要の交情 

 (新潮文庫、初刊は1989年3月)

 主人公の前田慶次郎は、戦国末期に秀吉や家康とも接触があった実在の武士である。派手な衣装や振る舞いを好む「傾奇(かぶき)者」で、詩歌や茶もこなす風流人であり、なにより自由と矜持の男だ。著者は脚本家として別名で活躍し、還暦すぎの1984(昭和59)年から時代小説を書き始め66歳で急逝した。こんな作家がいるよと教えてくれた高校の同級生に感謝しながら、うれしい驚きと不覚の想いで読んだ大型連休だった。

野生馬「松風」 鮮烈な出会い 

 この小説の面白いところを挙げだすときりがない。ひとつだけなら、主人公と愛馬が一体になって繰り広げる「かぶいた振る舞い」だろう。

 とくに冒頭の出会いの場面が気に入っている。慶次郎は「松風」という名の野生馬に初めて会った時から、運動と察知の能力、気性の荒さのすべてを気に入ってしまい、背に飛び乗って手なずけようとするが、松風は嫌がり何度も振り落とす。

 満身創痍でもあきらめない慶次郎を、松風が根負けし主人として受け入れる場面-。

 十日目、遂に慶次郎は落ちなかった。馬のあらゆる動きに耐え、悠然と背にまたがり続けた。馬の方が疲れて動きをとめた。荒い息を吐きながら振り向いて、信じられないというように慶次郎を見た。
 慶次郎はその首を優しく叩いた。
 「さあ。たまには俺の云うことも聞いてくれ」
 いきなり馬腹を蹴った。反射的に疾走した。例の急停止を試みたが、慶次郎は落ちない。
 「いたずらはよせよ、松風」
 そういっただけである。馬は慶次郎の命ずるままに、右に走り、左に走った。

 
 こんな気高い交情が、この小説には満ちている。

言葉いらない 潔さの交情論

 もちろん交情の相手は馬だけではない。米沢藩の家老になった直江兼続、徳川家康の次子の結城秀康にも、最後まで行動によって「信」を通す。自分にむけられた刺客とも最後は心を通わせてしまう。

 そのさい「言葉」などいらない。秀吉が征伐に乗り出す前、慶次郎が視察で朝鮮へ渡る際、こんなやりとりを仲間と交わす。折り目を入れたページから抜き出すと―。

 「俺は朝鮮を知りたいわけじゃない。地図が描きたいとも思わない。ただただうろうろ歩いて、風土を見、人に会えばいい。朝鮮の人間が何を見、何を喰い、どんな酒を吞み、どんな夢を見るか。そいつが判ればそれでいい。出来れば心の許せる友の一人も見つかればこれに過ぎたるものはない」
 「言葉も判らんで友達が出来まっかいな」
 弥助の声に嘲(あざけり)りがあった。
 「俺はそうは思わんな。そもそも友とは何かを喋るものかね」


 解説で文芸評論家の秋山駿氏もこの部分に言及している。「潔い男だと相手を認めること、それが友情」「裏切られたっていいという覚悟の中にいること、そこから潔い男の生の態度が発する」とも書く。うまいこと表現するなあ。

高校の同級生が教えてくれた

 この作家を教えてくれたのは高校の同級生のT君(69)だ。このサイト『団野誠ブログ 晴球雨読』を見て4月はじめ、こんなメールをくれた。

 共通の趣味としてゴルフの他に時代小説があります。やはり年齢なのか、はたまたIT化時代へのある種反動なのか、50歳頃より時代小説を読み漁るようになりました。
 もしまだなら、隆慶一郎と白石一郎をお勧めしたいです。読んだのは10年以上も前ですが、白石一郎は江戸時代の「海」をテーマにした作品が多く、新たな歴史観を発見します。
 隆慶一郎は、他の時代小説とはまったく異質で、話題にならないのが不思議なくらいセンセーショナルです。60歳を過ぎてから時代小説家となり、66歳で亡くなってしまったので、12作品くらいしか出版されていません。他の時代小説を読む気にもなれず、非常にショックでした。

 
 ぼくも時代小説が好きで、このサイトにも65本の書評を公開している。でも恥ずかしながら、隆慶一郎も白石一郎も名さえ知らなかった。

 すぐに名古屋・栄の丸善に行き、端末検索で見つけた隆慶一郎の何冊かの文庫から選んだのがこの『一夢庵風流記』だった。

 ぼくはまだこの作品しか読めていない。でもほかの作品の水準の高さと面白さは容易に想像できる。秋山氏は解説の冒頭で言い切っている。「私は隆慶一郎を知るのが余りに遅すぎた」「私の不明であり怠慢であった」「時代小説の天才であった。恐るべき才能である」。

 T君とは、もうひとつの共通の趣味であるゴルフを5月大型連休前に一緒に楽しんだ。茨城県にある井上誠一設計の名コースをラウンドし、高校卒業以来51年ぶりの再会を満喫して体験記も書くことができた。さらにはお勧め小説にも感動し、いまこうして新たな感想文も書いている。持つべきは友である。

同世代は名手ぞろい 「連山」に隠れ見えず?

(カバー裏の筆者略歴)

 それにしてもなぜ、これだけの作家や作品の名を目にする機会さえなかったのだろう。ぼくの視線が偏っていた可能性がいちばん大きいだろうが、それだけではない気もする。

 この作家は1923(大正12)年に生まれ、編集者や大学助教授を経てから、まずは脚本家として時代劇でも活躍した。還暦後の1983年になってからやっと「隆慶一郎」の名で時代小説を書き始めたというから、かなりの遅咲きといえる。

 もしかしたらと、時代小説でぼくが好きな作家たちの生年と没年をwikipediaで調べてみた。

        <生年>  <没年/年齢>
柴田錬三郎 1917(大正06)~1978 / 61
五味 康祐 1921(大正10)~1980 / 59
池波正太郎 1923(大正12)~1990 / 67
司馬遼太郎 1923(大正12)~1996 / 73
隆 慶一郎 1923(大正12)~1989 / 66
藤沢 周平 1927(昭和02)~1997 / 69
佐伯 泰英 1942(昭和17)~
葉室  麟 1951(昭和26)~2017 / 66

 なんと隆慶一郎が生まれた大正12年には、池波正太郎、司馬遼太郎という、その後の超ビッグネームも生まれている。隆が時代小説を書き始めた1983年は、4つ下の藤沢周平も含めて「大家たちの連山」が大きくそびえていて、活動中でもあった。

 隆慶次郎は実働5年ほどで急逝し、残した作品も十数点と多くはないこともあり、ぼくの目からはビッグネームの陰に隠れてしまったらしい。

 思わぬ形で「宝の山」を見つけることができた。あらためてありがとう、T君 !

こんな文章も書いてます