政治家とライター ふたりの「業」
(講談社、2004年6月)
野中氏の生きざまよりもまず、魚住氏のライターとしての「業」にまず魅かれる。よくぞここまで書き切ったものだと。
ぼくには語る資格も経験もないけれど、被差別部落の問題に迫ることの困難さは、察するに余りある。野中氏のように、自分の出自をあえて隠さず、逆にそのことをパワーにしつつ、権力の中枢を駆け上がっていった政治家がいなければ、書けなかったかもしれない。
野中氏が実際は、出自を書かれることに強い抵抗を持っていたと書いてあり、やや意外だった。そして「ポスト小渕」を断る理由には、自民党の中の差別の目を意識していたらしいことや、仮に首相になれば出自について洗いざらい書かれるであろうという見通しがあったこと、さらには麻生太郎の暴言があったということにも驚いた。
野中氏は京都・園部の町議・町長から府議→副知事→衆院議員→自治相→官房長官へとのぼりつめていった。蜷川京都府知事との確執に「小学区制の是非」が出てこないのは残念だった。
ぼくが中学と高校を過ごした舞鶴時代はずっと蜷川氏が京都府知事で、彼が主導した「完全小学区制」のもとで育ったからだ。当時どんな応酬があったのか知りたかった。確執の大きな要因ではなかったのだろうか。