敗戦 → 玉音・終戦 → お盆・慰霊・甲子園
(ちくま新書、2005年7月)
副題は「終戦記念日のメディア」である。ぼくには新鮮な切り口だ。いままで問題視もせずによかれと紙面化してきた「8.6-8.15 戦争もの」が、こういう形で研究されて、しかも批判の対象になるとは。
サンフランシスコ条約の発効で日本が「独立」したのが1952年。ぼくが生まれた年である。そこから、戦後日本の「言い換え」が生まれていった、という。
本書によれば、国際基準では、日本が戦争に負けた節目は「9月2日の降伏文書調印による敗戦」となる。しかし日本国民の間では「 8月15日の玉音放送による終戦」に切り替わり、それはいつのまにか「お盆と慰霊」に変質して、同時に「甲子園の若者の夏」に結びついてきた―。
そういわれればと納得せざるをえない。次のような指摘も新聞人として記憶にとどめ、反芻しながら仕事をしなければと思う。
- 日本人は「戦争に負けた」という事実から目を背けた。というより耳をふさいだ。
- マンネリ化している新聞の「8月の終戦特集」は、ニュース枯れの夏対策と記者のお盆休み用になっているのかと思える。
- 日本の8月はイスラムの断食月と同じ「聖霊月」である。