記者の蓄積をフル活用 大胆な創作も随所に?
(新潮社2006年3月)
あの9.11テロの時のNHKワシントン支局長。連日のように支局からの生中継に登場し、米国の反応をリポートしていた筆者の表情と口調をよく覚えている。異様な事件の最中でも落ち着き払い、冷静に冷静にと語る姿を、ぼくは社会部のデスク席から見つめていた。その無表情ともとれる能面ぶりに違和感を感じ、妙にイライラした気分になったこともよみがえる。
そんな印象のNHK記者が退職直後に書いた「時事スパイ小説」。貴族主義とエリート臭の嫌味はあふれんばかりに感じるけれど、現実の世界の出来事を巧みに取り込みながら、ストーリーに仕立てていく力には驚いた。
どこまでが現実の話で、どこからがフィクションなのか。とくに北朝鮮にかかわるプロットで判然としないところが、ぼくにはとくに面白い。
ニセ札には米シークレットサービスがからみ、北朝鮮が洗浄していたのは、あのよど号ハイジャック事件の田中が逮捕された経過にも明らかになっている。あの時は「スーパーダラー」といわれていたと記憶する。
それでも、このノベルに「ドキュメンタリー」の冠をつけるには、物語を作りすぎていないかと思う部分も多い。
たとえばBBCラジオの特派員、スティーブン。あれほど日本語のあやまでわかる英国人が日本に実際にいるのだろうか。最後に銃を持って突っ込んでいく「日本人のサムライみたいな死に方」をするだろうか。
たとえば瀧澤局長。田中均審議官をモデルにしているのだろうけど、実のお母さんの出自の設定はちょっと無理がないだろうか。それに最後にあんな手紙を外国人に残すだろうか。
それに中国と北朝鮮って、本当に外交やスパイがうまいのだろうか。世界を見回しきちんと分析できているのだろうか。後になって内実がわかったら、行き当たりばったりか、とんでもない官僚主義か、硬直した前例主義か、まじめすぎる集団かのどれかだったりするのではないだろうか。
といろいろ気にはなる箇所はあるが、今回の作品はフレデリック・フォーサイスやケンフォレットを想起させる水準だ。筆者は直前までNHKの記者だったから、この本のディテールのかなりの部分はそのときの蓄積に依っているのだろう。ぼくもバンコクに3年いたけれど、この人の仕事ぶりと比べると、残った蓄積はゴルフだけだったというしかない。