2 小説 物語に浸る

村上春樹訳『ロング・グッドバイ』

「建て替え」の新訳 ますます細部を饒舌に

(レイモンド・チャンドラー原作、ハヤカワ文庫、初刊2007年3月)

 たくさんのことをしゃべったり、書きたくなる本である。ほんとに。「訳者あとがき」がこんなに長い翻訳本も初めてなのだから、ぼくの気分は的外れではないだろう。

 村上春樹がなぜいま、この本の再翻訳なのかは、多くのチャンドラーファン、春樹ファンが思うことだろう。その問いに訳者はあふれるほどの修辞で答えてくれている。チャンドラーへの思い入れは半端ない。

 あとがきの中では、村上氏はチャンドラーを「寄り道の達人、細部の名人」と評している。その通りだと、頭がすっきりした。ハードボイルドでも、こんなに細部が描写され、私立探偵がぺちゃくちゃおしゃべりするのかと思いながらチャンドラーを読んでいたからだ。清水俊二訳は大学時代に読んだが、細部をかなり端折っていたとは知らなかった。 

 文体と「無意識に出てくる雄弁」の説明は正直、ぼくにはわからない。生粋の小説家にしか通じない世界なのではないか。村上春樹の読み込みの深さや文章への鋭い感性をあらためて感じる。

 チャンドラー本は1953年 いまの日本と同じ実相

 チャンドラーのもとの本の出版は1953年とある。ぼくが生まれた年の翌年だ。あのころの米国はすでにこんな生活ができていのかとぼうぜんとする。

 ロスとハリウッドでの金持ちの暮らしぶりから、ホテルとギムレットのお洒落な関係、車と電話の普及、メディアの体質、政治と貧困の本質など、ほとんどがいまの日本の実相そのままではないか。

 だからこそ村上春樹も新訳をする気になったのだろう。翻訳を住宅になぞらえて「訳から25年で改修、50年で建て替えの時期だろう」といった旨の説明には、思わずにんまりしてしまった。

 最後の場面にもあらためて「へえー」だった。大学時代に読んだのに筋はよく覚えておらず、叫んでしまった。うまい、すごいと。つまりこれが、タイトルか。To say goodbye is to die a little。この一節に関する村上春樹の解説も「あとがき」の最後に出てくる。さすがとうなりながら、分厚い文庫の最後のページを閉じた。大きな満足とともに。

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