3 随筆 個性に触れる

高村薫『空海』

作家が辿る「思い込んだら一直線の天才」 

 (新潮社、2015年9月)

 60歳を過ぎたころから、自分が仏教を含む宗教の大事な部分を何も知らないことを自覚し、それを恥じるようになった。高名な僧の空海も最澄も親鸞も道元も、それぞれの宗派だけでなく生きた時代の順さえもきちんと知らない。

 そんな時、1月3日の日経新聞「半歩遅れの読書術」という欄で、葉室麟氏がこの本を取り上げていた。葉室氏は、司馬遼太郎の『空海の風景』を40年前に読んだ記憶を呼び戻しつつ「われわれは世界が崩壊する危機を感じた時に空海のことを思うのではないか」と書いていた。

 さっそくぼくも読み始めたが、思った以上に中身は難しく、手ごわい。共同通信社が加盟社に年間配信する新聞記事として書かれたものの、プロ中のプロである著名作家が挑んだ空海である。生やさしく書かれた入門書ではない。

 空海は1200年前の天才的な宗教家だ。彼の著作は密教の神髄を伝えようとする「論文」ばかりで、どんな人生だったかがわかる身辺雑記や記録はとぼしい。生真面目で堅苦しく、思い込んだら一直線の天才肌だったらしい。

 空海が現代社会にどう残っているかを探るため、筆者は(共同通信の担当者とともに)、高野山をはじめとしてゆかりの地を訪れ、関係者に話を聞いている。訪問先は中国の長安、香川県の満濃池、京都、震災後の東北など多岐にわたる。

 空海について、ぼくの忘備録に残すのはごく基本的なことばかりだ。

  • 804年、空海は30歳過ぎに遣唐使の船に乗って唐へ渡り、別の船には最澄もいた。最澄はひと足先に帰国する。最澄は延暦寺のトップに立つが、空海に密教について教えを請うた。
  • 817年に高野山の開創に着手する。835年に死去した後、高野山は70-80年間も寂れ、空海も世間からはすっかり忘れ去られていた。

 次は高野山を訪ねてみたい。

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