しがらみ 義理 とらわれ気分に浸る
(新潮文庫、初刊1979年 / 文春、初刊1989年)
久しぶりの藤沢周平である。
■『消えた女』…文章にまだ硬さ
ハードボイルドの時代小説版だ。目立たない存在の彫師伊之助が、夜や休みを利用して捕り物で活躍する。シリーズ第1弾である。
いまでいえば、元刑事がサラリーマンになり、堅気の生活を送りながら事件の解決に尽力する感じ。離婚歴があり、格闘や短剣の技術は高い。
1979年、筆者52歳の時の作品である。1980年代の作品と比べると、文章にまだ硬さが残っているような気がする。筋の運びもどこかぎくしゃくしている。円熟期に入る前の段階の作品なのだろう。
■『麦屋町昼下がり』…円熟の筆さばき
円熟期に書かれた4編がおさめられている。こちらはスキがない。設定から筆さばき、人物描写、読後感…。すべてが藤沢周平の世界である。
6年ほど前、編集局の最後のころに一度読んでいるが、4編ともストーリーは覚えていない。藤沢作品の場合、それでももいいのだと思う。
ぼくは藤沢作品を読んでいるとき、江戸時代の浪人や剣士や町人や商人になりきり、濃密な人とのつながりの中で、しがらみや義理や人情にからみとられながら生きている気分に浸れる―。そんな関係を一瞬でも作中の人物と共有できることに読んだ価値があるのだと思う。
何か具体的なことを得るためにとか、研究や発表のために読むのではない。筋を覚えていなくたって、気にしなくていい。特に藤沢作品は。