7 催事 肌感で楽しむ

藤田嗣治展

こんなに多く描くのか 幅の広さも驚き

 (名古屋市美術館)

(▲会場パンフ)

 画家ひとりの画業をたどることができる展覧会はいつ以来だろうか。やはりいい。その人の生き方の変遷とからめて作品を眺めると、ただ作品だけを散発的に見るより、はかるかに多くのことがこちらに迫ってくる。

 それにしても著名な画家というのは、こんなにもたくさんの絵を生涯に残すものなのか。思い出したぞ。1年前に『片岡球子 生誕110年展』(愛知県美術館)を観た時にも同じことに驚き、ノートに書き残した。

 藤田の場合は、描いた絵の数だけでなくて、幅の広さも想像以上だった。有名な乳白色の裸婦はごく一部である。佐伯祐三のようなパリの街の風景画も多い。世界各地、特に南米への旅では、原色ギラギラの街の人も描いている。

 戦争画に戦意高揚は感じないが 
(▲会場パンフから)

 この作家について語るときは、どうしても戦争画を避けて通れないようだ。父が軍医のトップだった関係もあったのだろうか、戦後になって「戦争協力」を画壇から責められたという。

 会場には『アッツ島玉砕』や『サイパン』が展示されていた。作品の前でぼくは、戦意高揚や戦争礼賛といった類のメッセージは感じなかった。感じたのは、徹底したリアリズムという画家の天性だった。

 日本兵士の顔に「米兵、ナニクソ」的な志向性はあるけれど、その生々しい描写からは、戦争の恐ろしさを伝えている反戦画とみてもおかしくないとぼくは思った。

 この絵が第二次大戦末期の日本で、藤田がだれから制作を依頼され、どこで展示され、どんな日本人が観たのか、ぼくは知らない。

 戦後になって、藤田のどの絵や行動について、だれからどういう表現で「戦争協力」を責められたのかも知りたかったが、そうした説明はこの日の会場では見当たらなかった。自分で調べてみるしかないのだろう。

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