幼児体験はうずき化膿 冷徹な主題と対峙
(集英社文庫、初刊は2008年11月)
この女流作家の作品を原作にした映画は2012年に『まほろ駅前多田便利軒』、2014年に『舟を編む』を観ている。しかし本そのものを読むのは初めてだ。
この本は本棚で見つけた。家族のだれかが買ったと思われる。ページを繰ってみたら島を津波が襲う場面が出てくるので、読んでみたくなった。
東日本大震災の巨大津波に衝撃を受けて書かれたのだろう―。そう思いながら読み進めたら、これは違うと気づいた。小説に出てくる津波は、島の住民が揺れを感じないまま突然襲っている。1960年のチリ津波が題材だった。
この小説の初出は2006年だから、筆者は東北大震災の津波を動画映像で見る前にこの小説を書いていた。チリ津波の場合は動画情報はなかったと思われるので、被害の描写を読むと実力ある作家の想像力に驚かされる。
もっともこの小説の主題は津波ではない。人間の性(さが)である。ひとはひととして生まれても、それぞれ違う個性をまといながら成長する。その違いや、違いから生まれる引力がそれぞれを別の人生へと導き、往々にして、狂わせていく。そういうどうしようもなさ、のように思える。
だから読み終えても、ほとんど救いが残らない。幼いころの強烈な体験は、そのまま個々の心の中でうずき続けて化膿しやすいという冷徹な主題が残される。
末尾の解説によれば、それらを取り仕切れるのは神=光だから、筆者は「光」の名を付したのではないかという。同じ作家でも、『舟を編む』の主題とはずいぶんと違う気がする。同居できるものだろうか。