建築と記者 アジアと名古屋
(ASEAN-NAGOYA CLUB 、2017年10月)
【訪ねた国々とルート】
大学生の旅
1973年に大学2-3年を1年休学。横浜から船でソ連のナホトカにわたりモスクワをへて北欧へ。ユーレイルパスで3か月かけて欧州各国を歩いた後、中近東を陸路でインドへ。タイ経由で沖縄に帰国した。
ベイルートとバグダッド滞在中に第四次中東戦争に遭遇。アフガニスタンからパキスタンを放浪している時はラマダンの最中だった。
バンコク特派員時代
アジア通貨危機の直後の1998年から3年間、バンコクに駐在した。ASEAN加盟の10か国と、インドやネパールが主な取材担当国だった。取材で訪ねた国は16か国になった。3年のうち3分の1はタイ以外の国にいた。
【お国柄と「ベスト&ワースト」】
欧州編
経済部記者だった1989年に再び欧州を訪れイタリア、スペイン、ポルトガル、英国を回った。「1992年のEC市場統合」の準備を取材し連載記事にした。
その際に現地で知ったジョークが上段。いいところをうまく統合すれば理想的だが、組み合わせを間違えたら最悪だぞ、というイメージ遊びだ。
アセアン編
1998年からのバンコク特派員の時にはASEANで将来の市場統合の構想が出ていた。同じようなベスト&ワーストの東南アジア版をぼくが考えたのが下段。うまくいかない場合の「?」は、講演に来ていた留学生たちに考えてもらった。欧州版と同様にシニカルな要素、クスクス笑いをどう残すかがカギだ。
(注) ASEAN(東南アジア諸国連合)から名古屋にきている留学生の支援組織ASEAN-NAGOYA CLUBで2017年10月に「建築と記者 アジアと名古屋」と題して講演した。その際に用意した資料から、アジアと欧州に関係する資料を再掲した。