池波ファンの作家による鬼平スピンオフ
(文春文庫、初刊は2012年3月)
行きつけの本屋さんでしばらく前、文庫本コーナーをのぞいた時に初めてこの『平蔵の首』を知った。何? この作家は時代小説も書くの?
あとがきを先に見たら、別の作家との対談の中で、長谷川平蔵がモデルの名作、池波正太郎の『鬼平犯科帳』に言及していた。少しでも真似たら鬼平ファンの顰蹙をかってしまうので、できるだけ鬼平臭を消した、と。
その時点でぼくはまだ『鬼平』を読んでいなかったから、新たに刊行が始まっていた決定版を読み始めた。なるほどすごい。何というストーリーテラーであろうか、構成にも展開にもゆるみがない。筆も洒脱だ。すっかりやみつきになってしまい10冊を続けて読みふけり、堪能した。
ではそろそろ、と逢坂版を読んだ。それなりに楽しめた。ただやはりというか当然というか、ぼくの場合は『鬼平』を直前に一気読みしているため、「鬼平臭」が消してあればあるほど、本家あってこその分家のような位置づけに読めてしまった。後世の実力作家による尊敬を込めたスピンオフ小説と受け取った。
この作家はもともとスペインものと百舌シリーズが大好きだったので、百舌の最新作『墓標なき街』(集英社文庫、初刊は2015年11月)も並行して読んだ。残念ながらもっと期待外れだった。ひりひりするような緊張感とか展開の切れ味が、今作では薄れてしまっているとぼくは感じた。
■(2021年1月9日追記)
朝日新聞の2021年1月7日付け夕刊「一語一会」の欄に逢坂剛氏が出ていて、池波正太郎との縁を語っている。
- 逢坂氏の実父は『鬼平犯科帳』を含む池波作品の挿絵を描いていた
- その縁で逢坂氏の結婚式の仲人は池波氏が引き受けてくれた
- しかし逢坂氏の初期の作品について池波氏は厳しい意見を述べていた
- 池波氏没後20年の2010年から独自の視点で『平蔵』を書き始めた。
そんな色濃い関係の中で『平蔵』は生まれた。知っていたら、もっと違う読み方になっただろう。