1 ゴルフ 白球と戯れる

菊谷匡祐『ゴルファーの品格考』

「開高健の鑑賞家」がつづるマナーと心得

 (パーゴルフ選書、2008年)

 ゴルフ本読み直しシリーズの第何弾になるのだろうか。ぼくが読んだゴルフ本の中ではかなり後のほうになる。

 菊谷匡祐(きようすけ)さんは、ネットによれば、1935年生まれの文章家であり翻訳家。早大時代になんと、開高健と知り合い、才能の違いを思い知って「開高健の鑑賞家」となることを決意した、とある。ここにも開高の称賛者がいて、しかもゴルフ好きだとは、それだけでうれしくなってしまう。

 もとは雑誌パーゴルフの連載、それもかなり軽めのタッチである。横浜に住むシニアゴルファーとその仲間、ゴルフ場のさまざまがよくわかる。生態というのか、息づかいというのか。良くも悪くもアマゴルファーはこんな感じ、というのがにじみ出ている。

 とはいっても、ゴルファーとしてはいまの僕はかなり違うタイプになっている。この本の菊谷さんのように、いわゆるゴル友はいない。もちろん3人のパートナーがいないとプレーはできないし、つまらないけれど、プレー中はゴルフ以外の話はしたくない。ベットもしたくない。

 一打一打について考え、集中することが一番おもしろい。ゴルフに関しては、他人に関心がないのかもしれない。逆に言うと自分のプレーにしか関心がないのである。

 これっていいも悪いもない。迷惑さえかけなければ、それでよしとするしかない。孤独ではなく孤高か。孤高とは、岩波国語辞典によればこうある。

「孤独で超然としていること。ひとりかけはなれて高い理想をもつこと」

 残りのゴルフ人生、こんな境地で過ごしていけるといい。周りの人に必要以上に不快感を与えないことだけは強く意識して。孤高のゴルフ…こんなプレーヤーを目指したい。

  • 僕がひ付き合う相手は、ゴルフという球戯の神様である
  • すべてのプロセスと結果は自分が決めてもたらしたものである
  • その過程の細部にこそ、ゴルフの神様は宿っている
  • 心の中の別の自分と対話しながら芝の上を歩もう
  • ルールとマナーとエチケット、いつもにこやかに。これは絶対である。ぼくがプレーに心から浸るための防御でもある
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