6 報道 新聞の先は

橘玲『朝日ぎらい』

きれいごとへの嫌悪 「リベラル」への懐疑

 (朝日新聞出版、2018年)

 こういうタイトルの本を出せるのだから朝日新聞にはまだ良心や「らしさ」が残っているのだろう。(あとがきにもそういうくだりがある)

 忘備録として橘氏らしい記述を抜き出してみた。110ページにこうある。

  (日本の)「戦後民主主義」は「愛国」を拒絶してきたために、「愛国リベラル」(Patriotic Liberal)という世界では当たり前の政治的立場を失ってしまった。(中略)「自分たちは愛国者(バトリオット)であり、日本という国を愛しているならこそ(政治や権力を)批判するのだ」と主張しなければならない。このロジックを組み立てるのに失敗したのが、日本におけるリベラルの衰退につながっているのだろう。

 p147からの「あとがき」も的をえている。ポイントをあげると、

  • 日本で「リベラル」を主張するひととはそりがあわない。(…)きれいごとがうさん臭いからである。少なくても私は自分のうさん臭さを自覚している。
  • リベラルな新聞社では女性差別はないのだから、役員や管理会社などの女性比率は半々になっているはずだ。
  • リベラルな新聞社には「正規/非正規」などという身分差別はなく、とうの昔に同一労働同一賃金を実現しているはずだ。
  • 重層的な差別である日本的雇用を容認しながら、口先だけで「リベラル」を唱えても、誰も信用しなくなるのは当たり前だ。リベラリズムを蝕むのは「右(ネトウヨ)からの攻撃ではなく、自分のダブルスタンダードだ。
  • 残念なことに「朝日的」なるものはいまや「リベラル高齢者」「シニア左翼」の牙城になりつつあるようだ。自分たちの主張が若者に届かないのは安倍政権の「陰謀」ではない。

 なんという冷徹で容赦のない指摘だろう。ロマンとか憧れとか希望とか伝統とか、情緒の要素が多い概念の本質をクールに見つめる目力が強い。

 この本のキーワードは「日本的雇用は重層的差別構造」にある気がする。正社員、専業主婦、新卒一括採用、年功序列…。リベラル志向の新聞社なら「国を愛する」ゆえにこのあたりの問題に切り込み、率先して真にリベラルな会社にしないとダブルスタンダードになる。安倍政権になって失業率は下がっている、この実績の前では朝日的な政権批判は歯が立たない、ということだろう。

 ぼくが新聞記者になったころから、ジャーナリズム本で何度か目にしたフレーズがいま、頭の中でこだましている。
 「ブンヤ殺すに刃物はいらぬ。お前がやってみろ、と言えばいい」

 それにしてもこの本のタイトル、井上章一の『京都ぎらい』を全面的に借用している。『京都ぎらい』の書評には「結局は京都だいすきを言いたいのでは」というのがあった。
 もとの本を読んでないので、いかにもありそうな論評にすぎないのかもしれないが、この『朝日ぎらい』については、ぼくの読みも同じだ。筆者も本心では、朝日に代表されるリベラル志向を大切に思っていて、なんとか言論空間に残ってほしいというエールではないか。楽観的すぎるかもしれないが。

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