4 評論 時代を考える

『地球の歩き方』の経営難と事業譲渡

旅と活字の融合 老舗襲うネットとコロナ

 海外旅行ガイド『地球の歩き方』が経営難のため事業譲渡されると21日夜のラジオ番組で知った。ぼくが社会人になった翌年の1979年に創刊され、フリー旅行と活字が見事に融合し、海外旅行の必需品だった。行き詰まりの要因はネットとコロナ。海外旅行自由化の中で支持され、皮肉にも、グローバル化のさらなる深化とともに消えていくのか―。

(▲本棚の『歩き方』シリーズ。古い版を入れるとこの3倍は買ってきただろう)
■高橋源一郎氏のラジオ番組で知る

 このニュースを知ったのは、NHKラジオ番組『高橋源一郎の飛ぶ教室』(毎週金曜日午後9時05分~)の12月18日放送だった。ぼくは21日夜の布団の中で聞き逃しサービスで聴いた。高橋源一郎氏は冒頭の「読むコラム」でこの話を取り上げ、『歩き方』が作り上げた旅文化や読者交流、いまどきの若者旅事情にも言及し、今回の事態を残念がっていた。

 恥ずかしながらぼくはニュースそのものを知らなかった。きょう朝起きてからヤフーで検索した。発行元のホームページやwikipediaなどを総合すると、こんな流れだった。

  • 発行元のダイヤモンド・ビッグ社は11月16日、出版・インバウンド事業を学研グループに譲渡する、と発表した。
  • 新型コロナウィルスの世界的な流行によって、海外旅行が「消滅」し回復時期が見込めないことが影響しているとみられる。
  • 学研プラスは子会社「株式会社地球の歩き方」を設立し、2021年1月1日付けで『地球を歩く』事業を引き継ぐ。
 ■初利用は創刊3年後 題名・目線に魅力

 ぼくが『歩き方』を初めて海外旅行に持参したのは1981年、富山支局の記者時代だった。この年の秋、県の第11回海外青年派遣事業「青年の翼」に参加する機会に恵まれ、車いす5人を含む66人の青年のドイツ、ベルギー、フランスへの2週間の旅を同行取材した。

 『地球の歩き方』が1979年に創刊された時は「ヨーロッパ編」と「アメリカ編」だけだった。青年の旅でぼくが手にしていたのは「ヨーロッパ編」の初版だったのだろう。大手旅行代理店の定番ガイドと読み比べると『歩き方』の方針は明快だった。海外旅行自由化の波に乗って急増していた「バックバッカーひとり旅」に目線を合わせていた。そのタイトルとデザインのすばらしさ、編集のきめ細かさも魅力だった。

(▲2018-19年ロンドン編の1ページ。細かな情報、地図、気の利いたコラム…)
■学生時の欧州旅 米国人が『1日3ドルの旅』

 ぼくは学生時代の1973年に長いひとり旅をした。ソ連→欧州→中近東→インド→東南アジアを文字通り「歩いた」。出発前の日本に案内書があったのは欧州だけで、その内容も、きちんとしたホテルに泊まる大人向け。ぼくの目指した「できるだけ安く、長く」という旅には役に立たなかった。

 そのときの欧州でアメリカやカナダからきた若者の多くが頼りにしていたのが英語のペーパーバック『1日3ドル 欧州の旅』だった。ドイツのユースホステルで見せてもらうと、安宿(ゲストハウス)、大衆食堂と名物メニュー、体験者の耳寄り情報などが小さな字で満載されていた。

 彼らは用済みになったページは破り捨てたり仲間にあげて本をスリムにし、それをジーンズの後ろポケットに突っ込んで街を歩いていた。本の薄さが長旅を意味する。「どうだい、俺はこんなに歩き回ったんだぞ」と。ぼくにはそれがカッコよくて、その本をドイツで買った。とても役に立ち、こんな本が日本語であったら売れるだろうに、と思った。

 同じことを感じた日本人がその前か後にいたのだろう。『歩き方』の創刊は、ぼくのその長旅から10年後だった。ぼくのひとつ上の生まれで、留学後に同じ体験をしたという澤田秀雄氏は、帰国後に格安航空券や個人旅行の代理店を設立し、それが現在の大手「エイチ・アイ・エス」になった。ぼくはガイドブックや代理店のことは発想にもなく、後になってつくづく起業センスがなかったのだと思い知ることになった。

 その学生時代の長い旅ではぼくはイスタンブールからから中近東・インドへと向かった。さすがにそれらの国のガイドブックは米国にもなく、ゲストハウスで会うバックパッカー仲間の話やロビーに貼られた隣国情報ポップ、現地日本大使館が頼りだった。それがいまは『歩き方』で紹介されてない国を探すのは難しいだろう。

■ガリバーゆえに”日本人いない店”の案内にも

 社会人になってからの海外旅行では『歩き方』はぼくの大事な情報源になった。日本人の大半が持っているガリバー的ガイドなので、行ってみたら日本人ばかりということもあったが、それを避けたい時の情報源にもなった。バンコクに3年駐在した時も公私で重宝した。日本からの大事なお客さんには「ここは『歩き方』にも載っていないんですよ」というためにもー。

 ぼくにとっての『歩き方』のいちばんの魅力は当初、体験者の投稿や一口メモだった。その宿や店にいかないと絶対にわからない感覚が短い文章から読み取れる。現地のカフェや酒場や宿でその街のあれこれを読んでいると、実際には訪れていない場所の空気もよくわかり、旅の楽しみが増した。

■「旅の生体験」を奪うネットとスマホ 

 そんな存在感をいとも容易に消し去ったのが、その後のネットとスマホの普及であることはだれもが容易に想像がつくだろう。ぼくも2年前にロンドンとパリを久しぶりに歩いた時は、携帯wifiにスマホをつなぎ、goegleマップで周辺の名所やレストランの情報を日本語で読んでいた。それでも『歩き方』の活字情報は、ゆるぎない信頼度を与えてくれたのだけれど―。

 いまの若い人たちが、ニューヨークもパリも日本にいて疑似体験できる、と思い込んでもおかしくはない。そこへ行って生体験するのとしないのではとんでもない違いがある、というのは行ってみないとわからないことだ。大学の先生もしている高橋源一郎氏は冒頭の番組で、最近の学生が海外旅行に昔ほど関心を示さない傾向を認め悔しがっていた。ぼくも同感だ。

 かさばるガイドブックを携帯し、街中で開くというあの旅行者スタイルは一変してしまったようだ。『歩き方』でも売れなくなるのはわかりすぎるほどわかる。そして決定的なのが今回のコロナ禍である。海外旅行そのものが消滅してしまった。いつ戻ってくるかもわからない。

 ネットやスマホの普及は各国のグローバル化を促進させてきた。これは今後さらに加速するばかりだろう。コロナウィルスの地球規模の蔓延は、グローバル化によって国境をまたぐ移動が活発になったことも大きな要因だろう。『歩き方』経営難はグローバル化の負の側面を反映している。

 経営上の判断はともかく、『歩き方』シリーズはこれから学研グループのもとで編集上の路線変更、再構成などの工夫がなされるだろう。これまでたくさんの旅でお世話になった伝説のシリーズである。新たな形で再出発することができ、その新シリーズを携えて再び海外旅行にでかけられる日がやってくると信じて待ちたい。

 

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