7 催事 肌感で楽しむ

昭和日常博物館

眼前に「あのころ」 こみあげる懐かしさ

 (北名古屋市)

 エレベーターの扉が開いたら、いきなりオート三輪が目に飛び込んできた。ブリキ看板の駄菓子屋もある。な、なんだこれは、こんな博物館があるのか !  ぼくがまだ幼少だった1950年代、昭和日本の茶の間や通りにあった日常品が、あちこちからやさしく「あのころは…」と語り掛けてきたー。

(▲オート三輪や自転車)
 ■板張り茶の間に幼少時の日常
(▲再現された茶の間)

 たくさんの展示の中でぼくがいちばん惹かれたのは、茶の間の再現だった。床は板張り。板戸の前に大きめの食器棚がふたつある。ど真ん中に丸いちゃぶ台が置いてあり、わきには火鉢とご飯のおひつ。ちゃぶ台の上に白いご飯と焼き魚とみそ汁と漬け物、急須と湯呑…。

 ぼくは京都府舞鶴市の田舎の農家で昭和27(1952)年に生まれた。小学低学年まで茶の間はこんな感じだった。冷蔵庫もテレビもガス炊飯器もまだなかった。

 (▲お釜やジャー)

 いま思えば冬は寒くて、すわる足はこごえて痛く、おかずも種類は限られ毎日おなじことも多かった。

 なのにどうして甘い感情とともに思い返してしまうのだろう。「あのころ しあわせだったなあ」とー。

 ■食べた遊んだ学んだ 60年前の記憶が目の前に

 ほかにも、食べ物から日用品、学校の教材、人気の雑誌など、それこそこんなものまでと感心するような品々が展示されている。ジャンルに沿って集めたコーナーもあり、比較もしやすい。

(▲インスタント化の波 )

 このころを街なかで過ごした人なら、駄菓子屋さんがいちばん記憶や味覚に飛び込んでくるのではないだろうか。学校の帰りなんかになめた飴玉やキャンディーの味が即座に口中によみがえるに違いない。

(▲駄菓子屋さん)

 「ああこれっ、うちにもあった」「こんなの あった あった! 」。弾んだ声がほかの見学者から何度も聴こえた。展示をしっかり見ようとしたら、好きな人には時間がいくらあっても足りないだろう。一緒に行った妻も、故郷の石川県大聖寺での暮らしを思い出していたようだった。

 ■第1回博物館協会賞! 新聞記事で知る

 ぼくらが訪れたのは2021年の1月14日だった。この博物館の存在を知ったのは前年11月25日の朝日新聞朝刊の「ひと」欄だった。この昭和日常博物館が「第1回博物館協会賞」を近く受賞することと、館長の市橋芳則さん(57)が写真付きで紹介されていた。

(▲ 博物館は3階にある)

 この記事によると、場所はなんと北名古屋市とある。ぼくは名古屋市に住んで50年になるけれど、恥ずかしながら訪れたことがなかった。師勝町と西春町が合併して北名古屋市になったのは2006年。この博物館は師勝町時代の1990年に「歴史民俗資料館」として開館し、土器や埴輪、伝統農具などを収蔵していた。もしそのままだったらこんな大きな話題にはならなかっただろう。

 ところがスタッフが寄贈品を受け取りに民家を訪ねると、昭和期のレコードや玩具などが木箱などに詰められて放置されていた。スタッフがそれらにも話を振るとみな熱く語りだすではないか。それにヒントを得て1993年に開いた企画展『屋根裏の蜜柑箱は玉手箱』が人気を集め「昭和の日常品」に重点を移す契機になったと記事にある。面白いストーリーだなあ。

 ■『三丁目の夕日』より10年も前に

 この博物館に入ると、だれでもすぐに邦画『ALWAYS 三丁目の夕日』を思い出すだろう。昭和33年の東京の下町を舞台にしたこの映画でも、オート三輪が活躍していた。

 ただ第1作が公開され大ヒットしたのは2005年だった。この博物館は名古屋近郊の小さな町にありながら、この映画より10年以上も前くから「昭和の香り」に誘われ、その魔力を察知して地道な収集に乗り出していた。いい話だなあ。十分に賞に値すると思う。

 おりからのコロナ対策のため、館内での滞在には20分の時間制限が設けられていた。さすがに短い。コロナが収まったら再訪して、もっとじっくりと「あのころ」に浸ってみたい。

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