4 評論 時代を考える

大阪球場跡に「ノムさん」帰還

球団と確執 開館18年 ユニフォーム展示

 (なんばパークス、2021年2月14日) 

<▲野村の「帰還」を伝える記事=2021年2月16日朝日新聞朝刊>

 昨年2月に亡くなった野村克也のユニフォームなどが14日、大阪市浪速区の「なんばパークス」にある南海ホークス・メネリアル・ギャラリーに新たに展示された。名古屋の朝日新聞も16日、朝刊スポーツ面で記事を掲載し「南海のノムさん おかえりなさい」との見出しをつけた。

 ■2004年に視察 「野村不在」に仰天

 「なんばパークス」は2003年、大阪球場の跡地にできた。注目の大規模再開発だったので経済部長だった2004年に大阪出張の際に視察した。だがノートに残した訪問記は建物よりも「野村不在」に驚いたことばかりを書いていた。大阪球場は南海の本拠地で、野村はスター選手で監督でもあったのになぜ、と。球団との間でよほどの確執があったのだろう。

<▲なんばハークス=ホームページから>

 ぼくにとって野村克也は18歳も年上だけど、今もなお身近で特別な天才だ。「ぼくと同じ京都府北部の田舎高校から、バット一本かついで大阪までテストを受けに行って合格し、捕手として大成しただけでなく、戦後初の三冠王になった。後年の語りもすごい」

 なのに現役当時は、人気の巨人の長嶋茂雄や王貞治にばかり賞賛と光がそそがれ、パリーグの野村はそれほど目立たなかった。風貌もぱっとせず、ぼそぼそと語る地味な存在でもあった。

 すさまじい振れ幅 現役でも解説でも 

 しかし今回の「帰還」を知り、野村の人生を彩ってきた見出しをたくさん思いだした。その振れ幅はなんとも、すさまじい。

 プレイヤーや監督のキャリアだけでも「高卒のテスト生入団」「捕手ではまれなスラッガー」「戦後初の3冠王」「球団による監督解任」「ヤクルト、阪神、楽天で監督」とめまぐるしい。

 彼をより有名にしたのは解説だろう。くぐもった声による「ぼやき節」と、その口調とは一見そぐわないように思える言葉力、表現力。「ぼそぼそ声なれど頭脳明晰、表現多彩」なのだ。田中将大投手が今春から日本に復帰することで、あの名言「マー君、神の子、不思議な子」もことしまた何度か繰り返されるだろう。

 さらには「沙知代夫人との共闘と夫婦愛」も、野村の晩年の「らしさ」を倍加さたせていた。沙知代夫人は1977年の監督解任の遠因にもなったという記事を訃報で読んだ記憶がある。夫妻ともに亡くなったいま、収まるところに収まったといえるのかもしれない。

 ■江本さん呼びかけ 4354万円の寄付

 今回の「帰還」は、南海OBで野村とバッテリーを組んだ江本孟紀さんが発起人となり、クラウドファンディングでリニューアル費用として4354万円を集めて実現した。遺族の承諾も得た、という。

 ファンや大阪の府市民の寄付という形がいいなあ。野村の死から1年、開館から18年という時間も、多額の寄付につながったのだろうか。18年前と同様の大阪人らしい「情」を感じる。久しぶりにほんわかするいいニュースだった。

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