5 映画 銀幕に酔う

ドキュメンタリー映画『テレビで会えない芸人』

松元ヒロ 圧巻のひとり舞台 風刺と憲法

 (鹿児島テレビ放送製作、2022年2月公開、名古屋シネマテーク)

 コント芸人として人気を博しながら46歳でテレビを去り「ひとり舞台」に転じた男、松元ヒロのドキュメンタリーである。政治や時事問題に強烈な風刺を連発し、護憲への熱い思いと改憲への反発もネタにする。しかも1952年生まれの同い年。ぼくはこの映画で初めて彼の存在を知り、圧巻の舞台とにじみ出るやさしさにしびれた。4月の名古屋ライブは生で観たい。

1952年生 陸上部 元ニュースペーパー

 この映画は新聞記事で知った。名古屋公開が2月12日(土)からで、ビートルズのライブ映像『Get Back』も同時期に5日間限定上映されることも記事になっていた。

(▲バンフの裏面)

 どちらかひとつしか観る時間がなく、ぼくはこの芸人ものを選んで13日の日曜日にひとりで観た。松元ヒロとは共通点が多いと感じ、どんな男なのか強く惹かれたからだった。

ともに1952(昭和27)年の生まれ

 ぼくが6月、松元は10月。ことし70歳になる。

ともに高校は陸上部

 松元は鹿児島実3年のとき全国高校駅伝に出て最終7区5kmで区間賞を取りスポーツ推薦で法大に進学。ぼくは走り幅跳びが専門で駅伝は京都予選の2区3hmを2度走ったが、タイムは下位だった。

ともに元「ニュースペーパー

 松元はコント集団『ザ・ニュース・ペーパー』の創設メンバーとしてテレビでも人気を得たが1998年(46歳)に舞台ソロ芸人に転じた。ぼくは68歳まで新聞社に勤めた。

スタンダップコメディ 台本には手書き修正びっしり

(▲公式プログラムから)

 初めて知った松元という男の存在も、初めて観たその芸も、圧巻だった。ボタンダウンの白シャツにノーネクタイ、黒のスーツでひとり舞台に立ち、時事ネタの毒矢を客席に向けて吹き放っていく。

 発する言葉にはしかし、鋭い風刺だけではなくウィットと独特のやさしさがいい塩梅に盛られているから、聴衆は健全な笑いをえられる。決して嘲笑や冷笑ではない。こういう芸を「スタンダップコメディ」と呼ぶこともプログラムで知った。

 カメラは稽古の様子もていねいに追っていた。松元がのぞきこむノートには、横書きの台詞のあちこちに修正が施してある。余白も挿入の手書き文字でびっしりと埋まっていた。

 彼は語りが勝負の芸人なのに、準備ではこんなに文字で言葉を磨くのかと驚き、うれしかった。ぼくも入社直後の原稿は手書きだったから修正や挿入でぐちゃぐちゃになった。パソコンで「打つ」ようになると、途中のもがきは痕跡を残さなくなってしまった。

痛快な政治風刺 しみじみ憲法

 松元が舞台で風刺を向ける相手は、時の安倍政権や麻生元首相が多かった。新聞の政治風刺漫画に近い。同音異語や知的ダジャレもうまく織り込んで庶民の不満やうっぷんを軽快に代弁してくれる。

 日本国憲法を擬人化した話芸は、松元の真骨頂だろう。「こんにちは、憲法です。リストラされるうわさを耳にしたんですけど」と切り出していく。格調高い前文をよどみなく暗唱する姿は「芸人」という呼称からは遠い。結びの「わたしをどうするかはみなさんが決めることです」を聴くと、ぼくはある本を思い出した。

 『写楽BOOKS 日本国憲法』(1982年、小学館)。憲法の全文を大きな活字で載せ、すべての漢字にはルビがふってあった。難しい用語には脚注がつけてあった。

 ぼくは当時30歳、富山支局の駆け出し記者だった。恥ずかしながら憲法はまともに読んだことがなかったので飛びついた。

 あれから40年、この映画で初めて、憲法前文を耳で聴いた。松元ヒロの情感あふれる暗唱で。その夜にはこの本を開き、前文を自分で音読してみると、松元ヒロが体現してくれた「憲法くんの矜持」が行間に充満しているのを感じることができた。

自己規制への自己批判?  監督はテレビマン

 新聞記事や公式プログラムによると、この映画のもうひとつの主題はテレビの危機だ。政治批判や風刺を避ける空気が現場に強く、松元のような芸人は番組では扱いにくい—。それを疑問視する意識がこの題名になった。

(▲プログラムから)

 その空気のもとは、スポンサーや視聴者からのクレームを嫌う感覚だという。日本社会に「コンプライアンスの重視」とか「ノーリスク願望」が広がり、それに呼応したテレビ側の「過剰な自主規制」があるらしい。新聞しか知らないぼくは想像するしかない。

 このドキュメンタリーは松元の出身地である鹿児島のテレビ局がまず30分番組にして2019年7月に放映した。話題になり2020年に長尺版を放映すると日本民間放送連盟最優秀賞などを受賞し、今回の映画版につながっている。

 地方局のテレビマンが勇気を持って制作したドキュメンタリーが評判となり、業界の最優秀賞まで得たのは素晴らしい。名古屋のテレビ局の挑戦が切りひらいた地平でもあるのだろう。

 ただその後のテレビ業界が全体として、いいにくいことも積極的に伝えていこうという方向に変わっているという感じは、茶の間で眺めている限りでは伝わってこない。それほど現場の「空気」は重いのだろうか。この映画、良識派の存在証明で終わってほしくない。テレビマンたちの奮闘に期待しよう。実は新聞の課題の方がもっと大きくて重たいのでは、と案じつつ…。

5年ぶりシネマテーク 満席に安心

 今池の名古屋シネマテークは久しぶりだった。手元の観賞ノートを見ると、2017年1月に『人生フルーツ』を観たのが最後。その前はなんと2008年9月の『鳥の巣』までさかのぼる。今回も含めてみなドキュメンタリーなのは、この映画館の特長でもあろう。

(▲名古屋ライブのパンフ)

 5年ぶりのシネマテークは記憶にあるロビーや客席とほとんど変わっていなかった。ミニシアターの代表格だった岩波ホール(東京)が7月に閉館すると発表したばかりだった。定員40人がほぼ満席になってほっとした。50代から70代が中心にみえた。4割ほどを女性が占めていのが意外だった。

 少しでも援助になればと、ふだんは買わない公式プログラムも購入した。『日本国憲法』とあわせて帰宅後に読んで、なんとか継続してほしいとあらためて思った。

4月に県芸でソロライブ

 会場でもらったパンフには、名古屋での次のソロライブの案内もあった。4月16日(土)の午後に愛知県芸術劇場の小ホールで開かれる。たまたまだけど同い年の男が磨きあげた至芸を、自分の目と耳で味わいに出かけよう。

(追記) 生身のソロライブ 映像しのぐ熱量

  (2022年4月17日追記)

休憩なしで105分 すさまじいプロ魂

(▲ロビーには「満席」表示)

 本物のライブを2022年4月16日、名古屋・栄の愛知県芸術劇場で観た。1時間45分にわたって休みなくステージ上に生身をさらし続け、語りかけ、顔をゆがめ、体をねじり、動き回った。すさまじい熱量とプロ魂。ドキュメンタリー映画から想像した水準のはるか上の世界で飛び跳ねていた。これが同い年かよ―。うなるしかなかった。

 多彩な技の複合

 ヒロが繰り出す技の多彩さを言葉で説明するのは難しい。

  • 正確で的を得ていて聴きやすい言葉の連射
  • 笑みと苦渋と怒りと情感…変幻自在な表情
  • 体を地図やピクトグラムにする自在な動き
  • 「透明な壁」を見せてくれるパントマイム
  • 笑いを呼び込び、涙腺をくすぐる絶妙な間

 いくら書いてもきりがない。というより書けば書くほど、不思議な魅力から遠ざかっていく。それでもあえていうなら、「どうしても伝えたいこと」がゆるぎない核として彼の中にあり、身につけたすべての技を動員してそれを表現しようとしていることが、こちらにもまっすぐに伝わってくる、ということではないだろうか。

ネタは硬派か生真面目

 「ゆるぎない核」をもっとも強く感じたのは、こんなネタの時だった。

  • 映画「MINAMATA」の写真家ユージン・スミスの生きざま
  • 高校の後輩、阪神・横田慎太郎の涙の引退試合
  • 斎藤幸平著『人新世の資本論』とマルクス・エンゲルス
  • 日本国憲法になりきって改憲の動きを批判する「憲法くん」

 どのテーマも硬派か、生真面目なものだった。いわゆる「芸人」という立ち位置で突っ込んでいって笑いをとるのにふさわしい話題ではない。自分が心の底から感じる「情感」や「震え」を体ひとつで表現し、聴衆の「共感」を誘っていた。

 「同い年」プーチンには触れず

 松元ヒロのドキュメンタリー映画を観た直後に、ロシアがウクライナに軍事侵攻していた。プーチン大統領は1952年生まれだから、松元ヒロやぼくと同年だ。

 この日、松元ヒロがロシア大統領をどう茶化すか注目したけれど、プーチンには直接は触れず、「正義、正義というから戦争になる」「家族と思えばいい」とだけ言及し、自民党内で「核共有」議論が出ていることを批判しただけだった。「憲法くん」がプーチンをどう評するか聴きたかった。それだけが心残りである。

 280席が売り切れ 「映画観て」も多数 

 この日の会場は定員が280人。「全席売り切れ」の表示が、ロビーに掲示してあった。ぼくが見たところ、8割は還暦を過ぎていて、6割以上は女性だった。松元ヒロが冒頭で聴衆に尋ねた反応では、映画を観て初めてこのライブを見に来た人が、私を含めて3割はいた気がした。 

 

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