あふれる熱量 人口世界一の活力
(ラージャマリ監督、日本公開2022年10月)
のっけから、すさまじいアクションとスペクタクルの連続パンチを喰らう。すげえこれと驚いていると、陽気なダンスが始まり、人間の足が蒸気機関車のピストンのように猛回転する。いやはやなんともとのけぞっていると、湿り気を帯びた男の友情と愛国心まであふれてくる。インドは昨年末、人口がついに中国を抜いて世界一になった。その活力と熱量が銀幕の外にまで噴出している。
■主人公VS猛獣トラ リアルで猛スピード
とことん肉体を鍛え上げた主人公が、猛獣のトラと繰り広げる格闘シーンが出色だった。特撮のアクション映画をたくさん観てきたわけではないけれど、動物がらみでこんなにハラハラしたのは、1993年に観た『ジェラシックパーク』以来だ。
トラといえばインド、そんな印象がある。かれらの仕草や俊敏な跳躍に潜むくせを、監督やCG製作者たちは文化として熟知しているのではないか。
リアルでスピード感あふれる格闘が次から次へ出てくる。予測を超えた、視覚への強い刺激に「こんな映像、どうやって作ったの?」と考えるいとまもない。
■定番のダンス 磨きあげハイレベル
インド映画といえば、途中で突然でてくる踊りと歌も定番だ。この作品もその「期待」は裏切らない。いや、数段もギアを上げ、追随を許さない水準に達している気がする。
なかでも屋外パーティー会場で主人公ふたりが披露する『Naatu Naatu』が、すばらしい。手足の動きがとにかく超高速で、しかも滑稽だ。あっ、こんなのを「キレッキレ」と呼ぶのか、と感心してしまった。しかもリズムもメロディーも欧米の物まねではない。インドにしかない香りと色気と自信に満ちている。
この作品は2023年の米アカデミー賞の楽曲部門にノミネートされている。しかも『Naatu Naatu』の楽曲とダンスは、3月12日の授賞式で生披露されるという。あれだけの速い動き、本当に生の舞台で踊ることができるのだろうかー。
■使命か友情か 反英国の激情の中で
舞台はインドがまだ英国の植民地だった1920年に設定されている。独立を果たすのは27年後の1947年。したがって統治する総督も仕える部下たちも威張りまくっている。現地の民を見下す下品な様は徹底していて、戯画的でさえある。
主人公の青年ふたり、ビームとラームは貧しい村に生まれ、総督や英国軍に踏みつけられた経験がある。青年になって「使命」を帯び肉体を極限まで鍛え上げ、首都デリーに出てきている。
このふたりが、鉄橋列車事故の現場で少年を協力して救出することで知りあい、相手の「使命」を知らないまま強い友情を感じるようになる。しかしビームの「使命」と、ラームの「手段」が真っ向から対立して…。「友情か? 使命か?」。映画ポスターはこう掲げ、テーマを明示している。
ともに独立運動の闘士 創作の「若き日」
新聞の映画評やwikipediaによると、ふたりは実在した独立運動の闘士だが、1920年はまだ表舞台には出ていない。しかも実際にはふたりは死ぬまで交遊はなかったとされている。
つまり映画が描くふたりの闘士の友情も、対立も、格闘も、みんな創作なのだ。ちょうど100前、インドが独立に向けて運動を始める直前に「起こりえた物語」をラージャマリ監督が想像して生み出した。創造の源にあるのは強い愛国心ではないかとぼくは考える。
われらがNHK大河ドラマの最近の主人公、北条義時は800年前、徳川家康は400年前の人物だ。こちらも「あったかもしれない物語」のドラマ化部分が人気の秘訣だが、インド版は日本なら大正時代。比べても意味はないだろうが、創作の度合いはインド版の方が異次元に深い、と感じてしまう。
■「RRR」の意味は
題名『RRR』は変ったタイトルだ。観る前に予備知識はなかった。映画では節目に、ひとつの英単語を中央にあしらった画面が挟み込まれ、「R」の文字だけが大きくしてあった。その英単語とぼくの解釈は—
- STO「R」Y → 物語(の始まり)
- FI「R」E → 火(の誕生?)
- WATE「R」 → 水(の誕生?)
といっても、観終わってもぴんとこなかった。新聞の映画評やネット記事を参照すると、これらはふたりの出会いと持ち味を、ヒンドゥー教の聖典に重ね合わせてあるらしい。ぼくにぴんとこないわけだ。
ネット記事には、Rise(蜂起)、Roar(咆哮)、Revolt(反乱)の頭文字という説明もある。英語のセリフには、らしい言及があったのかもしれない。ぼくは字幕を読むだけで精一杯だった。
ふたりの主役と監督の名前に「R」があるからという憶測もネットで読んだ。ラージャマリ監督はわざと、いろんな意味あいを複合的に持たせようとしたのかもしれない。
■やはり恐るべし インド映画
これまでに観たインド映画や、インドと関係が深い映画を思い返している。印象記まで書いた4本と、ぼくがつけた見出しは、こんなラインナップになる。
スラムドッグ&ミリオネア (2009年、英映画)
路地の人いきれと臭い 再現がクイズ直結
ライフ・オブ・パイ (2013年、米映画)
奇想天外の冒険ファンタジー 多彩な宗教観
きっと、うまくいく (2013年、インド映画)
競争否定の3馬鹿 友情と信念の学園生活
マダム・マロリーと魔法のスパイス (2014年、米映画)
仏と印の奇跡的融合 “隠し味”にハリウッド
それぞれの作品のテーマも製作国もばらばらだけど、『RRR』との共通点は多い。むせかえるスラム街、男たちの友情、猛獣トラと人間、切れ味鋭い頭脳…。インド恐るべし、とあらためて思う。
■ひと人ひと スラム 匂い…底光りの魅力
ぼくにとってインドは青春の思い出の地だ。大学を休んでユーラシア大陸放浪中の1973年、21歳のとき、1か月かけて横断した。あふれる人波、早口のダミ英語、ウシと物乞いも行き来する路上、カフェで飲んだ紅茶の甘さ、スラム街を覆う強烈な匂い…。こちらの芯に響く、底光りする魅力があった。
新聞記者になって1998年から3年、タイ・バンコク駐在特派員の時は、カバー(取材担当)国のひとつだった。世界史の舞台を巡る連載や巨大地震、米大統領訪問の取材のため3度、1週間ずつ滞在した。
そのたびにもっとも強く感じたのは、ひとびとが日常的に発している喜怒哀楽のエネルギーの大きさだった。とくに怒りの表現と上昇志向は、ぼくが知るどの国よりも大きかった。
それがこの映画の骨格をなしている気がする。文学や音楽なら個人の力だけでもかなりのものができるかもしれない。映画は総合芸術なので、その国に分厚い文化、なにより国民に熱情がないと、他国の人にまで訴える作品にはなりにくいのでないか。
■ついに人口が世界一 映画でもいずれ?
そのインド、人口が増え続け昨年末には14億1700万人になった。国連は「2023年には中国を抜いて世界一になる」と予測していたが、中国は1月17日、2022年末は14億1200万人だった発表した。世界一の国はすでにインドに入れ替わっていた。
人口増が映画に影響するのか—。だれも答えを持たないだろう。しかしインドには長い歴史と独自の宗教世界がある。世界を凌駕するIT能力と英語力もある。映画製作の実力は折り紙つきで、今世紀に入ると話題作を連発し「ボリウッド」の異名がある。
この『RRR』は昨年10月に日本公開された。直後に新聞の映画評を切り抜いたものの、どうしても観たいとは思わなかった。ところが3月になって二女から「めっちや、面白かった。お父さんも絶対、観た方がいいよ」と勧められ、3月8日(火)に妻と近くのシネコンで観た。
インドが人口で中国を抜いて世界一になったのと時をあわせるように、大ヒットは続いているらしい。ぼくが観た日も、公開開始から4か月もたった平日の午後なのに客は30人ほどもいて、20人ほどは若い男女だった。この『RRR』、インドがいずれ映画でも米国のハリウッドを抜いて世界一になる道のりへの号砲なのかもしれない。