2 小説 物語に浸る

やっぱり濃厚なこの世界…宮部みゆき『きたきた捕物帖(一)(二)』

ソフト&ハード 絶妙ボイルドのコンビ

 ぼくは知らぬまに、江戸は本所深川の長屋で暮らす隠居老人になりきって、若者ふたりを応援していた。16歳の北一は頼りなくておしゃべりだけど、紙箱の行商と岡っ引きの見習いに一途だ。もうひとりの「きた」こと喜多次は忍びの末裔で、口数は少ないが行動は早い。隙がない描写の重なりと予測を裏切る展開…。19年ぶりの宮部ワールド、やっぱり濃厚で美味しかった。
 (PHP文芸文庫、初刊は2020年6月と22年6月)

 <▲『きたきた捕物帖』の左が(一)、右が(二)の『子宝船』>

■ソフトな北一 ハードな喜多次

 いまから30年ほど前にはまった小説ジャンルに「ハードボイルド」があった。船戸与一、原尞、逢坂剛、大沢在昌…。彼らが書いた探偵ものや冒険ものだ。

<▲棒担ぎが北一、屋根上に喜多次>

 喜多次はその「ハード」の匂いをぷんぶんさせて登場してくる。ほとんど無駄口をたたかず、しかし、北一から頼まれて納得すると完璧にやりとげる。じつは情にももろくて、心中は熱い。

 冒頭から出ずっぱりの北一は「ソフト」だ。なんとなく頼りなくて、おしゃべり。すぐに反省するし、食いしん坊なのを隠そうともしない。明晰な頭脳と芯の強さは備えているけれど、ふだんは表には出さない。

 この「きたきた」コンビが本所深川を駆けずり回り、なぞ解きをしていく。「ソフト」と「ハード」の按配が心地よい。煮たり茹でたりの加減が美味なのだ。そんな筆づかいを「絶妙ボイルド」と呼んだら筆者に笑われるだろうか。

■みなし児の成長物語

 北一はみなし児の状態で岡っ引きの千吉親分に拾われ、育てられた。親分が16歳で急死すると、岡っ引きのいろはを体で覚えていく。

<▲先頭が北一、帆の裏に喜多次>

 親分から引き継いだ文庫(本や小間物を入れる紙箱)の販売でも、すこしずつ商いを広げていく。相棒の喜多次も親はいない。

 北一は「富勘」という名の長屋のひと間に住んでいる。おなじ長屋の親子や仲間のつましい暮らしぶりとか、北一とかれらの朝夕のやりとりが、乾ききった現代社会で暮らす読者の心情に沁みてくる。

 ぼくはすぐに、長屋の一角にすむ隠居老人になりきってしまい、小説世界に浸っていった。「がんばれ北一!」。これって、このシリーズの大きな特質が成長物語であるということだろう。

■「自白偏重」を批判

 読みながら、これはと思う記述があるとページに折り目をつけていったら、多すぎて収拾がつかなくなった。そのなかで深折りしたのが次の箇所だった。亡き千吉親分の女房、松葉が北一に、千吉親分が願っていたのは「岡っ引きが不要な社会」だと語る場面—。

 「町方役人の旦那方が、岡っ引きなんぞに頼らずとも、御法上を守れる仕組みだよ。それを築き上げるためには、まず、旦那方に変わってもらわなきゃならないんだろうけど」
 これが難題だろうね、と唸る。
 「何か事件が起こったら、岡っ引きを走らせて暗がりを嗅ぎ回らせ、怪しそうな輩をとっ捕まえたら責めて叩いて白状させて、そいつが下手人で決まりでございます―。とにかく白状さえ取ってしまえば、それが真相になる」
 (二巻のp319-320)

 これって、戦後日本の警察や司法にも言えることだ。冤罪事件の多くは「自白強要」が原因だった。角川歴彦が『人間の証明』で告発している「人質司法」も同質だろう。

 筆者は、江戸時代のおかみさんの口を借りて”まっとうな岡っ引き”の理想像を示しながら、実は、現代の警察や司法にもなお内在する体質を糾弾している。単なる時代小説に終わらせない―。この骨太な矜持、すごいなあ。

■これで25冊目 店頭には続編

  <▲ぼくの本棚の宮部みゆきコーナー>

 ぼくの本棚にはいま、宮部みゆきの小説は今回の2冊を含め25冊ある。でも半分以上は妻が買ってきた本だ。僕自身が読んだのは10冊かそこら。今回の『きたきた捕物帖』も妻が買って先に読んでいた。あまりに面白そうだったのでぼくも読む気になった。

 こんな調子なので、宮部作品を読むのは、2008年に読んだ日本推理作家協会賞『龍は眠る』(初刊は1992年)以来になる。なんと16年ぶり。印象記まで書いたのは次の4冊。読み終えた日付と自分でつけた見出しは…。

 『本所深川ふしぎ草紙』(2005年2月22日)
  現代ものと水準かわらず 器用こえた異才

 『日暮らし』      (2005年10月10日)
  頭も要領もいい美少年が活躍 後半は違和感

 『孤宿の人(上下)』  (2006年4月27日)
  讃岐・丸亀の純な娘ふたり 悪霊めぐる怪奇

 『龍は眠る』     (2008年11月12日)
  欠落も淀みもない 高品質のままラストまで

<▲文庫末尾の筆者略歴>

 1993年の周五郎賞『火車』や、99年の直木賞作『理由』といった現代小説と、江戸時代を舞台にした時代小説とが見事に同居している。写真で拝見する童顔からは想像もできない幅の広さと力量への賛辞は、何度も書いてきたので、もう繰り返さない。

 ことしの読書はこれでおしまい。本屋さんの店頭にはすでに『気の毒ばたらき きたきた捕物帖(三)』の単行本が並んでいる。新しい年の愉しみがそこで待っている―。この感じも、本好きにはたまらない年の暮れなのだ。

<▲『きたきた捕物帖(三)は文芸書4位=12月11日、未来屋書店八事店で>
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