5 映画 銀幕に酔う

老境の幻視か  未練の逆襲か  77歳を襲う不穏…邦画『敵』

得体の知れなさ モノクロで倍加

 (吉田大八監督、2025年1月17日封切、伏見ミリオン座)

 いったい「敵」は何を指すのだろう。主人公は77歳の元大学教授で、和風住宅でひとり暮らしをしている。日々の律儀な料理や食事や入浴が詳細に描かれていき、とつぜん、不穏な出来事に襲われ始める。「老境ゆえの幻視」か「未練の逆襲」か。モノクロであることが「敵」の得体の知れなさを倍加させている。

 <▲2025年1月1日の朝日新聞広告>

■「敵」の解釈 観客にゆだねている

 この映画は封切日の1月17日に妻と観た。それから5日間、題名の「敵」は何を指すのかを考え続けている。でも明確な像を結べないでいる。

<▲パンフの裏面>

 ネタバレにならない範囲で書くと、主人公の渡辺儀助(長塚京三)が体験する不穏な出来ごとは、はじめは現実か夢か判然とせず、ぼくは迷宮に迷い込んだ気になった。

 パソコンに「敵がくる」と警告するメールが届いたり、20年前に死別した妻が出てきたり、教え子の女性と親密になったり、出版社社員が原稿依頼再開を告げにきたり…

 <解釈1> ひとり暮らしを淡々と続け、過去の記憶を閉じ込めたつもりでいても、77歳という年齢になると幻視や幻想に襲われる―。

 <解釈2> これまでの人生でくすぶっていた未練や心残りが、年を重ねてからの追慕のなかで膨れ上がって”逆襲”を受ける—。

 こんな見方で的を射ているのだろうか。自信がない。「敵」が「認知症の初期症状」というのであれば、単純でわからないでもないが、この映画のなかではそれらしい兆候や指摘はでてこない。監督は解釈を観客にゆだねているようだ。

■メタ文学作家の妄想であってほしい

<▲パンフの表面>

 原作は筒井康隆の同名の小説『敵』で、1998年に出版されている。筆者は1934年の生まれだから64歳の時の作品だ。映画のチラシには「現代老人文学の最高峰」とある。ぼくは読んでいない。映画を観たいま、読むのは怖い。

 主人公の渡辺儀助を演じる長塚京三は、wikipediaによれば、1945年の生まれで80歳、しかもパリ大学を卒業している。儀助は「フランス近代演劇史を専門とする77歳の元大学教授」だから、これ以上ふさわしい俳優はいないだろう。

  儀助が襲われる不穏は、ぼくには「体験したことがない世界」だし「体験したくない世界」でもある。でも、いま72歳。いずれ似たような逆襲や幻視を体験することになるのだろうか。

 一緒に観終わったあと、ひとつ下の妻は「もっと年老いていくのが怖くなったわ」とつぶやいた。メタ文学も得意な作家らしい”職業的妄想”であってほしい。

■隠居の日常 モノクロで丹念に

 この映画のもうひとつの特色は、77歳の隠居老人が、祖父が住んでいた和風家屋でひとり暮らす日々と、その丁寧な描写だろう。歯磨きから入浴、掃除から買い物へと続く日常をリアルに映し出していく。所作も律儀できっちりしている。

<▲封切日の中日新聞広告>

 なかでも料理シーンは秀逸だった。朝のベーコンエッグ、昼の蕎麦や冷麺、夜の焼き鳥…。それらを長塚京三が自分ひとりで作り、ひと口ずつゆっくりと味わっていく。

 画面が全編モノクロなのも、驚きだった。カラーよりも、昔ながらの古い和風住宅での老人の暮らしにマッチしていた気がする。

 もともと人間の目は、通常の光線のもとなら、物事を白黒で見ることはない。映画もカラーが当たり前の時代に、こうしたモノクロ画面の非日常感は、後半に訪れる不穏な出来事の不気味さ、得体の知れなさもカラーよりも強く感じさせている気がする。

■彷彿『PERFECT DAYS』『怪物』

 この『敵』は昨年の東京国際映画祭で3冠を得た。観ながらぼくは、2023年カンヌ映画祭のふたつの受賞作を思い出していた。

 ひとり暮らし老人の日常をていねいに描いているところでは『PERFECT DAYS』に似ている。主演男優賞を得た役所広司が、やはりひとり暮らしの初老男性を演じた。朝の歯磨きから水やりまでのルーティンを律儀に守り、仕事後や休日には、馴染みの居酒屋に顔を出す日常がていねいに描かれていた。

   <▲(左)『PERFECT DAYS』のパンフ、(右)『怪物』のパンフ>

 後半に不穏な出来事が続き、『敵』という語が登場するようになってからは『怪物』が浮かんだ。カンヌでは坂元裕二氏が脚本賞を得た。この作品でもぼくは観終わってから「いったい怪物ってだれなんだ」と悩みながら印象記を書いた。

 この3作とも、ていねいな作り込みと、エッジの効いたメッセージ性に満ちている。しかもテーマの解釈は観客にゆだねている。最近の映画祭で評価を受ける作品の共通点といっていいだろうか。