2 小説 物語に浸る

2021年ミステリー4冠『黒牢城』やっと読んだ 映画公開前に原作

 <▲英語名は「Arioka Citadel Case」>

信長に反旗の籠城 連続する事件

 2021年の第166回直木賞とミステリー4冠に輝いた『黒牢城』をやっと読んだ。映画が6月に公開されると知ったのがきっかけ。戦国時代の武将、荒木村重が信長に謀反し有岡城(伊丹市)に籠城した10か月のひと模様と、連続する事件のなぞ解きが交錯していく。城下町全体を堀や塀で囲んだ「惣(そう)構えの城」で侍と民は何を思い、何に救いを求めたか―。地下牢の黒田官兵衛が発する凄みが物語を黒光りさせている。
 (角川文庫、単行本は2021年6月刊)

ずっと「読みたい本」上位

 この本は直木賞だったのでずっと「読みたい本」の上位にあった。ただ「戦国時代+ミステリー」という組み合わせに「?」を感じ、ついあとまわしにしていた。

<▲映画化の帯カバー>

 ことし正月に読んだ櫻田智也『失われた貌』は昨年のミステリー3冠で、現代ものだった。その書評を書いていて『黒牢城』が4年前のミステリー4冠でもあったことや、筆者の米澤穂信氏が、過去に4度も3冠になった実力派だと知った。

 すぐ読みたかったけれど、2月に米イスラエルのイラン攻撃が起きた。戦争関係の本を最優先で読み、名古屋大学ComoNeの棚主本の衣替えを終えたら春になった。

 そして4月中旬、新聞の書籍広告で『黒牢城』が映画化され6月19日に公開されると知った。馴染みの本屋さんに行くと「映画化決定」の帯とともに平積みになっていた。

戦乱の世 巨大密室ミステリー

漢字とルビの海を泳ぐ

 読み始めると、漢字の多さにちょっとたじろいだ。武将たちの呼称が正式名でつぎつぎ出てくる。地名も地図なしでそのまま。ものの呼び方や言い回しも当時の空気を優先している。会話も「戦国のさむらい言葉」だから、とっつきにくさは否めない。たとえば「序章 因」の2段落目―

  摂津(せつつ)国大阪にいつしか一向門徒が集い、念仏三昧(ざんまい)の大伽藍(だいがらん)を築いて、これを本願寺(ほんがんじ)と号した。乱世の事とて堀や土塁を巡らし、いまや寺とも城ともつかぬその要害に武具兵粮(ひょうろう)を運び入れ、織田(おだ)討つべし、仏法護持のこの戦に参じぬ者は破門ぞと門主が激(げき)を飛ばしてから、八年が経つ。(6p)

 

  —有明城の最奥にそびえる天守から、往来を見下ろす男がいる。<中略>ひとたび戦場に立てば火を噴くように烈(はげ)しく戦い、重い口を開ければ諸人を説き伏せ、要に応じて奸計(かんけい)をめぐらせる乱世の武士であった。年は四十半ば。有明城の主にして、織田家から摂津一職(いっしき)支配を許された一世の雄、荒木摂津守村重(あらきせつつのかみむらしげ)である。(8p)

 

 ずっとこんな調子なのだ。漢字とルビの海である。ところがこの海、我慢しながら泳ぎつづけていると、水温に慣れ、息継ぎも楽になってくる。潮の流れに身をまかせていると、まわりの船や陸地が見えるようになり、水中で眼を開くと魚影や海底の地形もわかる気になってくる。そして慣れたころ、思わぬ波(事件)がやってきた―。

村重の現場主義 官兵衛の黒光り

 ネタバレになるのでどんな事件かには触れないが、村重が徹底して現場主義なのが面白い。事件の知らせを受けるとすぐ現場に直行して、証拠調べをする。

<▲カバーの筆者略歴>

 率先主義者でもある。事件の関係者を呼びつけ、みずから聴取する。なんでも部下まかせにはしない。現代の刑事ものなら仕事熱心なデカ長といった感じだ。

 村重は事件の解明に行き詰まると、集めた情報をもって天守の地下へ降りていく。地下牢に幽閉している黒田官兵衛と話をする場面がこの小説の大事な肝であり、白眉だろう。

 地下牢で描かれるのは、軍師・官兵衛の分析と推理力だけではない。官兵衛は信長の命で謀反を止めようと乗り込んできて不本意な幽閉に甘んじている。ふたりの繊細な神経戦も読みどころだ。官兵衛の言葉やたたずまいを読みながらぼくは思った。これこそ「黒光り」だ―。

戦国乱世における救いとは

 「進めば極楽、退かば地獄―」。この小説はこの1文で始まる。浄土真宗系の一向門徒が天正6(1579)年、後に大阪城ができたあたりに大伽藍の本願寺を構え、信長に抵抗し続けたときの呪文だ。村重たちも連動して信長に反旗をひるがえし、近くの有岡城に立てこもり始めたところから物語が始まる。  

<▲立ててみると…>

 戦国の世は文字通り、あちこちで領土と権力をめぐる戦がくりかえされた。おびただしい数の武将や足軽が死んでいった。信長は、周辺にいた女たちも容赦せず殺害したという。

 そんな戦いのさなか、有岡城に籠城する武将はもちろん、戦には出ない町民や女たちは何を祈り、近づく死を前に何に救いを求めていたのか。それがこのミステリーのなぞ解きの奥にある、もうひとつの主題なのだろう。

 「進めば極楽、退かば地獄―」という言葉は、その後の事件のなかでも、最後のなぞ解きでも出てきた。「御仏の罰」「御仏のご加護」という言葉とともに。

 ぼくはこの本を昨夜読み終えると、ラストに込められた意味を考えながら眠りに落ちた。今朝あらためて本を開くと、なんと、本文の書き出しの1行目に「進めば極楽…」があるではないか―。ぼくは”漢字とルビの海”を泳ぐのに必死で、覚えていなかった。その1行目をあらためて見たとき、筆者の周到な目配りと伏線、深い意図が全編に散りばめられていたことを悟ったのだった。

監督は黒澤清 6月公開  

 映画『黒牢城』は6月19日に全国で公開される。原作にはたくさんの武将が登場し、つぎつぎと奇怪な事件が起きる。いったいどこをどう縮め、どこを優先的に映像化するのだろう。ぼくの「原作先読みの愉しみ」がまたやってくる。

 監督・脚本は黒澤清氏。ぼくがこれまでに観た『トウキョウソナタ』(2008年)は現代劇で、『スパイの妻』(2020年)は戦時中を舞台にした挑戦作だった。こんどは戦国時代で、それも巨大密室のミステリー。どんな挑戦を見せてくれるだろう。

 <▲ 映画公式HPのトップ画像 / 濃密な男集団に美女がひとり…>

 ホームページによると、荒木村重は本木雅弘が演じる。昨年12月公開の『海の沈黙』では、孤高の天才画家を演じ、鬼気迫る様で絵筆をふるう場面が圧巻だった。難事件に直面し、こころが揺れ動く武将をどう演じるか。

 菅田将暉が”両兵衛”

 いちばん注目するのは、菅田将暉が黒田官兵衛を演じることだ。かれはいま、NHKの大河ドラマ『豊臣兄弟』で竹中半兵衛を演じている。黒田も竹中も秀吉に仕え「ともに頭が切れる軍師」として仲もよかったらしい。小説『黒牢城』にもふたりの仲の良さがちらりと出てくる。

 官兵衛と半兵衛は名前も似ているから、歴史好きは「両兵衛」と称しているらしい。ひとりの俳優が同時期に、テレビと映画の別々の大型作品で「両兵衛」を演じわける―。こんなこと、めったにないだろう。