江戸創業の老舗 伝統と新風の融合
(神奈川県湯河原町)
湯河原は初めてだった。流れがけっこう速い千歳川に沿って坂道が続き、両側に旅館が建ち並んでいた。それまでぼくが訪れた温泉街の多くは、緩やかな川の周囲に宿が広がり、真ん中に総湯や飲み屋街が広がっていたので、渓谷に沿って続く湯の町は新鮮だった。
宿泊した富士屋旅館は、その坂道から千歳川をはさんで対岸にある。車が通れるだけの幅の橋が川にかけられていて、欄干は朱塗りだ。その朱色は、江戸末期にまでさかのぼるというこの旅館の格式と、これまでの時間をそれとなく伝えてくる。
橋を渡るとき、左手前方の木立の向こうに古風な木造二階建てがどっしりと建っているのが見える。ふたつの楼閣を持つ本格的な数寄屋づくりで、大正12年築の記録が残る「旧館」である。この旅館のシンボルだ。橋から眺める堂々たる姿は湯河原のシンボルでもあるだろう。
宿泊して案内書で知ったことだが、この旅館は2002年にいちど休館し、リニューアル改修を経て17年ぶりに昨年2月、生まれ変わって営業を再開していた。橋から見えた旧館と、その奥にあり昭和20年代に造られた離れの「洛味荘」は、往時の姿をなるべく残しながら改修されていた。
日本では1995年の阪神大震災を契機に耐震改修促進法ができ、不特定多数がたくさん訪れる建物は耐震診断や補強が義務づけられた。東日本大震災を経験して耐震の関心はさらに高まり、旅館やホテルの多くは対応に苦労してきたといわれている。
この旅館も建物が古かっただけに、例外ではなかっただろう。温泉旅館だと大浴場や内風呂など水回りを最新式に切り替えていくことも誘客上不可欠で、さらに負担が重かったと想像できる。
そうした目線で宿泊していると、往時の部材をできるだけ残そうとしたところ、少しだけ新しい要素を取り入れたところ、まったく新しくしてジャパニーズモダンにしているところなど、いろんな工夫と創意が見受けられた。それらを検討してきた人たちの狙いも想像しとても楽しかった。
ぼくが宿泊した部屋は「洛味荘」の1階だった。格天井や建具には伝統的で軽やかな美が感じられた。内風呂の設備は逆に最新式になっていて、上手な改修を実感できた。
料理店「瓢六亭」にも、古い木材や欄間が上手に取り込んであった。館内のどこにいても、江戸時代からの重みを感じさせつつ、その時代にあわせた空間と味を提供したいという経営者の熱を感じ取ることができた。
湯河原温泉は、東京の温泉好きなら、熱海か箱根かといった選択肢に並んで候補に挙がるのだろう。名古屋からだと、下呂や湯の山がライバルになり、有名だけどちょっと遠いなあ、といった位置づけになる。
今回は、横浜在住の親戚夫婦に誘われ、喜んで妻とでかけた。みんな60歳を越え、モダンな最新ホテルより和風老舗旅館が大好きだ。一緒に泊まったのは昨年の箱根「萬翠樓 福住」以来。湯が原も、行ってよかった。