震災で制作者も「変異」 異次元の世界へ
(庵野秀明監督、公開2016年7月)
東宝のゴジラ映画はこれが29作目となるそうだ。これだけ作れば、見る人によっていろんなゴジラ像やゴジラ観があるだろう。しかしこの作品は、個人の好き嫌いで語れる次元をはるかに超え、新しい世界に入っている。
それをもたらしたのは、2011年の東日本大震災と福島第一原発の事故だ。この映画には直接は出てこないが、だれが観ても、あの未曽有の事故の際の政府のドタバタぶりと放射能に対する米国対応が、この映画の隠れたモチーフになっていることは気がつくだろう。
この作品はゴジラ映画もいうよりも、メーンテーマは、日本の非常時における政治と官僚の対応能力や、安保を軸にした日米関係への問題意識なのかもしれない。後半では安保法制への視点もからんでいると感じた。
ゴジラ映画の誕生は1954年の『ゴジラ』だ。ぼくは2年前にリマスター版をNHKで観て原点を見直した。ゴジラを生んだとする原爆と、開発中の科学技術を戦争に使ってしまう人間の愚かさへの告発が主題だった。
その後のゴリラシリーズも、巨大で不思議な生き物への畏怖とか畏敬とか生物学的関心がベースにあった気がする。今回の作品は、それよりも生臭い政治的な要素が強くまぶされている。
ぼくより先に、子どもを連れて観に行った親戚のひとりがぼくに言った。「あんな題材でなぜゴジラを扱うのかわからない」。子どもや家族で観るのを楽しみにしてきたファンの気持ちなのだろう。
それもわかった上で、ぼくは興奮した。知的刺激をたくさん受けた。東北大震災という超自然現象を経て、ゴジラ映画の製作者はまったく別次元へと「変異」せざるをえなかったのだと思う。その姿勢と挑戦を評価したい。